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「さん喬一門」の底ぢから

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 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

 落語界の大看板、柳家さん喬の一門は、12人の直弟子、孫弟子1人と、「さん喬師匠を師と仰ぐ」という奇術のダーク広和をあわせ、計14人の大所帯である。

 長い落語の歴史の中で、今日ほど落語家の数が多い時代はないと言われるが、それにしても直弟子12人は多い。

 さん喬の師匠・五代目柳家小さんの門下は、さらにさらにたくさんいて、目白の小さん宅には常に数人が住み込んでいた。だが、令和の世の中、落語家はマンション暮らし。弟子が住み込む余地はないし、通いの弟子が居場所を見つけるのが大変だという。

 それでも、さん喬門下は大所帯だ。さん喬という人は寂しがり屋なのか。それとも他に理由があるのだろうか?

 何年前のことだったか、「朝起きると必ず、枕元に若いの(前座)が3人ぐらいいるというのは、あまり気持ちのいいものじゃないよ」とこぼすさん喬に、思わず尋ねてしまった。

 「師匠、どうしてそんなにお弟子さんを取るのですか?」

師匠も最初は「弟子」だった

アタマから足の先まで同じテーマの本。でも面白いんです。
アタマから足の先まで同じテーマの本。でも面白いんです。

 さん喬に限らず、落語家はなぜ弟子を取るのだろう。

 来る日も来る日も、朝飯、時には昼飯も食わせ、楽屋仕事のアレコレや作法・常識を教え、 (はなし) の稽古をつける。これらはすべて無料であり、「家元」などを名乗らない限り、謝礼、授業料のたぐいは一切ない。育てた弟子が一人前の落語家になってくれる保証はどこにもない。弟子に取った時点で「こいつがモノになるかどうか」は不明であり、途中で挫折、脱落する者も多い。

 それでも弟子を取るのは、師匠となる落語家自身が元は「弟子」だったから。落語家になるにはプロに入門しなければならない。「この人」と決めた落語家に弟子に取ってもらい、育ててもらったからこそ、今の自分がある。

 「自分がしてもらったことを、次の世代に伝える」

 それが伝統芸能であり、落語家たちが伝えるのは「芸」だけではないのである――。

 こんな答えは、落語の本を読むか、 贔屓(ひいき) の若手にでも聞けば、すぐに思いつく。さん喬も、それを前提としているはずだが、その答えが振るっていた。

 「みんな、お前のところは弟子が多い多いと言うけど、俺だって、来たやつ全部を弟子にしてるわけじゃないよ。2人に1人は断っているんだから」

 そうだったのか。状況次第では、さん喬一門は、20人、あるいは30人以上の大団体となっていたかもしれないとは!

 合格率50%という、厳しいのかどうかよくわからない「さん喬の門」。これを見事に突破した精鋭たちが、各自の弟子入り志願物語を (つづ) った「柳家さん喬一門本~世にも奇妙なお弟子たち~」(秀和システム)を、一気に読んだ。

 こういう本は、弟子一人一人の逸話を、一章ずつ、じっくり読み進めるものだが、読み始めたら止まらない。一番若い二ツ目のやなぎから、惣領の喬太郎まで11人。その間に、新米前座の小きち、孫弟子の左ん坊、ダーク広和が意外に鋭い短文を寄せている。

 「面白い」ことは太鼓判を押すが、最初に目次を見たときは首をひねった。本書の内容を落語会に置き換えると、違和感がある。人は変われど、すべての章が「入門志願」だ。つまり、「ネタがつく」のである。 (注1)

 寄席や落語会では、最初に与太郎が出たら、それより後の出番の者は、与太郎ネタを避ける。「釣りの場面がある」「身投げをする」など、噺の中の状況が似ているのもイエローカードものだ。

十人十色の入門物語

 本書はアタマから足の先まで「入門こぼれ話」だから、続けて読むと似たような場面や展開になる。途中で飽きてしまうかなと思ったら、一気読みだった。

 たしかに、どの章を開いてみても、同じような場面が登場する。

 これからどう生きていくかを模索して寄席にたどり着く。あるいは現実逃避で寄席に入り浸る。そんな若者がさん喬の高座に出会い、「この人のようになりたい」と思い詰める。手紙を書くか、寄席の木戸前で出待ちをする。そして「弟子にしてください」「落語家じゃ食えないよ」「覚悟の上です」「……」という、おなじみのやりとりが繰り返されるのである。

 細部に多少違いはあるが、弟子入りなんて似たようなものだ。でも、面白い。同じ状況、同じ会話でも、弟子たちの受け止め方、感じ方が違う。10人いれば10人、100人弟子入りに来たら、100人の「同じようで違う物語」があることに、今さらながら気が付いた。

 さん喬は年間、信じられないほどの高座をこなし、独演会も多いので、弟子たちを見る機会が多い。さらに弟子たちの結束が固く、頻繁に一門会を開くので、「気がつくと、けっこう高座を見ている」という感じなのだ。そうなると、読み進めるほどに彼らの入門物語が厚みを増してくる。

 僕も、ほとんどの弟子たちを、前座時代から知っている。だから、本書を読むと、「ああ、あの、彼はこんなことを考えていたのか」と思い当たることもある。

 一門の事務局長とも言うべき喬之助に引率され、ファンもまじえての打ち上げに何度も行った。大病を経験していろいろ考えていて、同じ心筋梗塞(こうそく)の経験者として他人とは思えない。

 喬志郎は本当によく叱られていた。本書中の「私のおぼろげな記憶の中でも、師匠に『辞めちまえ!』と言われたのは、数十回ほどでしょうか?」という表現は大げさではない。「押し入れに入ってろ!」と言われたこともあったと聞く。でも、一門は皆、彼のことを気にかけていた。

 さん助の入門直後で、前座名をさん角と名乗っていたころ、彼とさん喬が落語協会の事務所から出てきたのに、ばったり会った。さん喬は、「お前のアイスキャンディーの食べ方はおかしい!」と叱っていた。さん喬が弟子にこれほど強い調子で小言をいう現場を初めて見て驚いたが、その後、続々と出てくる「さん角伝説」(注2)を見聞きすると、あの時の小言はまだ優しい方だったのかと思った。本書でも、「ブーン」(注3)の稽古などに、さん助の不思議ぶりが躍動している。

 小平太は一番師匠に似ている芸風で……と、いちいち思い出していたら、もう一冊、本ができてしまう。

 弟子志願者は皆、違う思いと考えを持って門を(たた)くが、それに対するさん喬の対応はというと、いつも変わらないのである。

 まずは「食えないよ」「違う人生もあるんだ」と柔らかく拒絶するが、何度も通ってくる者にはそれなりに心を開き、あるいは根負けして入門を許す。ここが合格率50%の分かれ目で、「弟子に取る」「取らない」はどういう基準なのか、さん喬はそこを明らかにしていない。まえがきとあとがき、さらには各章の冒頭でそれぞれの弟子についての洒脱(しゃだつ)で優しく、ときに厳しいコメントを寄せているのだから、「さん喬の章」もほしかった。

「何回聴いても」「どの噺を聴いても」……

大所帯の一門を率いるさん喬。その高座の多さは落語界屈指だ。
大所帯の一門を率いるさん喬。その高座の多さは落語界屈指だ。

 それでも読み進むうち、どうして、さん喬のところに弟子志願が多いのか、理由の一つに思い当たった。

 たいていの弟子志願者は将来の師匠を見つけるために、まず寄席に通う。その時、寄席の高座で出会う確率が高いのは、さん喬と、柳家権太楼なのだ。この二人は、独演会や落語会で引っ張りだこでありながら、寄席の高座を大事にする。めったなことでは休まない。さん喬は昼夜で独演会があるというのに、その間の短い時間に寄席の高座をつとめ、結局、一日に8席の落語を演じ、楽屋でへたり込んでいる。そんな姿を見たのは、一度や二度ではない。僕の知る限り、1990年代の終わり頃から、ずっとそんな調子なのだ。

 だから、弟子志願者がさん喬・権太楼に出会ってしまうのは、必然なのである。「どこの寄席にフラリと入っても必ずプログラムに(さん喬の)名前が載っていた」と喬之助も書いている。そして高座を聴けば……。

 「何十回と聴いた高座のうち、聴いた演目数は片手で足りる。しかし、『またこの噺か』と、ため息をついたことは一度もありません。なにせ同じ演目でも同じではないのです」(やなぎ)

 「何を聞いても演目がわからなかったが、聞いていて嫌なことが一度もなかった。聞くたびに好きになる」(小んぶ)

 「『どの噺を聴いて、師匠の落語を好きになりましたか?』とよく聞かれるが、困ってしまう。『どの噺を聴いてではなく、どの噺を聴いてもだった』からである」(小志ん)

 こうして、さん喬、権太楼に魅了された若者は、どちらを師匠に選ぶか。個人の好みの問題だが、たいていは、 強面(こわもて) の権太楼より少し優しそうに見えるさん喬を選ぶのではないか。

 「さん喬と、権太楼師匠は両極端というけど、僕らに言わせれば、同じですよ。ただ、同じような考え方をしているんだけど、表現の仕方が違うんです」

 あえて名前を伏すが、一門には、こういう見方をする弟子もあるようだ。

師匠と同じ風景を見てほしい

 一門全員の写真が並ぶ表紙を見ていると、上の2列に掲載された真打ち8人、その全員の披露パーティーに、僕は祝儀を持って出席するという幸運(?)を経験している。そのうちの何回かは、壇上であいさつをさせていただいた。たいていは緊張し過ぎて、その時何を言ったか忘れてしまったが、一つだけ覚えている言葉がある。

 「せっかく真打ちになったのだから、今、さん喬師匠が立っている山の上を目指し、崖をよじ登ってほしい。師匠と同じ高さまで登って、同じ風景を見なければ、落語家になったかいがない。落語界の大看板が何を見ているのか。全部見えなくても、背中越しにチラッとでもいいから、いつかその景色を見ることができるように!」

 同じ言葉を、あらためて本書の著者である「弟子たち」に贈りたい。僕も違う形で、その風景を見たいと願っている。

(注1)ネタがついても大丈夫な会があった。「怪談特集」とか「若旦那特集」など、「ナントカ特集」的なテーマを掲げれば、同趣向の噺が続いても問題ない。この手を使えば、うっかり泥棒の噺の後に泥棒ネタをやってしまったとき、「今夜は泥棒特集で」と言い訳できるかも。

(注2)「葬式のお焼香で、さん角が 抹香(まっこう) の燃えている方へ手を突っ込み『アチチッ』と3回も繰り返し、『喪主を笑わせてどうする!』と師匠に叱られた」「高座で落語を演じている師匠が『お前は何だ!』と叫んだ途端、楽屋で皿を洗っていたさん角がいつものように自分が叱られたと勘違いし、ハッと皿を落として割った」――こういう有名過ぎる「伝説」は今更ということなのか、本書に登場しないのがもったいない。それだけで一冊の本にまとめたいぐらいだ。

(注3) いわゆる「ハエ小噺」のこと。「ブーン」「うるさい!」「はい(ハエ)!」という定番もの。さん助は稽古のとき、最初の「ブーン」に師匠のOKが出ず、「ブーン」「違う」「ブーン」「違う違う」「ブーン」「違う-!」と、こればかり6日間やっていたらしい。

長井好弘’s eye 一覧は こちら

プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員、日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(大衆芸能担当)。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

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1820103 0 長井好弘's eye 2021/02/05 12:00:00 2021/02/05 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/02/20210202-OYT8I50086-T.jpg?type=thumbnail

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