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なぜそんなに散り急ぐ~浪花節で江戸の桜の名所めぐり

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 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

 コロナ禍の街に長居をしたくなかったのか、今年の桜は、あっけなかった。東京都心では、3月下旬に盛りを迎え、4月の声を聞くと、風もないのに散り始めていた。

 その頃になって、「今年は花見をしていない」と気がつくのも情けない。

 3月下旬の昼下がり。半蔵門で「よだれ鶏定食と餃子(ギョーザ)2個」というヘビーな昼食(注1)をとったので、腹ごなしに界隈(かいわい)を歩いていたら、国立劇場の前に出た。

 おやおや、桜が散り始めている。ここに昔から見事な桜があるのは知っていたが、気をつけてみたことはなかったのである。

国立劇場前にも桜の銘木。名前は……何だったかなあ
国立劇場前にも桜の銘木。名前は……何だったかなあ

 文部科学省の研究所で作られたという駿河桜、国立劇場生まれの駿河小町、上野公園からやってきた小松乙女……。ほんのちょっとの寄り道で、こんなに貴重な桜を見ることができたのに、国立劇場へ行くときは歌舞伎や文楽の看板しか目に入らない、国立演芸場を目指すときは寄席の番組表しか目に留まらない。己の視界の狭さをあらためて知らされた。「今まで気づかないでごめんね」と謝りながら、春風に舞う花びらを追いかけた。

 この時、僕らが愛してやまない演芸家たちも、散り急ぐ桜に慌てていたのだろう。桜が終われば、花見のネタができなくなる。そういえば、今年はまだ「長屋の花見」も「花見の仇討(あだうち)」も「花見酒」もやっていない。今年できないと、2年間のブランクが生じてしまう……。そういうわけで、この時期の寄席では、花見のネタの駆け込み口演が多いらしい。

 ところが、一つ問題があった。寄席や落語会には「ネタがつくのはご法度」という暗黙のルールがある。つまり、寄席で誰かが花見ネタを演じたら、そのあとずっと、トリの出番まで桜が登場するネタをやることができないのだ。(注2)

 一つの番組でできるのが1席では、花見ネタを演じそびれる演者も出てくるだろう。そういう場合の窮余の一策は、「○○特集」にしてしまうことだ。自分の前に花見のネタが出ていても、あえて同種の(はなし)をやってしまう。ルール破りの言い訳は「今日はお花見特集です!」と。こうすれば、何人続けて桜の噺をしても、申し開きは立つ。事情通の常連客も「ああ、そういうことか」と許してくれるだろう。

上野から、染井を回って飛鳥山

 こうした「寄席定席のナントカ特集」はめったにお目にかかれないが、幸運(?)にも、4月1日、浅草・木馬亭の浪曲定席初日に遭遇することができた。この日演じられた7席の浪曲のうち、4席が桜のネタだったのである。

 始まりは、若手のエース格・国本はる乃の「秋色桜(しゅうしきざくら)」だった。演題に「秋」の字が入っているのは、「秋色(しゅうしき)」という俳名を持つ少女お秋が主人公であるからだ。上野寛永寺の花の下で詠んだ「井戸端の桜あぶなし酒の(えい)」という句が、寛永寺の宮様の目に留まる。天才少女俳人として世に出た後も、お秋は長屋住まいの職人の父を思い――。

 桜と俳句と親孝行をテーマにした後味の良い物語は、若手の浪曲師や講談師がよく高座にかける。春の定番ネタなのだ。

 ああ、今年も花の季節に聴くことができた、寛永寺境内の清水堂に「秋色桜」という名のしだれ桜があったなあと、上野の桜に思いをはせていたら、次の次の出番の人気者・玉川奈々福がニッコリ笑って、「それでは私も桜のネタを」と言い出した。

 国立演芸場の脚本募集の浪曲部門で奨励賞になった、浦野とと原作の「ソメイヨシノ縁起」。幕末の江戸郊外、染井村の植木職人与兵衛は、木の声が聞こえるという不思議な力を持つ若者だ。その与兵衛が見たこともない新種の桜に魅入られた。大ぶりでみずみずしく、怪しい色香を漂わせる桜の木が「私を見て。もっと私を見て」と与兵衛にささやきかけてくる。

 植木職人の意地と心意気、そこに妖しい幻想の世界を絡ませた意欲的な新作浪曲を、奈々福はあちこちの高座で演じている。「このネタを私の十八番(おはこ)にしたい!」という気持ちが伝わってくる。うん、そういうことなら、「ネタがつく」ルールを無視しても、一回でも多く口演したいだろう。

 こうなると、他の出演者も黙ってはいない。「桜特集」の幕開けだ。案の定、仲入休憩を挟んで後半1番手の玉川福助が乗ってきた。

 「今日は桜のお話が続いていますが、私のネタにも桜が出てくるんです」

 福助がうなったのは、亡き師匠・玉川福太郎譲りの「祐天吉松・飛鳥山親子対面の場」だった。江戸中期からの花見の名所、飛鳥山を舞台にした、男伊達(おとこだて)の吉松と、生き別れになっていた息子、七松の涙の再会。長い長い世話物の中でも、おなじみの場面である。

 自家薬籠中のネタであり、福助にとって「ここでやらなければ」というほどではないのだが、せっかく面白そうな「桜特集」の流れに乗り遅れてはならじと、得意ネタをぶつけてきたのだろう。踊り、三味線、茶番にかわらけ投げ。「大浮かれ御免」の花見どころ、飛鳥山のにぎわいが聞こえてくるような、からりと明るい高座だった。

トリは向島 からかさ桜が包み込む江戸の人情

 この後は、講談の神田京子の「赤穂義士伝・南部坂雪の別れ」、三門柳の「紺屋高尾(こうやたかお)」と花見とは無縁の演目が続き、「桜特集」もこれまでかと思えば、トリの東家三楽が「特集」の幕引き役に名乗り出た。

 「今日はいろいろ出ましたねえ。実は私の用意してきたネタも桜のお話なんですよ」と言って、三楽がうなり始めた「三囲塚(みめぐりづか)の由来」は、コメディータッチで、最後にほろりとさせるという、いかにも浪曲らしい物語。浪曲界の重鎮・澤孝子とその一門も「からかさ桜」の名で演じる「花見の浪曲」の逸品だ。

 向島・長命寺門前で見事な枝ぶりを誇る、からかさ桜。その名木の枝で首をつろうと、資金繰りに行き詰まった商人が枝に帯を掛けて念仏を唱えていると、女連れの侍がやってくる。商人が慌てて木の枝に登って隠れると、2人は枝の真下で心中を図る。侍のふりかぶった刀に目がくらんで、「キャッ」と転げ落ちる商人。「上からが人が降ってきた!」と、驚いて逃げる侍と女。あとに残った百両の金――。

 物語の前半は、今まさに自らの命を絶とうとしているのに、どこかのんきで緊迫感がない商人の右往左往ぶりで笑わせ、がらり変わって後半は、心機一転、死ぬ気で励んで身を立てた商人の律義な心がほろりとさせる。からかさ桜の揺るがぬ大きさとつややかさが、善意の人々が織りなす悲喜劇を優しく包み込む。桜特集の締めくくりにふさわしい「よき花の話」だった。

 「長屋の花見」や「百年目」などの花見の落語とは一味違う、人情重視の花見浪曲。上野の山の秋色桜。染井村で生まれたソメイヨシノ。飛鳥山の桜の(うたげ)に、向島のからかさ桜。木馬亭の硬い椅子に腰掛けていたはずなのに、硬軟巧みな節回しとはじける三味線に背中を押され、気がつくと江戸の桜めぐりに繰り出していた。

 上野や飛鳥山だけでなく、国立劇場前と木馬亭も、花見の名所に加えたい。

(注1)半蔵門の「餃子いち」は、餃子1個55円で、いくつでも注文することができる。だから、ふつうの定食だけでおなかいっぱいなのに、「2、3個頼んでも安いからいいか」と餃子を追加し、「ゲゲッ、思ったより大きい」と思いつつ全部食べて、午後の仕事に差し支えることになるのだ。

(注2)同趣向のネタが続くのを「ネタがつく」という。時にずぼらな噺家が、楽屋帳(ネタ帳)を確認せずに高座に上がることがある。そしてうっかり、二つ三つ前の出番に出ている与太郎物に入るや、すかさず舞台袖から「出てるよ!」と声がかかる。場合によっては、楽屋帳を抱えて駆け上がってきた前座に、「前に出ております」と直接、演目の変更を要求されることもある。

長井好弘’s eye 一覧は こちら

プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員、日本芸術文化振興会プログラムオフィサー(大衆芸能担当)。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

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1970922 0 長井好弘's eye 2021/04/09 12:00:00 2021/04/09 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/04/20210407-OYT8I50062-T.jpg?type=thumbnail

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