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目の前にある人やものごとを、まっすぐに見ることは難しい。シーザーも言ったように、多くの人は自分が見たいと思うものしか見ない。よく見ないまま目をそらすか、乱暴にレッテルを貼るかして思考停止、というのが大方の現実だろう。でも、物語の力を借りれば――。本屋大賞を受賞した
描かれるのは、ある女と男の世間からは理解されないつながりをめぐる物語。その女・

10歳の頃、ひとり公園で過ごしていた更紗は、19歳の大学生だった文と出会う。文は更紗を自分が暮らす部屋に連れ帰り、そのまま一緒に暮らし始める。そして文は「誘拐犯」として逮捕され、更紗は「被害女児」と呼ばれることになる。それから15年、「ロリコン大学生による小学女児誘拐事件の加害者あるいは被害者」というレッテルを背負って生きてきた2人は偶然、再会し、互いを必要とするようになる。
2人は何をもってつながり、相手に何を見いだしたのか。原作では、更紗と文、2人の物語が、「彼女のはなし」「彼のはなし」という形で、各々の内なる思いを交えて語られていく。だが、この映画は基本的に、主観ではなく客観で描かれる。彼女と彼の関係をどう受け止めればいいのか、外に表出する言動を通して考えさせる。そして、登場人物から与えられる情報を受け止めるだけでなく、その奥にあるものを追わせるように作られている。

その上で大きな役割を果たしているのは、まず、なんといっても俳優たち。とりわけ松坂がいい。文の姿は、原作で白いカラーの花のようだと形容されているが、まさにその通りのたたずまい。幼い日の更紗の傍らで体育座りをしてアイスクリームを口にした時の表情。絶望と諦念とそれでも手放せない一筋の希望の間とを行き来するまなざしの色。彼のはかなさ、さびしさはどこからくるのか。目の前の姿と、世間のうわさとのギャップは一体なんなのか。ひきつけられずにはいられない。年相応の生身の女性を演じる広瀬の姿も見ていて、どきどきするほど新鮮だし、彼女の瞳もまた、複雑な感情を映し出す。更紗と文、それぞれのパートナーを演じる横浜流星と多部未華子や、10歳の更紗役の白鳥玉季の演技にも目を見張りたくなる。

登場人物たちの演技と、彼ら彼女らを取り巻く世界の姿、移ろい続ける空と水の風景、そして、それらと連動して去来する過去の記憶は、李監督独特の節回しで鮮やかにつながって、スクリーンに強い引力を与える。「バーニング 劇場版」「パラサイト 半地下の家族」も手がけたカメラマン、ホン・ギョンピョによる鮮烈だが陰影に富んだ映像も味方につけて。
映画をたるませることなく、すべてをきっちり見せようとしたからだろうか、中盤以降は、節回しのリズムが少し乱れているように感じられるのが惜しいが、物語にとっては大きな
デジタル・タトゥーやドメスティック・バイオレンスなど、社会が抱える大問題も物語の一部。盛りだくさんのようだが、根は、しかとつながっている。他者を、その真実を、まっすぐに見ない、考えない、それがどれだけ罪深いことか、見るほどに突き刺さってくる。主題と凝視を促すつくりは、しかとリンクしているのだ。
他者だけでなく、自分自身を直視するのも実は容易ではないのだが、あとは言うまい。登場人物一人ひとりのまなざしを見て、自分の目で「真実」を発見する意味を味わってほしい。(編集委員 恩田泰子)

◆ 流浪の月 (るろうのつき)=上映時間2時間30分/製作幹事:UNO-FILMS、共同製作:ギャガ、UNITED PRODUCTIONS/配給:ギャガ/公開中