「さん喬・権太楼」セットの底知れぬ「落語力」
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「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。
落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

柳家さん喬と柳家権太楼。落語界の両雄を、僕ら観客は、いつのころからか、「二人セット」で考えるようになった。
両者が出演する会があれば、観客は「さん喬の『柳田格之進』と、権太楼の『居残り佐平次』はどちらが良かったか」などと、必ず演目とその出来具合を比較する。
演芸情報誌「東京かわら版」で、さん喬が出演する落語会を探す読者は、例外なく権太楼が出る落語会にもチェックを入れているはずだ。
1980年代後半に池袋演芸場で始まり、新宿末広亭の
二人の共通点は多い。「団塊の世代」を代表する落語家で、どちらも「五代目柳家小さん門下にこの人あり」と言われ、寄席やホール落語会に欠かせぬ存在となり、相次いで芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章に輝く――。
あらためて見ると、ものすごい共通点ばかりだが、相違点の方は「すごい」の他に「面白い」がついてくる。
優しく繊細、やや演劇的な人情
人情ものの名手と、爆笑落語の申し子。まるでタイプの違う二人なのに、意外にも共通の持ちネタが多い。ところが、「
さん喬十八番の「井戸の茶碗」は、善人ばかりの登場人物が意地の張り合いをするが、やがてお互いの思いの強さ、深さに打たれ、強い絆が生まれるという人情物語だ。これに対して権太楼版は、意地の張り合いがほどよく誇張され、元気いっぱいのコメディーになっている。
9月5日の「ザ・柳家権太楼」の高座で、権太楼は「毎年4席やってきたが、もうできません」と言いつつ、「これからも、落語を諦めることはない。笑える落語、ウケる落語を目指す」と73歳の「了見」を客席に訴えた。
こんな権太楼を見たら、さん喬にも会いたくなる。同月8、9、10日、東京・水天宮の日本橋劇場で開かれた「さん喬ひとりきり三夜」へ足が向いた。
さらに練り上げた「塩原多助」に期待
同会の呼び物は、三遊亭円朝作の長編「塩原多助一代記」(注2)の通し口演だ。「一度に4席」と格闘する権太楼と同じ時期に、「3日で『塩原』の通し」に挑戦するさん喬。功成り名遂げた重鎮が、古希を過ぎてなお、過酷な企画に挑むのはなぜか。「そこに落語があるからだ」というのは答えにならないが、二人を見ていると、彼らの思いはそこにしかないのだという気がしてくる。
3日間、「塩原多助一代記」だけをやるのかと思ったら、会の前半は、普通の落語を数席演じ、さらに後半、「塩原」を1時間前後、連続で口演するのだった。2日目は、昼間、埼玉県和光市の独演会で3席やって、その足で「三夜」に駆けつけ、「
注目の「塩原」はどうだったのか。2夜目の開演前に少しだけさん喬と話した。
「今春の会でやろうと力を入れた途端、コロナで秋に延期になった。一度しぼんだ気持ちを立て直すのに苦労しました」
今回は、高座に釈台(講釈用の見台)を置き、その上に台本を広げていた。覚えていないのではなく、まだ全体が固まっていないので、確認用に台本を置いているという感じだった。口演自体も、個々の場面は粒立っているが、全体を通すと、多彩な登場人物の出し入れや、筋のつなぎ方に不自然な部分が残っていたように思う。
「『塩原多助一代記』は、てごわい噺です……。どっこも面白くない(場内爆笑)」
そう思っているなら、「塩原」を今回限りにせず、さらに練り上げて再演してほしい。だが、そんな心配は余計なお世話だった。終演後、僕が四の五の言う前に、さん喬は笑顔で話し出した。
「限られた時間の中でも、主要な登場人物の場面をちゃんと立てないとね。今日の高座の録音を聴き直して、台本を書いてくれた黒田絵美子先生と検討します」
さん喬の口ぶりから、またいつか、ではなく、かなり近いうちに「塩原多助一代記」の再演があると、僕は確信した。
「ザ・柳家権太楼」と「さん喬ひとりきり三夜」を続けて聴いて、「セット」の二人に新たな共通点を付け加えたくなった。
70歳過ぎても、常に未来を見すえ、落語を諦めないという強い気持ちと、衰えを知らぬ技術。それこそが二人の「落語力」である。
(注1)寄席用語の解説をする時、必ず例に上がるのが「余一会」だ。寄席は10日間を単位に興行し、1~10日は
(注2)次々に襲いかかる試練を乗り越え、身を慎み、刻苦精励して、立身出世を果たし、落ちぶれた塩原家を再建――。「塩原多助一代記」は、維新を経験し、列強と肩を並べるべく奮闘した明治の人々の絶対的な支持を受け、円朝作品随一の人気を誇った。だが、時代は変わり、大長編の上、登場人物が数多く、展開も複雑で、笑う場面がないという「やっかいな噺」の演者は減り、円朝作品ナンバーワンの座は、「
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