猫を棄てる 父親について語るとき 村上春樹著 文芸春秋 1200円
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時を超える記憶の世界
評・山内志朗(倫理学者・慶応大教授)

たくさんの思い出があっても何かしら書きあぐねてしまうときがある。父親の記憶も似ている。語りにくさがそこにある。
猫の思い出が言葉を解き放つ。うちにいついた野良猫を父親と一緒に海岸に
猫は自力で戻ってきて、元通りの生活が繰り返される。そこに秘密があった。父には別の寺に養子に出されそうになった過去があった。父もまた「棄てられた」経験を持っていたのだ。
戦争に従軍した記憶についても語ることはなかった。語り得ない、語るべきではない記憶だ。だが、中国人捕虜への残虐が数少ない戦争記憶として傷跡のように記される。
昭和の暗い経済不況、泥沼の日中戦争、悲劇的な第2次世界大戦を父は生きてきた。不運きわまりない世代の一員だったのだ。
父は慢性的な不満を抱き、著者は慢性的な痛み(無意識的な怒りを含んだ痛みだ)を感じるようになった。センシティブで孤独な心象風景が広がる。心の奥底を静かに
記憶は時間を飛び越え、過去との絆を取り戻し、胸にざわめきをもたらす。ここに村上春樹文学の根っこがある。
自分の思いをまっすぐ語れないことにかけては著者も父親も共通していた。血の結びつき、それは自分自身の中にある悪と同じように、あがきもがく心を引き起こす。
二人は絶縁に近い状態になり、20年近く顔を合わせなかった。ようやく顔を合わせたとき、「僕」は60歳近く、父は90歳だった。
懐かしいというより、静かな和解がそこにある。偶然がたまたま生んだ一つの事実を、唯一無二の事実とみなして生きてきた二人の人間が向き合う。言葉が古い傷跡に染み込んでくる。いつか書かなくてはと思ってきた誓いが果たされる。