読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

三遊亭円生――命日と憧れと「寄席育ち」

スクラップは会員限定です

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

 今月上旬、祥月命日から1週間遅れて、母の墓参に行った。

 千葉県にありながら「都営」の看板を掲げる松戸市の八柱霊園。広大な敷地の中のあちこちにやたら背の高い老木が点在し、伸び放題の枝の隙間から見上げる空が、青く高い。前回の墓参で徹底的に雑草を刈ったのに、数か月行かないと、やつらはしぶとく陣地を回復している。麦わら帽子と軍手と小さなカマで、中腰の作業を10分も続けたら、汗みどろになった。

 「かあさん、今日はこのぐらいで勘弁してくれ。また来るからな」

 母は12年前の9月3日に85歳で亡くなった。えっ、ということは、今年が十三回忌じゃないか! 墓参に来て思い出した。かあさん、今年はコロナで親戚を集めることは出来ないから、家族で年内にまた来るよと、ろくに親孝行もできなかった生前から、母には謝ってばかりだ。

 年回忌を忘れるバカ息子でも、命日だけは覚えている。9月3日といえば、落語好きなら「ははあ」と察しが付くだろう。その日は、あの三遊亭円生(1900~79年)の誕生日であり命日でもあるのだ。 (注1)

 母が亡くなった時、「僕を落語の世界に誘った昭和の名人と同じ日だから、命日を忘れることはないだろう」とひそかに思ったものだ。だが、いつの頃からか、母の命日を先に思い出した後、「そういえば」と円生のほうを思い出すようになった。

昭和の大看板の名著が復活

 墓参りから数日たった12日の読売新聞朝刊「本よみうり堂」欄で、円生の名を見つけた。「ポケットに1冊」というコラムに、円生の自伝「寄席育ち」が文庫版で復活したと紹介されていたのだ。

 現役時代は文化部系の記者としての必要上、一応一通りは目を通しておくという程度だったが、昨年取材記者を辞し、一読者に戻ってあらためて虚心に読むと、「本よみうり堂」は実に充実した読書欄だった。

 際立っているのが、取り上げる本の多彩さだ。初心者向きからマニアックなものまで、入門書からかなりの専門書までと、隙がないセレクションである。それだけに、僕の専門分野である演芸関連の評や紹介が手薄であるのが残念だ。「本よみうり堂」のレベルの高さを考えれば、演芸分野の書籍が質量ともに頻繁に取り上げられるレベルのものではないということなのだろうか。一応、演芸に関わる複数の著作を持つ身としては、残念な思いもある。 (注2)

 それはともかく、円生の「寄席育ち」刊行はうれしい知らせだ。(鵜)という一文字署名を見ると、文壇取材などでその名を知られた名物記者の筆になるものだろう。

 「昭和の落語名人といえば古今亭志ん生が有名だが、三遊亭圓生もすごい」

 名人円生を「すごい」という言葉で表現するのはいささか乱暴だが、演芸に詳しいとは言えない切れ者記者は、本当に「すごい」と思ったのだろう。

70年の芸歴が詰まった名著が復活した
70年の芸歴が詰まった名著が復活した

 岩波現代文庫から、「寄席育ち」を始めとする円生の聞き書き四部作 (注3) が「六代目圓生コレクション」と銘打たれ続々と刊行されるという。久々に読み直してみるかと、我が本棚のかなりいい場所に鎮座している四部作を引っ張り出した。

 「寄席育ち」は1965年、青蛙房から刊行された円生の自伝だ。演芸研究家として名高い山本進氏の手練の聞き書きのおかげで、明治大正昭和の落語界のあれこれを、平明かつ詳細な記述で垣間見ることができる。

 「幼少から義太夫語りをしながら落語を耳学問し、九つの頃、寄席でアナがあいた際、『じゃア、あたいが (はなし) を』と代役を買って出て、大喝采」「昭和の初めは不況で貧乏のどん底。芸も行き詰まり、転業も考えた」「敗戦直前に志ん生とともに軍の慰問に行った満州(現中国東北部)で置き去りにされ、引き揚げるまでの2年弱の体験。そこでの『本当の苦労』が芸を磨いた」

 (鵜)氏が紹介記事で簡潔にまとめた円生の前半生はドラマチックだが、この自伝の「すごい」ところは、それだけではない。むしろ、自伝以外の、円生が見聞きしてきた落語界の内幕、懐かしい名人上手、それほどでもない演芸家などの生態が、驚くべき記憶力で克明に描写されているところにある。

 「明治篇」では、ホール落語会の (こう)() である「落語研究会」の発足時の状況と、四代目橘家円喬、初代三遊亭円右、三代目柳家小さんら同人たちの動向を、子供の視点で生き生きと語っている。

 続く「大正篇」の目次を見れば、「演芸会社」「睦会」「関東大震災」など、落語史を語る上では避けて通れない重要なトピックを、当事者として生々しく証言している。

 また、「昭和篇」では、戦雲広がる戦前の落語事情や、太平洋戦争勃発以来の落語家の生活が語られる。

 「寄席育ち」は、名人円生の激動の半生記であり、落語家の視点からの「時代の証言」でもある。これほど中身の詰まった自伝には、めったにお目にかかれない。

「のめり込むほど好きになった」演芸に導いてくれた人

新宿末広亭とみられる高座。端正、洒脱、博識…名人の風格を漂わせた(撮影年不明)
新宿末広亭とみられる高座。端正、洒脱、博識…名人の風格を漂わせた(撮影年不明)

 僕を落語の世界に誘ったのは、紛れもなく、円生だった。東京の下町の中でもごみごみした町並みが続く、隅田川左岸で育った僕は、子供の頃から、映画館や遊園地へ遊びに行くのと同じ感覚で寄席の木戸をくぐり、漫才や手品を楽しみ、「おじいさんがムニャムニャわからないことをしゃべってる」と思いつつ、落語を聴いていた。だが、それは演芸を「ただ見ていただけ」であり、「のめり込むほど好きになった」のは、円生という人を知り、その高座に圧倒されてからである。

 とはいっても、1955年生まれの僕は、円生の晩年にかろうじて間に合っただけである。大学に入り、アルバイトで自由になる金が入ってくると、僕は何かにつかれたように、ホール落語会に通った。

右から、円生、文楽、正蔵。昭和の名人の貴重な3ショット(撮影年不明)
右から、円生、文楽、正蔵。昭和の名人の貴重な3ショット(撮影年不明)

 当時の高座に八代目桂文楽、古今亭志ん生の姿はすでになく、円生のほかは、八代目林家正蔵、五代目柳家小さん、十代目金原亭馬生らが落語会のレギュラーを張っており、二番手やくいつき(仲入のすぐ後の出番)に古今亭志ん朝、立川談志、五代目三遊亭円楽らが起用された。だが、僕の目には、円生の高座だけが特別のものに見えた。「 正札附(しょうふだつき) 」の ()(ばや)() がなると、僕は知らず知らず背筋を伸ばし、「落語を聴かせていただく」という姿勢をとっているのだった。

 78年に落語協会分裂騒動が勃発し、円生一派は落語協会と (たもと) を分かった。「天下の円生が負け戦はできない」と思ったのか、70代後半の円生は毎月のように独演会を催し、次々と大ネタを披露し、時にネタおろし(初演)にも挑戦した。面白いことになってきた――。

 そんな時期に、僕は新聞社への就職を決めた。新人記者は地方支局で6年近く修業の日々を送るらしい。しばらく東京の寄席に行けないのはつらいが、時間をかけて腕を磨けば、いつか円生のインタビューができるかもしれない。そんな願いを胸に抱いて、歌舞伎座での一世一代の円生独演会(3階席の端っこだったが)を見たことを思い出に、79年春、僕は東京を離れた。

 円生は今、80歳近いけれど、あれだけ高座で輝いているのだから、5年や6年は現役バリバリでいてくれるだろう。いつか取材したい。その前に、また生の高座を聴きたい。そんなことを思いながら、サツ(警察)回り、お役所回り、災害リポート、地方選挙、甲子園県大会、街ネタ探し等々の取材活動を続けた。だが、円生は僕を待っていてはくれなかった。

 同じ年の9月3日、円生は千葉県習志野市のイベントで、「桜鯛」という ()(ばなし) を終えた後に胸の痛みのために倒れ、帰らぬ人となったのである。

 円生とは一度も口をきく機会はなかったが、それから数十年後の僕は、落語家だけでなく、さまざまな演芸に関わる人を取材している。円生が僕を演芸の世界に導いてくれた、いや、円生を追いかけていたら、演芸の世界に迷い込んでしまったのだ。

 今、僕の手元にある「寄席育ち」は、1990年に出た「新版」である。元々は箱入りの高価な本なので、学生時代には購入する資金がなく、支局時代は買っても読み通す時間がなかった。

 正直に言えば、学生時代に図書館で読んだときはあまり面白くなかった。今、読み返すと、どのページを開いても発見がある。ようやく、「円生を読む」ことができる体になったということだろう。新人記者時代、何かの奇跡が起きて、円生にインタビューできたとしても、「あんたじゃ百年早い」と笑われたに違いない。今なら、何と言われるだろうか。

(注1)1900年8月11日に、明治の名人・三遊亭円朝が死去した。その23日後に円生が生まれている。「寄席育ち」で円生の言動には、「もしかしたら、あたしは円朝の生まれ変わり?」と思っていたフシがある。
※編集部注 本コラムでは「圓生」「圓朝」の表記については新字体の「円」を使用します。書影と紙面記事の引用部分はそのまま「圓生」と表記します。

(注2)僕が初めて書いた演芸本「新宿末広亭 春夏秋冬『定点観測』」(アスペクト)も同欄で小さく紹介してもらった。某大手新聞の読書欄にはその数倍のスペースで取り上げられた。両紙のおかげで、短期間で重版が決まった。

(注3)「寄席育ち」の他には、有名無名の噺家情報が満載の「明治の寄席芸人」、「寄席育ち」のその後が書かれた「寄席楽屋帳」、今はなき昔の寄席のスケッチ「寄席切絵図」がある。

長井好弘’s eye 一覧は こちら

プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
2370685 0 長井好弘's eye 2021/09/17 12:00:00 2021/09/17 12:00:00 2021/09/17 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/09/20210915-OYT8I50000-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)