日本蒙昧前史 磯崎憲一郎著

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「時間の遠近法」の効果

評・仲野 徹(生命科学者・大阪大教授)

文芸春秋 2100円
文芸春秋 2100円

 私のオフィスからすぐそこに太陽の塔が見える。ちょうど半世紀前の万博期間中、その顔の目玉に8日間籠城した男がいた。すっかり忘れていたが、大きく報道された事件だった。

 その「目玉男」をはじめ、製菓メーカー社長の誘拐、相互銀行による不正融資、有名作家の自決と自死、五つ子の誕生、グアム島で発見された元日本兵など。昭和の終わり、1970年代から80年代にかけて、マスコミを連日にぎわせた出来事を題材にした小説である。

 固有名詞は伏せられているが、当時の記憶がある人ならば間違いなく思い出せるはずだ。たとえ知らなくとも、キーワード検索をすれば、すぐにたくさんヒットする出来事ばかりだ。

 この小説、ベースは事実である。だが、そのフレームの中に描かれる人物の考えはフィクションだ。まさに虚実皮膜、「こうであったかもしれない」物語が懐かしさを駆り立て続ける。

 目玉男、五つ子の父、元日本兵といった主な登場人物だけでなく、著者を思わせる万博少年、高崎市出身の小柄な有力政治家が馴染なじみだったホステスなど、物語の視点は次々にうつろっていく。しかし、その流れは実にスムーズだ。

 元日本兵は晩年「時間の遠近法によって美化された、偽りの過去」を思い浮かべる。逆方向に考えると、我々は皆「あのころの未来」に生きているけれど、それは必ずしも「あのころ」に思い描いた世界ではない。はたして、過去から見た現在の、あるいは、現在から見た過去の日本が蒙昧もうまいだと思うとしたら、それは時間の遠近法によるものなのだろうか。

 最後に付け加えておきたいのは、この本の装丁だ。深みのあるカーキ色のカバーはヌバテックスという紙でできている。そのなんともいえないしっとりとしたぬめり感がたまらない。

 カバーを外して読むのが常なのだが、この本だけはつけたまま読んだ。昭和の手触りとはこんな感じではなかったかと懐かしみながら。

 ◇いそざき・けんいちろう=1965年生まれ。『終(つい)の住処(すみか)』で芥川賞、『往古来今』で泉鏡花賞。

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1503514 0 書評 2020/09/27 05:00:00 2020/10/05 12:13:08 日本蒙昧前史(18日、本社で)=上甲鉄撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/09/20200926-OYT8I50051-T.jpg?type=thumbnail

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