昭和の愛おしき日々
評・橋本五郎(本社特別編集委員)
◇あがわ・さわこ=1953年、東京生まれ。エッセイスト、作家。著書に『ウメ子』『聞く力』『ことことこーこ』。 時空を超えたタイムスリップ。叶わぬことと思いつつも誰もが一度は夢想するに違いない。内村菜緒は高校進学祝いにと71歳の母方の祖母山口和と出かけた東京タワーで遭遇する。エレベーターが故障、動き出したら何と2019年から1963年になっていた。菜緒は今は取り壊してしまった渋谷の祖母の実家で家業の弁当作りを手伝いながら、秘かに脱出を試みる。
困った時は振り出しに戻れとばかり、東京タワーに行くと同じクラスの野球部のボケナスこと西原大基とバッタリ。西原は実はタイムスリップのスペシャリスト?だった。帰り方を教わり、さあ帰ろうとすると今度はばあさんから待ったがかかる。ある作戦を計画中だという。
15歳のばあさんは山口家でお手伝いをしているせっちゃんと不仲になり、それが原因でせっちゃんは新潟県村上市に帰って大洪水にあったと思い込んでいた。亡くなったのは私のせい、だからせっちゃんを東京で結婚させれば亡くなることもない。そう考え、自分の夫となった人との結婚を画策するのである。
その行方はどうなるか。二人は無事帰還が叶うのか。それは小説を読んでのお楽しみだが、二つのオリンピックを繋げながら軽快なタッチでユーモアたっぷりに描くこの小説には二つの核がある。いくらその後がわかるとはいえ、歴史を勝手に書き換える不遜は許されない。歴史を替えれば菜緒だってこの世から抹消されることになる。そこで知恵を絞るのである。
二つ目は昭和の愛おしき日々への限りない哀惜の気持ちだ。昭和38年には携帯電話も洋式トイレもコンビニもプリペイドカードもなかったかもしれない。でも、活気に満ちていた。決して経済的に豊かとは思えない人々が笑って必死に生きていた。都電の窓から見た三輪自動車の荷台に乗った女の子の思い切り風に吹かれて赤くなった頬が忘れられない。菜緒はそう思い、「よし、負けないぞ」と元気になるのだった。