猫がこなくなった 保坂和志著 文芸春秋 1700円
完了しました
言葉をこえた対話へ
評・苅部直(政治学者・東京大教授)

「親に死なれる」という言い方がある。「死ぬ」は自動詞なのに、受身の作用を示す助動詞がついてくる珍しい例である。語り手にはどうにもできない運命であるとともに、親の死は、まるで半身がもがれたように感じられる。そうした自分の悲しい思いによって、世界を満たそうとする感覚が、その表現の奧には働いているような気がする。
この本に収められた
しかし、孤独なニヒリズムに陥っているわけではない。むしろ逆である。作中の表現によれば、レンブラントの描いた修道士の絵を見て、「ああ、この人がこの世界にいたんだ」と思うとき、そう思う人と修道士の間には、言葉のやりとりを介さずに深い「コミュニケーション」が成り立っている。猫と人もそういうやり方で同じ状況を「共有」し、おたがいに「共振」しあいながら生きている。それは目の前にいる猫だけではなく、過去の記憶のなかの猫との関係でも変わることはない。
さらに近所の大きな樹木、少年時代に出会った子連れの謎の女性や川端康成の姿。フランツ・カフカ、サミュエル・ベケット、ジャン・ジュネの言葉。さまざまなものが時間をこえ、世界のなかで個々の実在感を放ちながら、自分とともにある。九篇の小説は言葉で