ひねりや、にせ金、磯の鮑――「禁演落語」の夏が終わる

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 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

浅草演芸ホール正面にある出演者の写真付きボード。解説を務める私(長井)のもあります。
浅草演芸ホール正面にある出演者の写真付きボード。解説を務める私(長井)のもあります。

 浅草演芸ホールの8月下席(21~30日)夜の部は、「禁演落語の会」と決まっている。

 禁演落語とは、真珠湾攻撃直前の1941年10月、「時節柄ふさわしくないネタ」として、田原町・本法寺の「はなし塚」(注1)に封印された53種の(はなし)のことだ。その内訳は、6~7割が廓噺(くるわばなし)で、残りは間男(まおとこ)(不倫)もの、犯罪物、下ネタなどだ。落語関係者は、これら53種の口演を自主規制することで、他の数百のネタを救おうと考えたのだ。

 400年以上ともいわれる落語の歴史の中に、落語家が落語を自由に演じることができず、僕ら観客が好きなネタを聴くことができない時代があった。そんな歴史を忘れないようにと、「はなし塚」から一番近い寄席、浅草演芸ホールで実際の禁演落語を演じることになった。

埋もれた噺に再び光を

 とはいえ、普通の寄席でいきなり「禁演落語」が始まったら、観客は混乱する。それなら識者の解説が必要だという話になったのだが、そうして呼ばれた識者の中に、どうして僕が入っているのか、詳細は不明である。

 以来十数年、いつの間にか、解説者としては僕が一番の古株になった。こんなに長いこと続くとは思っていなかったので、初期の頃はメモすら取っていない。「十数年」と言ったが、正確にはいつから始まったのか。出番前の楽屋で首をかしげていたら、禁演落語の演じ手の一人、桂夏丸が教えてくれた。

 「2003年ですよ。あたしはその年に入門して、禁演落語の楽屋で前座修業をしていたんだから」

 思い出した。03年の楽屋にいた、色白で、鉛筆のように細長い前座は、まぎれもなく若き日の夏丸だった。(注2)

 「禁演落語の会」も僕の落語解説も、今年で18回目を迎えていたのである。

 当会の真価は、戦時中に封印されるという不幸な過去を持つ「禁演落語」を、どれだけ現代によみがえらせたかということにも現れている。

 二ツ目時代から数多く出演している雷門小助六の手柄は、「ひねりや」を復活させたことだ。

 ひねりや(=変わり者)の家に生まれた若旦那が、「ひねった遊びをしなければ勘当する」と父親に脅かされ、大八車に乗って吉原へ行き、緑青(ろくしょう)のわいた酒を飲む。あまりきれいな噺ではないが、自身も若旦那然とした小助六のキャラクターもあって、観客は嫌な思いをせずに聴くことができる。「これは掘り出し物だ」と春風亭小柳、春風亭柳若らも演じるようになって、今や「禁演落語」の定番となった。

 その頃ほとんど演じ手がいなかった「磯の(あわび)」を生き返らせたのも小助六だった。初めての遊郭で舞い上がる主人公・与太郎が楽しく、吉原入門的なうんちくもたっぷり。現在では、若手の人気者、柳亭小痴楽の得意ネタになっている。

 瀧川鯉朝の「にせ金」、橘ノ円満の「おはらい(別名、大神宮)」は、彼らが演じるまで、ほとんどの観客が「題名は知っているが、生で聴いたことはない」という珍品だった。

 もちろん、成功ばかりではない。「廓大学」に挑戦した鯉朝は、四書五経の「大学」を説明するのに苦労した。小助六の「万歳の遊び」も三河万歳の再現ができず、どちらも一度だけの口演でお蔵入りになった。

 勝ったり負けたり。「禁演落語」の曲者(くせもの)ネタと、気鋭の落語家との戦いは毎年繰り返されている。

「立体解説」もお楽しみに

 僕の「禁演落語解説」も、それなりの変遷をとげた。初めはスーツ姿の立ち高座で真面目に背景説明をした。その後、浴衣姿で釈台を前にくだけた解説のスタイルに。

 ここ数年、再び立ち高座に戻ったのには理由がある。廓噺の主舞台となる吉原への道筋を説明するには、大きな地図が必要だが、寄席に備品がないので、前座の体を地図に見立て、立体的な(?)解説方法を実践しているのだ。

 生身の前座を「人間地図」にするのは失礼だが、彼らは顔と名前を知ってもらえるし、後でわずかなご祝儀を渡していることもあって、今のところ文句は出ていない(注3)。一応、僕も漫然としゃべるばかりでなく、必要な禁演情報を観客へ効果的に伝えるべく、日夜知恵を絞っているのである。

 今年の僕の出番は、26~30日と5日連続だった。そのうち4日、夏丸が出演し、桂歌丸直伝の「城木屋」や、当会で何度もトリを取った故・三遊亭金遊仕込みの「後生鰻(ごしょううなぎ)」などを演じてくれた。「禁演落語の会」の幕開けに新米前座として走り回っていた夏丸が、4年後に二ツ目となり、そのまた11年後に真打ち昇進を果たして当会の主要演者として戻ってきた。

 夏丸の出世を横目に見ながら、僕は相も変らぬ解説の高座に立っている。18年目に入って、僕の解説はそれなりに練り込まれ、笑いも多くなった。最近は「禁演落語解説漫談」と後ろに「漫談」をつけて呼ぶ人もいるという。その真意は定かではないが、ほめてもらった、ということにしておこう。

(注1)「はなし塚」の題字を揮ごうしたのは当時の落語界の大立者、鶯亭金升(おうてい・きんしょう)だった。元新聞記者で、狂句・雑俳の選者をし、落語の本を出した。本名を、長井総太郎という。僕と血縁関係はないが、なぜか他人とは思えない。

(注2)「禁演落語の会」の最初の興行で、僕がスーツで高座に上がる直前、前座の夏丸が「あのー、座布団はどうしましょう?」と大真面目に尋ねてきた。スーツ姿で座布団にすわって解説するやつはいない。あきれて肩の力が抜けたので、慣れない解説仕事がスムーズにいった。当人も覚えているらしく、「あの時は、へへへ、むにゃむにゃ……」。

(注3)最近二ツ目に昇進した若手に祝儀を渡したら「前座時代の思い出は、『人間地図』で日本橋界隈(かいわい)になったことです」という。そんなのが思い出で、いいのかしら?

長井好弘’s eye 一覧は こちら

プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員、日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(大衆芸能担当)。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

無断転載・複製を禁じます
1451385 0 長井好弘's eye 2020/09/04 12:00:00 2020/09/04 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/09/20200901-OYT8I50064-T.jpg?type=thumbnail

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