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まぼろしのコラムと「落語研究会」

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 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

 TBS落語研究会のプログラムに連載しているコラム「当世噺家気質(とうせいはなしかかたぎ)」を、2003年3月から一度の休みもなく、17年以上も書き続けてきたことを、僕はひそかに誇りに思っている。

 そんな僕の数少ない自慢の一つが、今年になってあっさりなくなった。新型コロナ感染騒動のために、4月28日開催予定の研究会が中止になったのである。その前の3月の会が無観客開催だったので、もしやと思っていたのだが……。

 3月、無観客。4、5月、中止。6、7月、無観客。

 この間、研究会のスタッフは、劇場や演者、関係者らと話し合いを重ね、毎回ギリギリのタイミングで「無観客」か「中止」を選んだ。

 「無観客」の場合は、高座映像とプログラムを、本来そこにいるべきはずの観客に送ったが、「中止」になった4月と5月のプログラムは結局、日の目を見ることがなく、僕のコラムも2回分が「まぼろしの原稿」になった。

 「ものを書く」ことしか能のない人間にとって、「書いたものが誰にも読んでもらえない」という事実がどれほど悲しいかを、僕は身をもって知った。

 研究会にお許しをいただき、まぼろしのコラムのうちの1本、4月分の「柳亭こみちの巻」を当欄で公開する(注1)。まったく同じ原稿ではなく、原文の数か所に加筆・修正を加えていることをお断りしておく。

*     *     *

<当世噺家気質>
柳亭こみちと『妻の酒』

入門19年目の柳亭こみち。「歌って踊れる噺家」が目標。二児の母です。(TBS落語研究会提供)
入門19年目の柳亭こみち。「歌って踊れる噺家」が目標。二児の母です。(TBS落語研究会提供)

 昨年暮れ、寄席の通常興行にひょっこり姿を見せた柳亭こみちを、楽屋の若手連中は不思議そうな目で見ていた。落語芸術協会の芝居(興行)に、所属協会が異なるこみち(落語協会所属)がわざわざやって来るには、何か理由があるはずだ。

 「(ねえ)さん、もしかして、お稽古?」「うん、(古今亭)寿輔師匠に」「えーっ!」

 普段ほとんど付き合いのない落語協会の女流に稽古を頼まれた寿輔本人も、意外そうな顔で尋ねてきた。

 「(いつもの皮肉な口調で)よりによって、この私に? いったい何を稽古してほしいんです?」「『妻の酒』をお願いします」「えーっ!」

 『妻の酒』は、有崎勉(柳家金語楼のペンネーム)が作った昭和の新作だ。『青空おばあさん』など、多くの金語楼作品を手掛けた五代目古今亭今輔の口演で知られたが、現在は孫弟子の寿輔と、若手真打ちの三笑亭夢丸がまれに演じるぐらいである。

 「仕事先で、夢丸兄さんが『この噺、こみちさんに合うんじゃないかな』と教えてくれたんです。『ぜひお稽古を』と願ったら、『本家の寿輔師匠に教わったほうがいいよ』って」

 近年のこみちは、男性が演じるようにできている落語を、女性の演者でも自然にできるようにと、噺の核心部分はそのままに、主役を男から女に変えたり、女性の主要人物を追加するなどの工夫を重ね、独自の「こみち古典」を作るという地道な努力を続けている。

無観客で行われた7月の落語研究会で「堪忍袋」。拍手と笑いはカメラの向こうに…「ところでカメラはどこに!?」(TBS落語研究会提供)
無観客で行われた7月の落語研究会で「堪忍袋」。拍手と笑いはカメラの向こうに…「ところでカメラはどこに!?」(TBS落語研究会提供)

 「妻の酒」は、元々主人公が女房だから、女性が演じても違和感はないし、演者も少なく、短い寄席の持ち時間でもかけられる。夢丸から初めてあらすじを聞いた時、こみちは「これは私のネタになる!」と確信した。

 黄緑の地に銀色の模様が入った「熱帯魚のような衣装」の寿輔と差し向かいで、『妻の酒』を教わる――。極めてオーソドックスな稽古なのだが、何とも不思議な体験だった。

 「『妻の酒』は予想以上に面白かった。でも、時代設定は昭和よりも、もう少し古いほうがいいかなと感じました。そんな私の思いを察していただいたのか、寿輔師匠も『私が教えたものは、後でどんなふうに変えてもかまわないから』と。時代を明治大正期に戻して、同じ夫婦物の『厩火事(うまやかじ)』よりも楽しいネタにしたいなあ」

 当会での口演を前に、4月上席の寄席で『妻の酒』をかけまくろうとしたが、あいにくの自粛・休業でままならず。

 「でも大丈夫、酒飲みの亭主の描写なら、家にも似たような漫才師の亭主(宮田昇)がいるし、女房の私も“在宅”期間中、毎晩飲んでいましたから」(長井好弘)

*     *     *

 あらためてプログラムを見ると、中断前の3月のコラムの通し番号が「その205」で、6月開催の会では「その208」になっている。「まぼろし」のはずの4月、5月分が正規にカウントされているのだ! 研究会の心遣いには、ありがたくて言葉もない。

 コラムの中で「女流落語家としての了見」を語ったこみちは、7月の無観客の会で『堪忍袋』をはつらつと演じていた(注2)。

(注1)もう一本の「まぼろしのコラム」は、「入船亭扇遊と『引っ越しの夢』」。<扇遊は昨年、紫綬褒章に選ばれ、その直後の落語会で『引っ越しの夢』をかけ、「こういう記念すべき高座に夜這(よば)いの噺をかけることをやるというのも……」と言って喝采を受けた。>などという逸話を書いている。

(注2)研究会の会場、国立劇場・小劇場の席数は590。出演者たちは「無観客なのに、こんなに広い会場でやる必要があります?」とギャグにしているが、全く反応のない590の空席に向かって滑稽落語をしゃべるのは、かなりしんどい作業らしい。「それでカメラはどこにあるの?」「後ろの壁のガラスの向こうです」「ぜんぜん見えないよ~」。出番直前のこみちと、その前に高座に上がった入船亭小辰の、舞台袖でのやりとりである。

長井好弘’s eye 一覧は こちら

プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員、日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(大衆芸能担当)。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

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1394465 0 長井好弘's eye 2020/08/07 12:00:00 2020/08/07 12:00:00 2020/08/07 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/08/20200804-OYT8I50012-T.jpg?type=thumbnail

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