『眠りの航路 睡眠的航線』呉明益著(白水社) 2640円

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戦争の傷 父の足跡辿る

評・柴崎友香(作家)

◇ウー・ミンイー=1971年、台北生まれ。小説家。97年にデビュー。本作は初の長編小説。台湾では2007年発表。
◇ウー・ミンイー=1971年、台北生まれ。小説家。97年にデビュー。本作は初の長編小説。台湾では2007年発表。

 自分が見た夢を人に伝えることは難しく、人が見た夢を のぞ くことは決してできない。誰かの夢や記憶、そこに近づくために小説は書かれるのではないか、と思うことがある。

 本書の語り手「ぼく」は、数十年に一度だという竹の開花を見に行って以来、睡眠に異変が起きる。台北での記者の仕事に支障を来して、郊外の山に移る。夢を見なくなった「ぼく」の話と並行して、「ぼく」の父の物語が重ねられていく。少年時代は、三郎という日本風の名前になり、神奈川の高座海軍 工廠こうしょう で戦闘機の工場で働いた。台湾に戻ったあとは、台北の小さな店舗で電化製品の修理業を営んでいたが子供たちに過去の話はしなかった。

 睡眠障害の相談に行った医師と「ぼく」の対話によって、眠りと死や記憶のイメージが深まる。夢は「ぼくたち自身によって忘れられた人生の経歴」との言葉が印象的だ。竹が地下茎で結びついているように、眠りと記憶の底で、失踪した父、母や周辺の人々の過去や歴史の断片を重ねることによって、戦中から戦後の社会の変化が浮かび上がってくる。再び夢を見るようになった「ぼく」は日本に向かい、父の足跡を 辿たど る。「ぼく」と父の間にあるのは、戦争や政治体制に左右され、大きな傷を受けた人たちとその後に育った世代の断絶である。理解しあうことのないまま失踪した父に思いを巡らせることが、その断絶の向こうへの強い思いになっていく。

 呉明益の小説はどれも、現実と 寓話ぐうわ 的な光景が入り交じりながら臨場感のある豊かな描写で読者を遠く深い場所へ いざな ってくれるが、本作でも信じがたいようなエピソードが調べてみると事実であったり、台湾から見た戦争と歴史が個人の経験を通して語られることによって、感覚が揺さぶられ、身に迫ってくる。少年が高座で出会う「平岡君」=三島由紀夫とおぼしき人物の話も、戦中からの歴史にさらなる視点を与えてくれる。倉本知明訳。

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使い方
2565443 0 書評 2021/12/03 05:20:00 2021/12/03 05:20:00 書評(13日午前9時32分、東京都で)=川口正峰撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/11/20211129-OYT8I50031-T.jpg?type=thumbnail

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