冬晴れの週末、昼下がりの「バレ噺」
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「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。
落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

「僕らの時代、寄席は
昭和20年代の後半だろうか、矢野誠一さん(注1)は制服姿でカバンを提げ、明らかに「今日は学校をサボりました」といういで立ちで、新宿末廣亭の木戸をくぐるのが日課だった。もちろん、本当にサボっていたのである。
「悪いことだという思いはありました?」
「興奮とやましい気持ちがないまぜになって、ああ俺は悪所にいるんだなと思ったね。当時としても、立派な不良学生だよ。名人上手も見たけれど、覚えているのは売れない
不良を気取る矢野さんのような学生は、いつの時代も存在するのだろうが、寄席のほうは、ごく一部を除いて建物自体も演芸の内容も見違えるほど健全になり、彼らをひきつける「悪所」の匂いはほとんど残っていない。
僕ら観客が、わずかに「悪所」の名残を感じることがあるとすれば、ごくごくまれに、バレ
白昼堂々、「社会教育会館」にて
豊臣家の
いつしか、バレ噺は寄席の表舞台から消えた。噺家たちはお座敷など、限られた場所で少人数の客を前に演じていたが、今ではお座敷遊びそのものがなくなり、そうした需要もなくなった。まれに「艶笑落語の会」と銘打った特別興行が開かれることがある程度だ。
こうなると、何だか、貴重に思えてくる。それほどレアなバレ噺の会が白昼堂々、それも「社会教育会館」を名乗るきれいなホールで開かれたのである。

1月16日、東京・月島社会教育会館で催された「究極のバレ噺Ⅲ」。サブタイトルの「今年もやります!テレビ・ラジオでは完全NG! ここでしか聴けない艶笑はなし」が
「今年も」というのは、過去2回開いているからで、各回のチラシを見て心躍るのは、僕だけだろうか。
2019年の初回は、
残念無念。どちらの回にも行けなかった。「今日はバレ噺の会があるので」と言うには、ちょっとまずい仕事が他に入っていたのである。
今回、3度目の開催にして、ようやく初会ということになった。満を持して、と胸を張りたいところだが、毎回通っている某有名ホール落語会をサボっての登板であるところは、かつての矢野さんの「悪所通い」を思い出させる。
客席は、ワタクシのような真摯な研究者(単なるスキモノおやじともいえるが)ばかりかと思ったが、意外や、若い人や女性客が少なくなかった。
こういう特殊な会の前座は、何をすべきなのか。やりにくそうな顔で登場した立川幸太は、何と「バレ噺とは」と解説を始めたのである。
「ええと、バレというのは漢字で『破礼』と書きまして…」
幸太は彼なりに健闘はしたものの、テーマが壮大すぎるのと、この日の観客の大半が、明らかに自分の両親よりも年上であり、「君に解説されてもねえ」という目で見ているという気配を察知して潔く解説を断念、ぎこちなくも本題に入った。
「すみません、バレ噺とまるで関係ない『初天神』の一席を」
そりゃそうだ。前座がバレ噺を持っているわけはないもの。
あれは秋のようだった、時々下から…
二ツ目の笑福亭茶光は「湯屋番」だ。確かに裸の男女が出てくるし、色事のような展開もあるが、聞き慣れた寄席の定番なので、正直、「これがバレ噺か」と思ってしまう。
ただ、元はバレ噺だったのに、演出を変え、下ネタを他のくすぐりに置き換えて、「フツーの落語」として生き延びている落語というのも、実はたくさん存在するのだ。今、寄席で若手がよく演じている「熊の皮」も元をたどれば、かなり「エロ度」が高かった。現在は、主人公の甚兵衛が熊の皮の敷物を見て「尻に敷かれている」の連想から「女房がよろしく」というサゲだが、かつては、「熊の皮を触るうち、鉄砲で開いた穴に指が入って」とか「熊の皮の毛深さで」とか、最後まで書かなくてもわかるぐらいのモノだったのである。
仲入前はベテラン橘家竹蔵が、師匠であった七代目円蔵、「月の家円鏡」で売れた八代目円蔵の逸話をたっぷりと。
孔子が、母親の胎内に80年いた。「中はどうでした」「春でも夏でもなく、秋が深まる頃のようだった。時々下から
七代目がよくやっていたという小噺がウケないとみるや、そそくさと本題の「風呂屋」に取り掛かる。
材木問屋の若旦那が風呂屋の看板娘に恋わずらい。いろいろあって、ようやく結ばれたが、初夜の夜、花嫁が逃げ帰ってくる。「だって、あの人、◯◯なんですもの」。このセリフが艶笑味たっぷりの「考えオチ」になっているのだが、どうにもわかりにくいので、竹蔵本人が解説をつける「解説オチ」になってしまった。
竹蔵の弁護をするわけではないが、このネタは、大正から昭和初期にかけての爆笑王・初代柳家三語楼が小噺を膨らませて作ったものだ。三語楼の時代でも考えてわかるオチだったとは思えない。
観客が「ん?」という表情になるのを見て発奮したのか、竹蔵はここから艶笑小噺を連発。玉石混交、つまらないもの、わかりにくいもの、趣味の悪いものなど凡打が多かったが、まれにクリーンヒットを飛ばして客席を沸かせた。
締めくくりに、懐かしの
昭和のスターのお色気話に爆笑
仲入休憩をはさんでの後半、青空うれしの「芸界艶話の花束」が今回の白眉だった。誕生日を迎えたばかりの86歳。かつては「青空うれし・たのし」の漫才で売れたが、それよりも岡晴夫、田端義夫、五月みどりなど昭和の流行歌手の専属司会者として全国公演をまわる仕事のほうが長くなった。その際の、スター歌手たちのお色気逸話が楽しすぎる。
某有名歌手Hさんが旅公演に行った先に小さな遊郭があった。スタッフがみんな遊びに行くので本人も行きたい。「絶対ダメです」「でも行きたい」「それじゃ、変装してください」。マネジャーの指示に従い、Hさんはサングラスにマスク姿でこそこそと、でもうれしそうに出かけた。その後、ものすごい雨になったため、心配したマネジャーが傘を持って遊郭へ。ところが、Hさんがどの店にいるかわからない。進退きわまったマネジャーは、遊郭の真ん中で「◯◯◯レコードのHさん、◯◯◯レコードのHさん!」と叫び始めた。「それで出られるか、ってんだ!」――。
その他にも、古賀政男作品のエロ替え歌(実際に歌ってくれたが、とても書けない)を本人の前で披露して、「ウチの先生に何てことをするんだ!」とマネジャーを激怒させた話など、名のみ知る昭和のスター歌手たちの人間臭いエピソードに、場内大爆笑。何を話してもウケるので、持ち時間を大幅に超過しての大サービスだった。この人、どこかに呼んで、バレ逸話の続きを聞きたい!
「最初は面白い面白いと思って舞台袖で聴いてたけど、途中から、いつ終わるんだろうと心配になった」
トリの三遊亭円橘がぼやきながら、すっと「
土曜の昼下がり。サボった某ホール落語会はまだやっているはずだが、さすがにこれからの途中入場はまずいだろう。さて、これからどこへ行こうかと思っていると、ロビーに残っていた年配の男性客同士が話していた。
「どう、月島だから、もんじゃでも?」
「うーん、今日はね、『終わったらすぐに帰ってらっしゃい!』とカミさんに強く言われてんだよ」
「そうか。ご時世だからねえ」
バレ噺で古き良き時代に飛んだ思いが、急にコロナ禍の現実に引き戻された。この後、僕はどこに行ったかと言うと、悪所とは程遠い、普通の落語会なのだった。
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