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【追悼】もっとおしゃべりしたかった――人間国宝・貞水の旅立ち

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 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

豊富な持ちネタ、そして芝居さながらの「立体怪談」。亡くなる間際まで高座をつとめ、伝統話芸の灯を守ってきた(2017年11月撮影)。
豊富な持ちネタ、そして芝居さながらの「立体怪談」。亡くなる間際まで高座をつとめ、伝統話芸の灯を守ってきた(2017年11月撮影)。

 一龍斎貞水。享年81。重厚と軽妙の間を自在に行き交う、あの名調子。そして高座を下りた後、先人の珍談奇談や仲間の悪口(?)を「講釈師、見てきたように」と並べる時の歯切れ良すぎる東京言葉を、何度も聴くことができた。でも、もっともっと、貞水の至芸に触れたかった。楽屋で、ここには書けないような面白逸話を聴きたかった……。

挑戦また挑戦、「立体怪談」で新境地

 2002年に「人間国宝」に認定されて以来、いや、そのずっと以前から、文字通りの「ミスター講談」として、長く低迷を続けている伝統話芸の巻き返しのために、ありとあらゆることに挑戦した。

 公式ホームページの「演目一覧」には、得意の怪談ものを筆頭に、赤穂義士伝、世話物、白浪物、お家騒動、侠客伝、政談、力士伝、軍談、武芸物、新作文芸物等々、講談の全ジャンルを網羅しているのではないかと思えるほど、膨大な持ちネタが並んでいる。

 「講釈師になったって、(講談専門の)本牧亭に客が来ないし、他に仕事もない。ネタの稽古をするしかやることないもんね」(注1)

 「食うため」に始めたキャバレー廻り。「お化けの貞山」と呼ばれた七代目一龍斎貞山の指導を受けた怪談が当たり、後に照明や大道具など工夫を重ねて、独自の「立体怪談」を作り出した。

 苦労人だけに、実際の高座から「国宝」の堅苦しさは微塵(みじん)も感じさせなかった。

 「古いお客さんがね、『最近は上手な人が多くなったけど、名人はいなくなったなあ』と言うから、『どういうのが名人なんです?』と聞いたんだ。そしたら、『(講談の後)家に帰っても、興奮して寝られなくなる芸をやる人』だって。もっともな話だなあと思っていたら、この間、『貞水、お前の講談聞いた後、寝られねえんだ』と言われた。『こりゃあ、いよいよオレが講談界をしょって立つ時代が来たか』と思ったよ。『本当に寝られませんか?』『バカヤロー、お前がやってる時に寝ちゃうから、帰って寝られねーんだよ!』」

 いつもこんな調子なので、こちらも構えず、気軽に何でも話しかけてしまう。

 「先生、読み物の多さなら負けませんね」「何、言ってんだ。メニューの多い居酒屋にはろくな店がないだろ」

昔の講釈場の空気が吸いたくて

明朗快活で、国宝の堅苦しさを感じさせない人だった。(今年6月撮影)
明朗快活で、国宝の堅苦しさを感じさせない人だった。(今年6月撮影)

 晩年は、東京・湯島天神の参集殿で毎月開く「連続講談の会」がホームグラウンドだった。そして僕にとっても特別の会だった。寄席でもなく、ホールの会でもなく、いわゆる独演会、勉強会とはひと味もふた味も違う。

 貞水の膨大過ぎる持ちネタの中から、「緑林五漢録(みどりのはやしごかんろく)」「仙石騒動」「四谷怪談」など、「連続物」と呼ばれる大長編を、毎回1席、1時間近い長講で読み継いでいく。どこからどこまで読むという決まりはなく、貞水の思い出すまま読み、思い出さない場合は脱線に脱線を重ねて、善良な(?)観客を翻弄(ほんろう)する。そんな空気が吸いたくて、僕は何年も飽きずに通っているのである。

 「俺もよく知らないけど、昔の講釈場って、こんな感じじゃなかったのかな。その日どうなるかは講釈師まかせ。毎回、聞いたこともないような連続物をボソボソ読んで、『何だかわからねえや』とお客が首を傾げてるんだから」

 「湯島」はまさにそういう会だった。もっとも、貞水はただ好き勝手をやっているわけではなかった。

 貞水は肺がんを公表しており、何年も前から治療-復活-再び不調-新薬投与を繰り返していた。

 「いよいよクスリが効かなくなった。今度、何か変調が起きたら、もう打つ手がありません」

 こんな話を関係者から耳打ちされたのは、今年の夏のことだ。以来、できるかぎり貞水の高座を追いかけていたが、不安定な高座が続くかと思えば、「本当にこれが病人なの?」と疑うほどの素晴らしい芸を見せてくれることもあった。(注2)

最後の高座で

 そして11月25日。これが最後の高座になるとは思ってもいなかった。

 いつものように、トリの貞水の前に、お弟子さんたちが高座に上がる。貞橘は「幡随院長兵衛(ばんずいんちょうべえ)・芝居の喧嘩」をネタおろし。続く貞友が「まだ数回しか掛けていない」という「幸助餅」を読む。このあたりから、ぴりりと緊張感が走る。

 長めの休憩の後、貞友がなぜか再び登場した。

 「師匠の着替えに時間がかかっているようで、『お前、もう一回出ろ。10分つなげ』と言われまして」

 彼女は10月の会でも、高座着を着替え終わった後に「時間をつなげ」と言われ、自分の一席のあと、相当長い時間、漫談をやらされていた。

 そしてようやく貞水が登場した。この日のネタは「金毘羅利生記(こんぴらりしょうき)」。剣客・田宮坊太郎の仇討ちのお話なのだが、この日で3回目を迎えたというのに、本筋に入る前段階の紀州藩のお家騒動がまだ続いている。いつになったら、主人公の坊太郎が登場するのだろうか。

 貞水は「喉が渇く」と何度も、釈台の脇に常備している湯呑から白湯を飲み、舞台袖にいる貞橘にお湯のおかわりを持ってこさせる。明らかに普通の調子ではないが、僕ら観客は貞水の心配をするより前に、高座に惹きつけられてしまった。貞水の講談が面白すぎるのである。

 講談師でも落語家でも、普段やらないネタを掛ける時は、事前に台本を読むなど「さらう(予習する)」という作業をする。ところが貞水は、体調のこともあり、あまりさらわない。だから、高座で、登場人物の名前やら、武家屋敷の所在地など、固有名詞が出てこないなんてことが、しばしばだ。だが、貞水は少しも慌てず、本筋を中断して、昔の講釈場の思い出や、懐かしい名人上手の逸話をしゃべりだす。そして、固有名詞を思い出すと、忽然(こつぜん)として本編の続きを読み出すのである。

 行ったり来たりで40~50分たったころ、ふと貞水が目を上げて、舞台袖の弟子に声をかけた。

 「おい、貞橘。俺、こんな調子でやってていいのか。そろそろ時間じゃないのか」「(気のない調子で)はい、そうですね」

楽屋でも終わらない雑談

 終演後は、いつも楽屋を訪ねることにしている。以前、用があるので楽屋に寄らずに帰ったら、「この間はなぜ来なかった」と叱られたことがある。

 「先生、体調、どんな感じなんですか?」

 「うん、その日に高座に上がってみないと、いいのか悪いのかわかんないんだよ」

 そんな状態の貞水だから、長講を終えた後、これ以上の負担はやかけられない。すぐに退散しようと腰を上げかけるのだが、貞水の雑談が終わらない。今日は「思い出し、思い出し」の高座だったが、一度思い出してしまうと、エンジンがかかってしまい、おしゃべりがとまらなくなるようだ(注3)

 「先代の神田松鯉、おじいさんの松鯉がね、『五代目神田伯山が侠客物を読むと、出てくる連中がみんな大親分に聞こえる。小金井芦州が読むと、みんな半端な三下ヤクザになっちゃうんだ』と言ってたよ」

 こうなると、高座も楽屋も変わらない。このままずっと貞水の話を聞いていたいという気持ちを必死で抑え、席を立った。

 「先生、また聴きに来ます!」「おう、よろしくな」

 この「湯島」の会の2日後、27日朝に、貞水は「胸が苦しい」と訴えて救急車で病院に運ばれた。そして、そのまま湯島天神男坂下の自宅に戻ることなく、12月3日午前3時35分、旅立った。

 あの時の楽屋の会話が最後になると知っていたら、もっと気の利いたことを言いたかった。先生、もっとおしゃべりしたいよ。

(注1)「若い頃は客がいないから畳の目を見ながらしゃべっていた。なまじ客がいるとやりにくくてさ」

(注2)「大丈夫だよ。昔はいつも二日酔いだったから、抗がん剤の気持ち悪さなんて慣れっこになってる」とは言うものの、一時は薬の副作用で顔が丸くなり、「こんな円満な顔じゃ、怪談ができねえ!」とぼやいていたこともある。

(注3)2016年だったか、江戸東京博物館の大ホールに貞水、柳家権太楼、玉川奈々福を招いて「怪談三景」という会を催した。講談、落語、浪曲の怪談をまとめてきこうという企画に、おまけとして、出演者の 鼎談(ていだん) も付けた。本業の熱演が続いて時間が押し、鼎談はいいところで幕となったが、貞水は話し足りないらしく、舞台袖に戻った後、そこにいた僕を捕まえて、話の途中だった「キャバレーでの講談営業」(!)のエピソードを、次の権太楼の出番の間、ずっと話してくれた。これは最高に面白かったのだが、とても鼎談では言えない内容だったことだけ記しておく。

長井好弘’s eye 一覧は こちら

プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員、日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(大衆芸能担当)。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

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1691106 0 長井好弘's eye 2020/12/11 12:00:00 2020/12/11 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201209-OYT8I50066-T.jpg?type=thumbnail

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