イエスの学校時代 J・M・クッツェー著 早川書房 2300円

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◇J.M.Coetzee=1940年、南アフリカ生まれ。著書に『マイケル・K』『恥辱』。2003年にノーベル文学賞。
◇J.M.Coetzee=1940年、南アフリカ生まれ。著書に『マイケル・K』『恥辱』。2003年にノーベル文学賞。

根源的な問いの中へ

 評・村田沙耶香(作家)

 問う、ということについて、『イエスの学校時代』を読んでからずっと考え続けている。

 『イエスの学校時代』は、『イエスの幼子時代』の続編であるが、訳者あとがきにもあるように、この作品だけで充分に独立して読むことができると思う。過去を洗い流した、中年男性のシモン、孤児の男の子ダビード、その母親になったイネスは奇妙な疑似家族のような関係だ。三人は田舎町で新生活を始め、普通の学校に馴染なじめないダビードは、ダンススクールに通うこととなる。やがて事件が起き、物語は急激に速度を増して、思いがけない方向へと転がっていく。

 ダビードは幾度も、様々な人に、「問い」を投げかける。「どうして牛は死ななくちゃならないの?」「アナの心臓を止めようとしてやったの?」ダビードの質問攻めは時にシモンを困らせ、うんざりさせるが、ダビードは問うのをやめない。一方で物語の後半、事件で罪を犯した人物に対して、裁判所でこんな言葉が向けられる。「人間の行動としてあり得ない。ほかにも原因が重なっているはずだ」

 「あんたらにわたしの罪深さを測れるものか。測れるような罪ではない!」

 とても恐ろしい犯罪であるのに、犯人の言葉に共鳴し、揺さぶられている自分がいる。理解できないものに対して、自分が納得するための物語を引き出そうとする「汚れた問い」のほうが私にはずっと恐ろしい。この場面に限らず、登場人物たちはいろいろな組み合わせで、何度も、奇妙な会話をする。この本の中の会話は、読者の中の「問い」を揺さぶり起こす特別な力を持っている。言葉の応酬の中に引きずりこまれ、その対話の奥に眠っている大きな「問い」の中に、いつの間にか立ち尽くしている。

 先入観で汚れた問いを捨て、人間の奥深くに眠っている根源的な問いの中へ沈んでいく。私にとって、この物語は、そういう不思議な化学変化を起こす力を持っている。鴻巣友季子訳。

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1276103 0 書評 2020/06/14 05:00:00 2020/06/22 10:54:15 書評 「イエスの学校時代」 J・M・クッツェー(1日、東京都千代田区で)=若杉和希撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/06/20200613-OYT8I50042-T.jpg?type=thumbnail

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