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猫がこなくなった 保坂和志著 文芸春秋 1700円

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言葉をこえた対話へ

評・苅部直(政治学者・東京大教授)

◇ほさか・かずし=1956年、山梨県生まれ。作家。『この人の閾(いき)』で芥川賞。『未明の闘争』で野間文芸賞
◇ほさか・かずし=1956年、山梨県生まれ。作家。『この人の閾(いき)』で芥川賞。『未明の闘争』で野間文芸賞

 「親に死なれる」という言い方がある。「死ぬ」は自動詞なのに、受身の作用を示す助動詞がついてくる珍しい例である。語り手にはどうにもできない運命であるとともに、親の死は、まるで半身がもがれたように感じられる。そうした自分の悲しい思いによって、世界を満たそうとする感覚が、その表現の奧には働いているような気がする。

 この本に収められた短篇たんぺん小説のうちいくつかは、身の周りにいた猫や、若い友達が拾った猫の死を描いたものである。その情景は哀切で、「胸が裂けるほど泣いた」という表現もある。だが、「猫に死なれた」とは書かず、一貫して「死んだ」となっている。「私はもう猫のすることを人間の何かにたとえない」。「私」の期待をもちこんで、猫との想像上の心の交流を熱く語るような言葉は、ここにはない。世間にありがちな猫エッセイとは異なって、猫の意図などわからないという態度に徹している。

 しかし、孤独なニヒリズムに陥っているわけではない。むしろ逆である。作中の表現によれば、レンブラントの描いた修道士の絵を見て、「ああ、この人がこの世界にいたんだ」と思うとき、そう思う人と修道士の間には、言葉のやりとりを介さずに深い「コミュニケーション」が成り立っている。猫と人もそういうやり方で同じ状況を「共有」し、おたがいに「共振」しあいながら生きている。それは目の前にいる猫だけではなく、過去の記憶のなかの猫との関係でも変わることはない。

 さらに近所の大きな樹木、少年時代に出会った子連れの謎の女性や川端康成の姿。フランツ・カフカ、サミュエル・ベケット、ジャン・ジュネの言葉。さまざまなものが時間をこえ、世界のなかで個々の実在感を放ちながら、自分とともにある。九篇の小説は言葉でつづられながら、もの(物あるいは者)との間の言葉をこえた対話へと、読者をいざなうのである。

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1857387 0 書評 2021/02/21 05:00:00 2021/03/02 10:06:29 猫がこなくなった(13日、東京都千代田区で)=飯島啓太撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210220-OYT8I50028-T.jpg?type=thumbnail

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