「歌丸がいない夏、円朝のいる谷中」

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

 近代落語の祖とされる三遊亭円朝の墓は、谷中・三崎坂(さんさきざか)の途中に山岡鉄舟が開いた全生庵にある。

 毎年猛暑に見舞われる8月11日の円朝忌。落語協会が仕切る法要に混ぜてもらい、僕も必ず円朝の墓にあいさつをしてきた。「おまえさん、何者だい?」と、円朝が不審がっているかもしれないが、演芸の世界の末端の、そのまた端っこで仕事をさせてもらっている僕は、「墓参りを欠かすなんてありえないことだ」と勝手に思っている。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で、今年の円朝忌はごく内輪で行われたため、命日に全生庵を訪れるきっかけを失ってしまった。何とか谷中に行く段取りがついたのは20日のことだ。

 東京メトロ千代田線の千駄木駅1番出口。地上へ出るとたんに、灼熱(しゃくねつ)の陽光が……。横断歩道を渡り、わずかな日陰を伝いながら、黙々と三崎坂を上る。菊見せんべい、千代紙のいせ(たつ)、穴子寿司(すし)の乃池を過ぎ、全生庵の門前へ。ここまでわずか5、6分の道のりなのに、拭うのも嫌になるほど汗が出た。

 本堂裏の墓地。中央奥に鎮座する山岡家の墓に寄り添うように、円朝の墓がある。明治の名人に何を願うのか。手を合わせる間際に考えたって、気の利いたお願いが思い浮かぶはずはない。結局、「よろしくお願いします」と頭を下げるばかりだった。

「趣味は入院、特技は退院」だったのに

噺家生活60周年記念興行でトリを務める歌丸さん。テレビの演芸番組でお茶の間の人気者になっただけではなく、うずもれた古典の復活にも尽力した(2011年5月1日、長井好弘さん撮影)
噺家生活60周年記念興行でトリを務める歌丸さん。テレビの演芸番組でお茶の間の人気者になっただけではなく、うずもれた古典の復活にも尽力した(2011年5月1日、長井好弘さん撮影)

 20日までにお参りできてよかった――。ほっと胸をなで下ろしたのは、国立演芸場の8月中席(11~20日)のトリで、桂歌丸が毎年、円朝作品を演じていたのが今も忘れられないからだ(注1)。

 公演初日の11日、歌丸は円朝忌の法要に参列し、その足で四谷左門町の顕性寺へ回って、若い頃に円朝作品の手ほどきを受けた恩師・先代古今亭今輔の墓にあいさつした後、演芸場の楽屋に入るのがお約束だった。14日は歌丸自身の誕生日で、毎年、どこからか楽屋にケーキが届いた。

 亡くなる数年前から、体調を心配する周囲の声もあって、全生庵には姿を見せなくなっていたが、僕ら参列者は毎年、境内を見回して「歌丸師匠は?」と、「一番太っていた時でも50キロぐらい」というやせっぽちの黒紋付き姿を探したものだ。

 2018年7月2日。僕が歌丸の訃報(ふほう)をきいたのは、出張先の大阪だった。ベタベタと暑いナニワの夏がもう始まっていた。

 動楽亭の昼席で桂吉弥の「青菜」を聴き、終演後に携帯電話の電源を入れたら、関係者からの連絡が入っていた。死因は慢性肺疾患。それまで何度も危機的状況に陥っていたが、そのたびに奇跡の生還を遂げていた(注2)。「歌丸師匠の趣味は入院、特技は退院」と桂竹丸のギャグがよくウケていた。だから、正直、歌丸が本当に亡くなるとは思っておらず、僕はかなり動揺した。

 夜も他の落語会に行く予定だったが、どうせ落語を聴いても頭に入らないと、ホテルに戻った。持ち歩いていたパソコンの中から、それまで歌丸について書いたものを集めてみた。歌丸の体調悪化が進んだ2015年あたりから、年を追うごとに記述が少なくなる。こんなものか? もっとあるだろう? 歌丸とのやりとりをちゃんと書き残していない自分に腹が立った。その夜はなかなか寝られず、午前3時からワールドカップ(W杯)の日本-ベルギー戦を、ラスト30秒のベルギーのゴールまで見たのを覚えている。

「いない夏」…でも、師匠はどこかに

 歌丸のいない国立演芸場の8月中席は今、テレビ番組「笑点」の同志、三遊亭円楽がトリをとっている。その円楽も病気がちだが、高座での集中力は半端ではない。僕が見に行った17日はグルメのうんちくをたっぷり盛り込みながら、「ちりとてちん」を丁寧に演じていた。

 終演後、楽屋口にいたら、演芸場のスタッフに声をかけられた。

 「歌丸師匠のときは、毎日のように来ていたのに。最近はちょっとお見限り?」

 ニコニコ笑いながら、鋭いことをいう。そのとおりだから、反論もできない。

 晩年の歌丸は、酸素吸入のチューブをつけたままの壮絶な姿で円朝作品を長講した。一席終わった後は、声をかけるのもはばかられるほど憔悴(しょうすい)した様子で、「ちょっと待って」といいながら、ハアハア(あえ)いでいた。「師匠は命を削っている」とお弟子さんが言っていた。夏の国立演芸場から足が遠ざかるのは、ここに来ると、あの歌丸の姿を思い出してしまうからだ。

 「歌丸のいない夏」が繰り返されても、国立演芸場や全生庵のどこかに歌丸の気配が残っている。「歌丸のいる夏」は、まだ続いている。

(注1)歌丸は1980年代から毎年、国立演芸場8月中席のトリをとっており、94年に初めて「怪談牡丹燈籠(ぼたんどうろう)・栗橋宿」を演じて以来、当席で円朝作品を手がけるのが恒例になった。

(注2)「手術というものを、6度経験しました。40代でヘルニアの治療をしたのが始まりで、鼻の手術、胆のう摘出、急性汎発性腹膜炎、そして腰痛の治療で2回――」(2011年8月31日付本紙、「時代の証言者」25回目より)。この後、さらに過酷な入院歴が重ねられたのはいうまでもない。歌丸には中年の頃から「病気のデパート」と「不死鳥」という二つのあだ名があったのである。

長井好弘’s eye 一覧は こちら

プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員、日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(大衆芸能担当)。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

無断転載・複製を禁じます
1436344 0 長井好弘's eye 2020/08/28 12:00:00 2020/08/28 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/08/20200826-OYT8I50017-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

アクセスランキング

新着クーポン

NEW
参考画像
500円400円
参考画像
ランチでご来店のお客様にジェラートをサービス
参考画像
アクティビティご利用でソフトドリンク1本サービス

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)
ページTOP
読売新聞社の運営するサイト
ヨミダス歴史館
ヨミドクター
発言小町
OTEKOMACHI
元気ニッポン!
未来貢献プロジェクト
The Japan News
YOMIURI BRAND STUDIO
美術展ナビ
教育ネットワーク
活字・文化プロジェクト
よみうり報知写真館
読売新聞社からのお知らせ