『落語研究会』が育ててくれた

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 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

 TBS落語研究会は、僕の落語人生の原点だ。

 小学5年の夏休み、叔母のお供で、初めて寄席の木戸をくぐった。まだ近代的なビルに収まる前の上野・鈴本演芸場。入れ替わり立ち替わり出てくる着物姿のおじいさんがモゴモゴ話していた(注1)ことと、帰りに広小路の「五万石」という店で食べた天丼のうまさしか覚えていないが、何が気に入ったのか。中学、高校と進んでも、寄席見物が途切れることはなかった。

 その頃は、ただ漫然と落語を聴いているだけだった。はっきりと寄席演芸の楽しさ、奥深さを意識して向かい合うようになったのは、大学入学後、落語研究会に通うようになってからのことだ。

円生師に魅せられた

 落語研究会は、1905年(明治38年)に旗揚げしたホール落語の嚆矢(こうし)であり、震災や戦争での中断を経て何度も復活し、テレビ番組の収録のためにTBSが主催となった現在の「第五次」(1968年~)まで、落語の伝統と革新を守り育ててきた。そんな歴史さえ知らぬ落語(落伍?)学生は何を考えていたのか?

 「名のみ聞くいにしえの名作、特別な企画でもなければ演じられない大長編、見たことも聴いたこともない珍品。全部を制覇したら、オレはいっぱしの落語通だな――」

 身の程知らずのおバカな野望に応えてくれたのが落語研究会の、三遊亭円生の高座だった。

 毎回毎回が名作、長編、珍品ばかり。どのネタも圧倒的な名演で、しかも何度通っても、ネタがダブることがない。アルバイト疲れで、客席で朦朧(もうろう)としている時でも、「正札付(しょうふだつき)」の出囃子(でばやし)が聞こえると、僕の背筋は自然にピンと伸び、「これから聴かせていただきます」という姿勢を取ったのである。

 大学を出て新聞社に入っても、僕はずっと落語研究会の客席にいた(注2)。ところが、僕のいる場所が突然、客席から舞台袖に移った。2003年のことである。

観客から「内輪」の人に

落語研究会のパンフレットと、17年以上も続く筆者のコラム
落語研究会のパンフレットと、17年以上も続く筆者のコラム

 落語研究会では毎回、良質の紙を三つ折りにしたプログラムが配られる。当時は劇作家榎本滋民氏の「落語掌事典」と三遊亭円朝の研究で知られた永井啓夫(ひろお)氏のコラムが掲載されていた。ところが、2003年春、榎本氏が急死し、永井氏が健康上の理由で降りてしまった。二つの名物読み物が突然終了という一大事が発生したのだ。

 このままでは、第1回以来続いていたプログラムを出すことができない。大慌てで後任探しが始まった。

 その間の経緯を一観客である僕が知るよしもない。ところが、「永井氏のコラムの後を引き受けてほしい」という依頼が、僕のところへ舞い込んで来たのである。急な話だから断る人は多いだろう、僕はいったい何人目の候補者なのかと、冷静になれば、多少意地悪な情勢分析ができたかもしれないが、その時の僕は、ただ驚き、恐縮するばかりだった。

 「僕でいいのですか?」

 最初に頭に浮かんだのは、この言葉だった。ずっと観客で見てきて、すごい人たちが書いているんだなあ」と思いながら客席やロビーで読んでいたコラムを、我が身が書くことになるなんて考えたこともなかった。

 そんな僕の戸惑いと逡巡(しゅんじゅん)を知ってか知らずか、とにかく早く後任を見つけたいという一心であっただろう、研究会の今野徹プロデューサーの熱意に押され(注3)、僕はコラム執筆を引き受けた。

 コラムのタイトル「当世噺家事情」は、今野プロデューサーが決めた。

 「研究会の古い常連の中には、知らない演者、若い噺家(はなしか)が出る時はロビーにいて入ってこない方がいる。そんなご常連がロビーでプログラムのコラムを読み、面白そうだなと客席へ入ってくれる、そういうコラムにしてください」

 何てむちゃな注文だろう。聞いた途端に引き受けたことを後悔した。

 2003年3月、コラムの第1回「林家彦いちと『生兵法』」が掲載され、同時に「内輪の人」になった僕は、客席を外れ、舞台袖の固いパイプ椅子に座って、横から高座を見ることになった。

 コラムが始まっても、しばらくは「僕でいいの?」という気持ちが消えなかった。数か月後、楽屋にいた柳家さん喬に話してみた。

 「それはね、あたしたち出演者も同じなんだ。あたしも若い頃は名人上手の師匠連を客席で見ていたし、噺家になって初めて研究会の楽屋に来た時は震えたよ。奥の方に円生師匠や正蔵師匠がいて、手前にはまだ若手の志ん朝師匠が居心地悪そうに座ってる。ぺえぺえのあたしたなんか、いる場所もなかった。それなのに今、あたしがトリを取って、円生師匠が座った場所に座らせてもらっている。いつも『俺でいいの?』と思っているよ」

 さん喬の目がどこか遠くを見つめている。以降、僕は今日まで、17年以上もコラムを書き続けている。

 思い出がいっぱいの落語研究会。そんな老舗落語会がコロナ騒動で試練を迎えている。そのお話は、次回をお楽しみに。

(注1)後で調べてみると、僕の「初寄席」は鈴本演芸場、1966年8月上席の昼の部だった。トリは先代三遊亭円遊で、先代桂小文治、漫談の牧野周一、漫才の松鶴家千代若・千代菊、曲芸のキャンデーボーイズらが出演している。

(注2)正確に言えば、僕は新人記者時代の4年半を、宇都宮支局で過ごしている。年中休みなしの記者生活の合間に東京の落語会に通えるはずはないのだが、当時のメモを見ると、けっこうな頻度で研究会にも行っている……。

(注3)あの時、どんなやり取りをしたかは正確に覚えていないが、はっきりしない態度の僕にじれたのか、今野プロデューサーが「(永井教授と)同じナガイなんだから、いいじゃないですか」と言った記憶がある。プログラムの締め切りが迫り、本当に焦っていたのだと思う。

長井好弘’s eye 一覧は こちら

プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員、日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(大衆芸能担当)。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

無断転載・複製を禁じます
1372674 0 長井好弘's eye 2020/07/31 12:00:00 2020/07/31 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/07/20200728-OYT8I50008-T.jpg?type=thumbnail

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