つげ義春「ガロ」時代 正津勉著
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細やかな読みと文学共鳴
評・栩木伸明(アイルランド文学者・早稲田大教授)
山の茶店で、浴衣姿の美少女が旅人に「寄っていきなせえ」と声を掛ける。ぶっきらぼうな方言と
これは名作「紅い花」の冒頭部分。つげ義春は高度経済成長期に、村落や温泉場や都市郊外に残っていた庶民の風俗を描いた短編漫画で知られる。とりわけ、1960年代後半に月刊漫画誌『ガロ』に発表された作品群は斬新だった。
本書はつげと同時代を生きてきた詩人がそれらの作を読み解いた一冊。正津は、漫画の語り手の家の二階に住みついた「李さん一家」を<まれびと>と呼び、「西部田村事件」に登場する逃亡患者につげの自画像を重ね、「通夜」にことよせて自分自身が経験した山奥の珍しい通夜を語る。
「ほんやら洞のべんさん」の口の重さについて説明するときには、自分自身の無口だった父親を引き合いに出す。「もっきり屋の少女」によく似た境遇の娘を知っていた、とまで正津は言う。出しゃばった解釈にも思えるのだが、つげ漫画の世界を肌で知る彼の読みはどれも細やかで、読者の胸に深々と届く。
つげの代表作は不条理な「ねじ式」である。うたた寝の夢をやけくそで描いた、と本人は言うが、今日では漫画芸術の極致のひとつと評価されている。正津が本作の主人公に「さまよえる日本人」を見、空襲や戦後の売血の記憶が無意識に描きこまれているのを指摘すると、漫画の底に沈んでいるものが見えてくる。
正津は本書でしばしば、つげ漫画の一場面に日本近代文学からの引用を対置してみせる。山村暮鳥、芥川龍之介、樋口一葉、梶井基次郎の詩や小説の一節が、直接には無関係なつげ漫画と肩を並べた途端、響き合う親和力の電流が流れはじめる。
近い将来、新しい文学史が書かれるときには漫画にもページが割かれ、つげ義春は昭和後期の短編の奇才として認められるだろう。この本を読んでぼくはそう確信した。
◇しょうづ・べん=1945年、福井県生まれ。詩人、文筆家。著書に詩集『惨事』、評伝『河東碧梧桐』など。