読売新聞オンライン

メニュー

数えきれない曲 子供たちに…小林亜星さんを悼む

[読者会員限定]
メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

小林亜星さん(2019年8月撮影)
小林亜星さん(2019年8月撮影)

 数々のCM音楽やアニメソングを手がけた作曲家、小林亜星さんが5月30日、88歳で亡くなった。豊かな才能に恵まれ、サービス精神にもあふれた亜星さん。同世代で、長年にわたり深い親交を築いた元「話の特集」編集長、矢崎泰久さんに追悼文を寄せてもらった。

矢崎泰久 元「話の特集」編集長

 「オレは不摂生の権化だから、一番先にくたばるよ」。同 年輩ねんぱい の仲間が集まると、亜星ちゃんは口癖のように言っていた。巨体、暴飲、暴食、ヘビースモーカー、最後の一人になるまで帰ろうとしない。とにかく、人なつこい好人物であった。

 野坂昭如、永六輔、そして未来劇場を主宰する里吉しげみが他界した時には、大きなショックを受けて、心から悲しんでいた。まるで自分が悪かったかのように落ち込んだ。

 50年間続いた未来劇場ではずっと音楽を担当した。脳腫瘍の手術を受けた里吉の病床にずっと付き添った。未来劇場解散後に、里吉が1年ほど消息不明になった時は、亜星ちゃんは私を誘い、三鷹の里吉の自宅を何度も訪ねた。

 「死んでいたら気絶する」と、安否確認を私に委ねた。気の弱い側面もあったが、友情の深さは大変なものだった。

 上から目線で人を見たり、 おご りたかぶったりすることが全くなかった。数えきれないほどの曲を子供たちのために作った。今も日本全国で歌われている。どうやら亜星ちゃんには、童心が宿っていたに違いない。実に多才で幅広い音楽家だった。

 80歳を超えて、私たちは「 棺桶かんおけ 片足組」というグループを作った。メンバーは10人近く集まったが、5人でライブをあちこちで開いた。昭和の生き残りが、伝え残しておきたいことを話しておこうというわけだ。亜星ちゃんと桜井順さんが音楽家では参加した。

 田原総一朗(テレビキャスター)、山根二郎(弁護士)、白井佳夫(映画評論家)といった論客もいたので、のべつ激論となり、仲間割れすることも少なくなかった。戦争体験となると、1年、2年の違いによって大きな差があった。亜星ちゃんは、どちらかと言うとおっとりしていて、突然集中砲火を浴びることがあった。それでも頑として自説は曲げなかった。

 コロナ禍がなかったら、おそらく今も続いていただろう。残念でならない。

 亜星ちゃんとも最近はずっと会っていない。時折電話で話すことはあったが、世界的なパンデミックの後に、どんな時代がやってくるのかを話した記憶が残っている。アーティストはなるべくなら生きて次の世界を作る使命がある、とも。

 次々と同時代の人が欠けていく。思えば誰もが 波瀾はらん 万丈の生涯を送ってきた世代である。亜星ちゃんが最後に何を考えていたか。それを知ったところで、どうにもならないのだが、夢にでも現れて教えてくれたらと願っている。

 さようなら、そしてありがとう!

「鼻歌で歌えるのが鉄則」…加藤登紀子さん

 デビュー間もない頃から曲を提供されていた歌手の加藤登紀子さんも追悼の言葉を寄せた。

 CM音楽からスタートした亜星さんですが、私の父と知り合いだったことで、1966年に『赤い風船』という歌謡曲を作ってくれ、私はそれでレコード大賞新人賞に輝きました。面白い作り方をされる方で、『赤い風船』は、私と縁があるロシア風のアレンジ。次の『ギターをひこう』という曲では、まだギターが満足に弾けない私のために、簡単なAマイナーだけのイントロにしてくれました。

 70年には大関のCMソング『酒は大関』を歌わせていただき、今も続く「ほろ酔いコンサート」ではいつも大合唱になります。大関の演歌調は、都はるみさんの『北の宿から』(75年)につながるのですから、ポップな歌から演歌まで、本当に器用な人だったと思います。

 「鼻歌で歌えるのが鉄則だ」とおっしゃっていたのが印象に残っています。楽しい歌をたくさん残してくださり、ありがとうございました。突然の 訃報ふほう 、本当に寂しいですが、心からの拍手でお送りしたいです。(談)

無断転載・複製を禁じます
2126559 1 音楽 2021/06/16 05:00:00 2021/06/16 05:00:00 2021/06/16 05:00:00 作品集「小んなうた 亞んなうた」を発売した作曲家の小林亜星さん。2019年8月23日撮影。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/06/20210615-OYT8I50081-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)