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初代は二ツ目、二代目は爆笑王、そして三代目~ああ「円菊」三代記

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 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

 久々の上野駅公園口(改札前の車道がなくなっている!)、久々のスーツ(まだ背抜きの夏物だ)、久々の上野精養軒(道を間違えて遠回りし)、そして久々のパーティー。

10月初めのやたらに日差しが強い日曜の正午、三代目古今亭円菊の襲名披露宴が催された。

 コロナ禍で新真打ちの披露宴などが次々と中止や延期になる中、本当に久々の落語家パーティーだ。列席の人々だけではなく、丸テーブルの間をスイスイとすり抜けるように動く精養軒のスタッフたちも久々の仕事なのだろう、うれしそうだ。

スタッフ  「(満面の笑みで)シャンパン、赤、白のワイン、ビールなど、何でも揃えております」

隣席の客  「(思わず身を乗り出して)アルコールありだろ?」

スタッフ  「……いえ、すべてノンアルでございます」

 そうだろうなあ。6人座るテーブルも、アクリル板でしっかりと仕切られ、皆、後ろに体をそらして隣の人と話している。多少緩んできたとはいえ、コロナがおさまったわけではないのだから。

独特のオーバーアクションと、とぼけた口調で高座をわかせた二代目。手話落語にも精力的に取り組んだ(1979年撮影)
独特のオーバーアクションと、とぼけた口調で高座をわかせた二代目。手話落語にも精力的に取り組んだ(1979年撮影)

 先代(二代目)の円菊は2012年10月13日、84歳で亡くなった。それから9年の時が流れ、この秋、息子で弟子の菊生が三代目を襲名することになった。

 初代円菊は、昭和の名人、古今亭志ん生が、二ツ目昇進時に名乗った。当時は三遊亭小円朝門下だったので、古今亭ではなく、「三遊亭円菊」だった。初代円菊は、数年後に師匠をしくじって古今亭へ移籍し、名前を変える。この後、借金逃れや現状打破のために、果てしなく改名を繰り返しながら、「名人・志ん生」にたどり着くまで、酒とバクチと貧乏の 噺家(はなしか) 人生を歩んでいくのである。

 その志ん生の弟子が二代目円菊になった。息子の三代目によると、先代は「オレは円菊という名前は好きじゃない。本当は『志ん馬』がほしかったが、兄弟子に取られちゃった。師匠志ん生の二ツ目名前だから、『円菊』はオレで終わりでいいよ」と言っていたそうだ。

 二代目円菊の高座、今も弟子たちが真似をする「 (はす) っかいポーズ」と、スピード感あふれる爆笑落語は、鮮明に覚えている。

晩年の志ん生をおんぶして寄席に通った二代目

 1966年に真打ち昇進して「二代目円菊」を襲名した頃の評価は芳しいものではなかった。二代目本人も著書「背中の志ん生」(うなぎ書房)に書いている。

 <「師匠を () ぶって真打になったんだから“ () んぶ真打”だ」って(中略)後輩の二つ目が私より深いところに出るわけです。悔しいですよ。真打になっても四年間は二つ目扱い、上野(鈴本演芸場)は出してくれなかったし……>

 それでも、二代目円菊は逆境にくじけることはなかった。「なにくそ」と歯を食いしばり、力んだ形が、あの独特の「斜っかいポーズ」を生んだのか、独自のリズムとオーバーアクション満載の爆笑落語で寄席の出番を勝ち取っていったのである。

 今思うと、学生時代の僕が寄席通い、ホール落語会通いを過熱させた1970年代、二代目円菊は噺家としての絶頂期を迎えていたのかもしれない。

 「まんじゅうこわい」「 (にしき)袈裟(けさ) 」「あわびのし」。二代目が猛スピードでこれでもかこれでもかと繰り出してくるギャグの数々を、「チョット待ってくれ~」「息継ぎができないよ~」と心のなかで叫びながら、僕ら観客が必死で追いかける。それほど面白くて、スリリングだった。

 そしてトリネタの「 幾代餅(いくよもち) 」「 唐茄子屋政談(とうなすやせいだん) 」「井戸の茶碗」。とりわけ、「幾代餅」は、こんな人情系の噺でこれほど笑えるのかと、衝撃を受けた。

 当時、ある高名な評論家が、円菊の噺について「ヘタだけど、面白い」と書いた。これを読んだ円菊が「いくらなんでも、『ヘタだけど』っていうのは」と苦情を言うと、「反対に『うまいけど面白くない』と言われたら、その方が嫌だろ。あんたの落語は、とびきり面白いんだよ」と答えたという。

「男女ドウケン」てのは……爆笑派から軽さの妙へ

 爆笑落語の旗手だった二代目円菊は、年とともに芸風が変わった。古希の声を聞く頃、二代目の高座に往年のスピード感は望むべくもなかったが、その分、 飄々(ひょうひょう) とした軽さが際立ち、「志ん生に似てきた」と言われるようになった。

 拙著「新宿末広亭 春夏秋冬『定点観測』」 (注1) に、円菊のその頃の高座が描写されている。

 <ベテラン円菊が場内をさっと見渡し、独特の舌足らずな口調で「今日の客席は、ちょっとアメリカ~ン」。しょーもないギャグだが、本当にアメリカンなのだからしょうがない。(1999年6月下席・昼の部)>

 <円菊の出番のときに団体がぞろぞろ入ってきた。「どっから来たの~? え、茨城ぃ? じゃあ茨城の小噺をしましょう」と演じたのが、「ある人に、男女同権って何ですかと聞いたら、そりゃあ旦那さんが茨城県で、奥さんも茨城県ってことだよ」。別に茨城じゃなくてもいいんですが、と照れながら演じる円菊がかわいい。(11月中席・昼の部)>

 <ひざがわりのぺぺ桜井はたった五分の高座でしたが、トリの円菊を聴いて短いワケがわかりました。円菊のネタが「らくだ」だったのです。(中略)円菊は特に気負う感じもなく、いつもの飄々とした味で話を進めていきます。だからフグにあたって死んだらくだの遺体を前に、すごんで見せる兄貴分がちっとも怖くない。もう一方の、兄貴分にいじめ倒される 屑屋(くずや) はというと、すっとぼけているばかりで悲壮感のかけらもありません。「命が惜しくないか!」「行きますぅ」。この軽さが身上なのでしょう。(2000年2月中席・昼の部)>

 二代目の「アメリカ~ン」を客席で何度聞いたことか。当時の寄席はそれほど客が少なかったのである。

 岩波書店から出た「落語の世界」(全3巻)の第一巻「落語の愉しみ」の中に、「落語三万二千席」という僕の原稿が載っている。2002年の寄席4軒(上野、新宿、浅草、池袋)のネタ帳を集計し、あらゆる角度から分析したものだ。その中で、落語家の出演回数ランキングを作った。柳家小せん(先代)が第1位で547回、柳家さん喬481回、桂文朝435回と続き、円菊は318回で15位だった。トップとは少し差があるように見えるが、これは小せんの出演数が異常なのであり (注2) 、円菊の318回は、74歳のベテランとしては立派過ぎる数字である。

「円菊はオレで終わり」に隠された父親の本心

父親そっくりのこのポーズ! 三代目はどんな「円菊」を作り上げるのだろう(横井洋司さん撮影、提供)
父親そっくりのこのポーズ! 三代目はどんな「円菊」を作り上げるのだろう(横井洋司さん撮影、提供)

 三代目円菊襲名披露宴のテーブルで、僕が二代目円菊の思い出に浸っている間に、宴はずいぶん進んでしまった。

 大詰め近く、二代目円菊一門が壇上に勢揃いした。三代目円菊の前座時代に師匠代わりをつとめたという古今亭志ん弥があいさつした。

 「五年間、師匠の命令で、毎日あたしの家に通わせ、掃除、洗濯、雑用など、あたしたちが師匠の家でやったことをそのままやらせた。根性はあると思う。二ツ目になって、志ん生から一字もらって『菊生』になった。何年も前から『やっぱり円菊を継ぐのは菊生だろ』と言われていたが、隠してもしょうがないから言いますけど、芸がまだ及ばない、もっと力をつけなければだめだと言われ、なかなか話が進まなかった。それがこの数年、急速に芸が伸びたので、襲名の運びとなった。私たち一門が応援するのは当たり前ですが、みなさんのお力もぜひ」

 最後は三代目円菊本人からのお礼の言葉だ。まず、司会役の元フジテレビ、笠井信輔アナウンサーをねぎらった。

 「二代目円菊の座右の銘は『逆境に勝つ』だった。父はそれを実践した。だから私は、(がんの闘病から復帰の)笠井アナウンサーに司会をお願いしたんです」

 「本当は円菊を継ぐつもりはなかったんです。先代が『円菊はオレで終わり』という言葉を 鵜呑(うの) みにしてた。それが5年前に金原亭馬生師匠から『いつ円菊を継ぐんだ』と強く言われたんです。つい最近、寄席の楽屋で柳家小満ん師匠に『あんちゃん、親の名前を継ぐのは一番の親孝行だ』と言われて、初めて気がついた。オヤジは本当は円菊を継いでほしかったけど、照れくさくて言えなかったんだと」

 押し出しがいい。声もよく通る。口調も明るく、聞きやすい。こんな落語家がどうして今まで前に出てこなかったのだろう。そしてこれから、どんな「円菊」を作り上げてくれるのだろう。

 10月31日、上野鈴本演芸場で襲名披露の会を開催。翌1日からは、浅草演芸ホールでの10日間興行が待っている。

(注1)新宿末廣亭の1年間73番組を全部見てリポートするという無謀な寄席のフィールドワーク本だった。演芸研究家の山本進氏に「この本は50年後に価値が出る」と言われ、「はああ、50年後は誰も生きてないよ」と肩を落としたことがある。刊行から20年が過ぎた今、当時の寄席の様子を知る貴重な資料として、僕自身が重宝している。

(注2)その頃、寄席によく出ていた噺家数人に「最多出演は誰か」と尋ねると、皆が「小せん師匠でしょ」と即答した。「どうしてそう思うの?」「だって、いつ楽屋に行ってもいるんだもの」。小せん本人からは、「へへへ、そうなんだ~。僕はね、寄席が好きなんですよ。自分でやるのも好きだけど、人の噺を聴くのがまた好きなの。ネタは『長屋の花見』なんか好きだねえ。この頃は年だから、面倒くさいネタはやらなくなったよ」というコメントをいただいた。

長井好弘’s eye 一覧は こちら

プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

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