国立劇場とコロナと「歌わない市馬」

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 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

十八番の、三波春夫「俵星玄蕃」を熱唱する市馬。「小学校6年生の時からだから、40年以上歌ってます」 こんな姿が今回も見たかった。
十八番の、三波春夫「俵星玄蕃」を熱唱する市馬。「小学校6年生の時からだから、40年以上歌ってます」 こんな姿が今回も見たかった。

 「柳亭市馬」という名で、清く正しい落語ファンは何を思い浮かべるだろう?

 その1。五代目柳家小さんの芸を受け継ぐ「柳家」本流の本格派。

 その2。所属真打ちが200名を超す大組織「落語協会」の会長を2014年から務める落語界の「顔」。

 その3。「戦前戦後の流行歌を、一番だけなら歌詞を見ずに1000曲歌える」と豪語し、日本歌手協会会員として五木ひろしとデュエットを披露した「歌う落語家」(注1)。

 三つのうち、「どれか一つ」と言われれば、我々は迷わず「3」を選ぶだろう。

 そんな市馬が9月16日に、1600人収容の国立劇場大劇場で「市馬落語集スペシャル」を催すと聞けば、「ギンギラ衣装に身を包み、横長の大舞台で、三橋美智也、春日八郎、三波春夫、バタヤン(田端義夫)、淡谷のり子、その他僕らが見たことも聞いたこともない昔の歌手の持ち歌(注2)を歌いまくる市馬の晴れ姿」を夢想せぬはずがない。

 だが、夢はかなわなかった。プログラムにいきさつが書かれている。

 「本来ならば三十名のオーケストラでの歌謡コンサートと出演者総勢三十名による唄入り鹿芝居(しかしばい)(注3)という大イベントを企画して(中略)稽古準備に入る間際にコロナが全世界に蔓延(まんえん)し(後略)……」

 その代替公演として、「原点に帰っての(はなし)競演」を打ち出した主催者の見識と覚悟に拍手を送りたい。

昭和の名人ゆかりの二席を

 売り出しの若手・入船亭小辰が露払い。春風亭一之輔、柳家喬太郎という人気のゲストを向こうに回し、太田その&柳沢きょうのお囃子(はやし)コンビによる清元「吉野山」を彩りに、市馬が小さん譲りの「首提灯」と、三遊亭円生十八番の「猫忠(ねこただ)」の二席をたっぷりと。

 実はプログラムの番組表の、トリの市馬の項に「お楽しみ」と書かれていた。「師匠はネタの中で、絶対何か歌ってくれるよ」と予想するご常連たちのうれしそうな顔、顔、顔。

 だが、この日の市馬が高座で歌うことはなかった。これもまた、彼の覚悟の現れなのだろう。

 その代わりというわけではないが、喬太郎が自作「母恋くらげ」の中の、古手のバスガイドが歌う場面で小坂一也の「青春サイクリング」、灰田勝彦の「野球小僧」、守屋浩の「僕は泣いちっち」など、懐かしの歌謡曲を披露した。こういう会でこのネタを選ぶ喬太郎、にくいヤツである。

 国立劇場大劇場でのスペシャル独演会という、これ以上ないほどの舞台が用意されているのに、大好きな昔の歌を歌わなかった。市馬はこの日、「首提灯」と「猫忠」の二席を、さわやかに、おおらかに歌い上げたのである。

(注1)市馬は浪曲もうまい。横浜にぎわい座で相模太郎の「灰神楽三太郎」を完全コピーして聞かせ、名人曲師の沢村豊子をうならせた。相撲甚句は本職はだし、民謡も達者。

あきれたことに、邦楽ばかりではなく、スタンダード・ジャスもこなすらしい。

(注2)恥ずかしながら、僕はオリジナルを知らず、市馬の高座だけで覚えたナツメロが何曲もある。「東京の屋根の下」や「サーカスの唄」、「建設の歌」もそうだ。僕の方が市馬より年上なのに……。

(注3)ハナシカばかりが出る芝居だから、シカ芝居という。役者の衣装を付けた噺家は皆、普段の高座よりも真剣である、ような気がする。

長井好弘’s eye 一覧は こちら

プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員、日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(大衆芸能担当)。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

無断転載・複製を禁じます
1498189 0 長井好弘's eye 2020/09/25 12:00:00 2020/09/25 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/09/20200923-OYT8I50020-T.jpg?type=thumbnail

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