「伯山」が「スペシャル」だった夜

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 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

 11月12日開催の「よみらくご19・神田伯山スペシャル」のプログラムに、いろいろなことを書かせてもらった。

 見開きの右ページには、書家・大澤城山師の自在な筆が躍る「伯山スペシャル」の文字と、いつもより長めのコラムを配した。

 <今回は、初めて「落語の出演がない、講談だけの会」をお届けする。「よみらくご」の看板に偽りあり? いやいや、「読売が自信をもって提供する、落語とその仲間たちの会」が「よみらくご」の本質だ。より正確にいえば「よみらくご(たち)」なのである。>

 今回の企画とその意義を語るうちに、「よみらくご」が複数形になってしまった!

 左ページのメインは、出演者紹介だ。毎回、当欄は、冒頭に生年と出身地がある以外、経歴とおぼしき記述がない。「何年に誰に入門し、二ツ目昇進が何年」なんて情報は、ネットですぐに調べられる。それより僕らが知りたいのは、出演者の「今」なのではないか。そんな思いがあって、今回も、昨日、今日、明日の伯山に絞って書いた。

 さらに今回は、501人収容という演芸としては大きな会場での開催であり、新聞を見てチケットを購入していただいた初心のお客様も多いことから、講談用語事典をおまけにつけた。「釈場」「張り(おうぎ)」「修羅場」など、ご常連ならどれもどこかで聞いたことがある言葉だろうが、あらためて由来や逸話を読めば、「神田松鯉(しょうり)師は張り扇をパンパンと叩くのではなく、ポンポンと打つ」など、意外な発見もあるはずだ。

 とにかく、やたらに読み物が多い。今回はプログラムもまた「スペシャル」なのである。

 ただ、いつも一番目立つ所にあるはずのアレがない。そう、アレとは、「本日の番組」のことである。

プログラムから消えたものは

 実は本番直前まで、「よみらくご」チームの全員が、伯山から当日の読み物を知らされていなかった。もちろん、会を運営するにあたっての具体的な作業は、双方で念入りに話し合い、情報の共有もさせてもらった。だが、演目に関しては……。

 「任せてください」「任せます」

 これだけのやり取りだったのである。

 伯山から最良のパフォーマンスを引き出すには「自由にやってもらう」のが一番だというのが、彼との長い付き合いで学んだことだ。だから、プログラムから「本日の番組」が消えた。というか、書きようがなかったのである。

 伯山は当日、早めに楽屋入りをするなり、ホールの高座に上がって、劇場スタッフと照明や音響の打ち合わせを始めた。僕は邪魔にならないように客席後方のドアの脇に立ち、伯山の言葉の端々から「今日の読み物」を知ろうと耳を澄ませた。

 「両国橋の下を屋根船が通る」「伯山が出てくるネタ」「江戸へ向かう船が大時化(しけ)に遭遇」――うん、だいたいわかった。全部で三席、しかも大きなネタばかりではないか。

 そのうち、場内を暗転し、三味線、太鼓を入れてのリハーサルが始まった。暗転も鳴り物も、講談ではあまり、というかほとんど使うことはないはずだ。

 今日の伯山は攻めている――。開演時間ギリギリまで続く稽古を見ながら、僕は背筋が伸びるような気がした。

 開口一番は、松鯉門下の前座、松麻呂と鯉花(りか)だった。伯山は「せっかく来ているのだから」と、二人とも高座に上げることにしたのだ。

 鯉花は、松鯉の弟子なら必ず最初に教わるという軍談「三方ヶ原軍記」を生真面目に。ちょっと先輩の松麻呂は「宮本武蔵伝」の「灘島の決闘」を歯切れ良く。だが、2人の持ち時間はわずか5分! それでも満員のホールの空気は十分すぎるほどに感じてくれたはずだ。

真打ち登場

 そしていよいよ伯山の登場だ。注目の一席目は「文化白波・鋳掛松(いかけまつ)」である。

 今夏、宝井琴調(きんちょう)に教わったばかり。琴調の稽古は細かく丁寧で、最後は「好きにやれ」と言われたと笑う。主人公の松五郎が「暑い、暑い」を連発する物語を、11月の半ばになっても精力的に演じている。伯山は、よほどこのネタが気に入ったようだ。「講釈師の時季(とき)知らず」(注)という言葉はあっただろうか。

 貧しくても愚直に生きた父を慕い、己も鋳掛け屋としてぶれずに暮らしてきた松五郎が、なぜ盗賊に身を投じる決心をしたのか。酷暑の両国橋で、枝豆売りの親子の窮状に心を痛める松五郎の耳に、橋の下、隅田川を下る屋根船の中から、にぎやかな歌が聞こえてくる――。「歌え、歌え。三味線をかき鳴らせ」と酔った旦那衆の嬌声(きょうせい)に、実際の三味線の音がかぶる。そうか、ここで鳴り物を入れるのか! 旦那衆が(あお)るので、三味や太鼓の音がどんどん大きくなる。それが最高潮に達した瞬間、松五郎の怒りが爆発する。

 「うるせえ、黙れ!」

 鳴り物を入れるならここしかないという場面。三味線の音が大きくなっていくのに合わせて、自らのギアを最大限に上げた伯山の絶叫が、満員の客席に(とどろ)いた。

 一旦(いったん)、袖に下がって水分を補強した伯山の二席目は「東玉と伯円」だ。江戸後期の大名人・桃林亭(とうりんてい)東玉と、のちに初代松林亭伯円となる神田伯海こと源次郎の芸道物語。このネタを十八番とする一龍斎貞心から教わったばかりという。源次郎と同門で、生涯のライバルとなるのが初代神田伯山。これを六代目伯山が読むというのがまた面白い。伯山は、物語の最後に付け加える形で、二代目伯山以降の代々の人と芸を語り、ついには自らの襲名の経緯にまで触れていく。伯山が江戸の芸道苦心談を令和の襲名問題につなげたことで、「東玉と伯円」は一回り大きな物語になった。

 一席、二席ともに45分という長講。中身は時間以上に濃いものだった。「これで終わってもいいな」と満足した観客も多かったことだろう。

 舞台袖の伯山は涼しい顔で、汗も目立たない。そういえば、松之丞時代に比べて、伯山は汗をかかなくなった。

攻める伯山、トリネタは……

長講3席を熱演した伯山。まさに「スペシャル」な夜になった。(11月12日、よみうり大手町ホールで)
長講3席を熱演した伯山。まさに「スペシャル」な夜になった。(11月12日、よみうり大手町ホールで)

 「これで三席目に、おなじみの『万両婿(まんりょうむこ)』をやれば、会としての収まりもいいし、お客さんには満足してもらえるでしょう」

 出番前、伯山はそんな内容のことを言った。僕もそう思うが、今日に限ってそれはない、ということを僕は知っている。今日の伯山は「スペシャル」なのだ。

 トリの高座。短いまくらのあとで、伯山が「それでは『徳川天一坊』を」と言った途端、客席から大きな拍手が湧き上がった。「今日の伯山は攻めている」と皆が知った瞬間だった。

 初代伯山が「伯山は天一坊で蔵を建て」と評判をとり、大師匠にあたる二代目神田山陽が十八番にした。連続講談「徳川天一坊」は、六代目伯山がどうしても避けては通れない大きな「山」である。

 「師匠から稽古はしていただいているんだけど、襲名やらコロナやらで、ちょっと時間が空いてしまった。まだコンプリートしていないんです」

 この日も伯山は、開演前はずっと楽屋にこもり、台本をさらい、お囃子(はやし)の成田みち子さんと鳴り物のきっかけを確認していたようだ。

 八代将軍徳川吉宗の落し(だね)が、自分と同じ年月日の生まれであると知った修験者の少年が、己がご落胤(らくいん)になりすまそうと企む。人を殺し、故郷を後にし、身分を変えて商人・吉兵衛となる。十分な資金をこしらえ、さあ江戸へ乗り込もうと乗った船に激しい嵐が襲いかかる。尋常ならざる暴風雨に翻弄(ほんろう)される吉兵衛。

 伯山はここで鳴り物を入れた。大波をかぶり、船が大破し、ついには岩にぶつかる。それまで鳴り続けていた太鼓がひときわ大きく鳴り響くやいきなりの暗転だ。暗闇の静寂の中、吉兵衛が息を吐く音が少しずつ大きくなって――。スリリングな展開。伯山の切れ味鋭い演出で、客席の暗闇まで大きく感じる。

 伯山はこの暗闇の緊張感を醸し出すため、三席目の冒頭から、舞台袖の照明を完全に落とした。僕ら関係者は、モニターの光もない暗闇の中でずっと伯山の声を聴いていたのである。

 「連続物の一席目と最終話は面白くないと言われますが」という伯山のまくらに笑っていた客席も、「天一坊」の序開き(第1話)がこれほどのものになるとは思っていなかったろう。

 近い将来、伯山が「徳川天一坊」全話を手中に収めた時、無類の面白さに彩られた「天一坊の生い立ち」はさらなる光を放つことになるだろう。

 結局、トリも含めて三席すべてが45分の長講になった。時間も内容も伯山の意気込みも、「スペシャル」としか言いようのない夜になった。

 「疲れたなあ、そういえば食事もしていなかったなあ」と僕らが楽屋通路で立ち尽くしている時、伯山は休む間もなく、テレビ番組「アナザースカイ」の長いインタビューに応じていたのだった。

(注)落語家は、ひいき客の注文などに応えるため、あえて季節感を無視したネタを演じる時に (はなし) のまくらで「噺家の 時季(とき) 知らずと申しまして」と言い訳することがある。講談でもそんな言い方があるのかしら?

長井好弘’s eye 一覧は こちら

プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員、日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(大衆芸能担当)。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

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1638938 0 長井好弘's eye 2020/11/20 12:00:00 2020/11/20 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/11/20201118-OYT8I50031-T.jpg?type=thumbnail

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