追悼・浪曲師、澤孝子~~腹に響く声、胸に伝わる情感

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 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

落語・講談・浪曲・諸芸――長井好弘’s eye

 平日の夜に、普段はメールでやり取りをしている落語家、講談師、浪曲師から電話をもらうのは、うれしいことばかりではない。いや、むしろうれしい知らせの方が少ない気がする。

 5月27日午後8時過ぎ、若手浪曲師からの着信があった。

 「もしもし、おはようございます……」 (注1)

 日頃陽気な演芸人の第一声なのに、やけにテンションが低い。こういう時はたいてい無理難題に近い頼まれごとか、即答できないような複雑な問い合わせだ。 (注2)

 だが、この夜の電話は、頼まれごとでも問い合わせでもなかった。浪曲界の第一人者、澤孝子の訃報だったのである。

 悲しい、悔しい、もう会えない。そんな気持ちは、随分後になって襲ってきた。初めは、ただただ驚いた。「信じられない。あんなに元気だったのに」――普段の澤孝子を知る人なら、誰もがそう思ったことだろう。

あんなにパワフルな師匠だったのに――2021年11月2日、木馬亭定席での澤孝子の元気な高座。三味線は佐藤貴美江(澤雪絵さん提供)
あんなにパワフルな師匠だったのに――2021年11月2日、木馬亭定席での澤孝子の元気な高座。三味線は佐藤貴美江(澤雪絵さん提供)

 関係者の話を総合すると、澤孝子は5月19日、大好きな相撲見物の予定だった。彼女を駅まで車で送るため、親類の方が一人暮らしの自宅を訪ねたが、いくら呼んでも返事がない。鍵が開いていたので、中に入ってみると、お出かけの服装をした澤孝子が倒れていたという。救急車で病院に運ばれたが、典型的な (のう)(いっ)(けつ) の症状で、もう手の施しようがなかった。21日に亡くなり、27日に密葬を済ませた後、一門の方々が僕らに知らせてくれたのだ。享年82歳。

 澤孝子は、浪曲のホームグラウンド・木馬亭(浅草)の定席で毎月トリを取っていた。もちろん、5月もだ。いつも舞台から、満面の笑みで優しく観客に語りかけてくる。ところが、本編に入るや、ガラリ雰囲気が変わり、度肝を抜かれる大音声でうなる、うなる。

 木馬亭定席には毎回7人の浪曲師が出演するが、どんなに元気の良い若手に交じっても、澤孝子の声が一番大きい。もちろん、声が大きいだけではない。緩急自在の節回しと、情感あふれるタンカ。浪曲に息づく庶民の喜怒哀楽が、澤孝子の喉を通してパワーアップされ、観客の五感に ()(とう) のように押し寄せてくる。言葉は悪いが、澤孝子が本気で取り組めば、どんな凡庸な台本でも「感動の佳品」と思えてしまうだろう。

 終演後は、ご (ひい)() や一門を連れ、1杯、2杯、3杯、4杯……。周囲が止めなければいくらでも飲み続ける。

 「ちょっと足が痛いだけで、あとはピンピンしてるわよ」

 そういえばここ数年、舞台に上がる足取りは、危なっかしいものだった。お弟子さんに手を引かれヨチヨチ歩くのだが、舞台中央に設けられたテーブルの所まではいかず、中途半端な位置でストップ。そこで幕が開き、澤孝子は客席に一礼した後、横歩きのように数歩進んで、中央の定位置につくのである。

 「いっそのこと、板付き (注3) にしたらどうですか?」

 「それじゃ私が満足に歩けないみたいでカッコ悪いわよ!」

足元が危うくなっても決して弱みは見せない。腕もプライドも一級品だった。
足元が危うくなっても決して弱みは見せない。腕もプライドも一級品だった。

 そう、我らが澤孝子は、観客に決して弱みを見せなかった。浪曲の腕も、演者としてのプライドも右に出る者がいない澤孝子。それほどの大看板がいきなりいなくなったと言われても、信じられるものか。

 澤孝子は14歳の時、千葉の銚子から上京し、「落語浪曲」で人気の二代目広沢菊春 (注4) に入門。以来、3年間の内弟子修業、関西でさらに修業、独立して一座を組んでの全国公演、1970年の木馬亭開業後は東京に拠点を構え、浪曲界の中心にどっかりと腰を据えた。師匠譲りの落語浪曲を始め、「春日局」「滝の白糸」などの文芸物、一連の左甚五郎物、「赤い夕日」「春よ来い」などの社会派新作等、数多い持ちネタのほぼ全てが一級品だった。68年間の高座生活を休むことなく走り続けた澤孝子は、自他共に認めるトップランナーだった。

 取材メモをめくりながら、近年の舞台を振り返ろう。

新作から名作まで、そして故郷への思いも節に乗せて

毎月、トリをとっていた浅草・木馬亭の開演前。「澤孝子」の一枚看板が客を呼び込む
毎月、トリをとっていた浅草・木馬亭の開演前。「澤孝子」の一枚看板が客を呼び込む

 <2022年4月5日、木馬亭のトリ。「春よ来い」は、僕が最後に聞いたネタだ。「金八先生」を思わせる熱血教師と問題家庭の子との心の交流。「よくある学園モノじゃないか」と思うのだが、不器用な師弟の真っ直ぐな感情のぶつけ合いが心に迫り、不覚にも涙腺が緩む>

 ――年に1度、この時期だけ演じるという昭和の新作。十八番の「からかさ桜」と共に、木馬亭に春を呼ぶ佳作だろう。

 <同年2月24日。都民寄席(池袋・東京芸術劇場シアターウエスト)のトリは「おとみ与三郎・ 稲荷(とうかん)(ぼり) 」だった。名コンビだった劇作家・大西信行氏が「君に合うネタだよ」と書いてくれたという。絵に描いたような若旦那の与三郎が、人を殺したことをきっかけに悪の道へのめり込んでいく。その背中を押すお富の恐ろしさを、鮮烈に表現。濃密な江戸の空気と悪女のすごみが同居する大西台本がとても良い>

 ――前年8月の木馬亭で初めて聞き、僕が顔付けをしている「都民寄席・浪曲の会」の来年のトリはこれだと即座に決めたネタ。ご本人は「それまで『春日局』のような立派な女性ばかりだったでしょ、このネタで初めて悪女を演じて、芸の幅が広がった気がするわ」と都民寄席の楽屋で不敵に笑っていた。

 <2021年12月7日、木馬亭トリの「 ()(らい)(どう)() 」は、「お客様からのリクエスト」だという。師匠菊春と二代続けての十八番。尾羽打ち枯らしても学問への情熱を失わない出世前の荻生徂徠もいいが、貧乏浪人を見かねてエサ(商売もののおから)を運んでくる豆腐屋の七兵衛に何とも言えない味があった。出世した徂徠と再会した時の「あっ、 (ひや)(やっこ) ~!」という大声。胸が空く思いがする>

 ――2020年11月、弟子の澤雪絵が文化庁芸術祭新人賞をとった紀尾井小ホールの「澤雪絵の会」で演じた「徂徠豆腐」は、七兵衛の大声が抑え気味だった。なぜかと本人に尋ねたら、にっこり笑って「だって、かわいい弟子の会じゃないの。師匠の私が目立っちゃまずいでしょ」。

 <同年3月22日、国立演芸場の「演芸大にぎわい」で聴いた「猫餅の由来」。「私が師匠菊春から独立したとき、『これ面白いからやってみろ』と勧められたネタ。師匠と大西先生が一緒に作ってくれました」。掛川城下に「掛川名物・猫餅」の看板を出す店。変な (ばあ) さん手作りの硬い、硬い猫餅を甚五郎が食べる時、曲師の佐藤貴美江が三味線で「カチン、コチン」と音を出す>

 ――落語に登場する甚五郎は、変わり者というイメージがあるが、「猫餅」も、同じ甚五郎物の「竹の水仙」や「掛川宿」も、澤孝子が演じる甚五郎は「貫禄のある、いたずらっ子」という他にない愛されキャラクターになる。

日本浪曲協会の会長を4年務め、後進の育成に尽力した。まな弟子、勇人の菊春襲名披露を見ることなく旅立ってしまった。(2021年12月、泉岳寺の大石内蔵助良雄の銅像前で撮影、左は天中軒雲月、右は澤順子。澤雪絵さん提供)
日本浪曲協会の会長を4年務め、後進の育成に尽力した。まな弟子、勇人の菊春襲名披露を見ることなく旅立ってしまった。(2021年12月、泉岳寺の大石内蔵助良雄の銅像前で撮影、左は天中軒雲月、右は澤順子。澤雪絵さん提供)

 <2020年7月5日、木馬亭で「大新河岸の母子 河童(かっぱ) 」を聴く。「こういう時期だから、ゲラゲラ笑うのはまずいのかもしれないけれど、私で最後だから、笑ってください。今日は面白いネタをやります。河童の話よ」「故郷の銚子の市長が『地元にいい話があるので浪曲にして』と頼むので、大西先生に台本を書いてもらったの。銚子と言えば河童でしょ。私、観光大使だから宣伝しないといけないのよ」

 江戸に向かう乗合船の船頭の掛け声を、澤と曲師・佐藤貴美江の掛け合いで演じる。おとなしそうな顔をした貴美江の「コ~リャ、リャイ!」が江戸前でやたら威勢が良いので、客席から拍手が起こる。

 「(貴美江を見て)大変ですねえ。三味線弾いて、船頭のまねまでさせて。今は黒紋付きを着ているけれど、この人、普段はシンガー・ソングライターなのよ。私はこの人が頼り。今までの三味線はみな年上で、先に亡くなってしまった。この人なら、私が死ぬまで弾いてくれるもの。よろしくお願いします」。ペコリと頭を下げた澤は、「じゃ、続きをやりましょう」とごく自然に物語に戻っていく。この呼吸がたまらない>

 ――佐藤貴美江は、本当に最後の最後まで澤孝子の三味線を弾き通した。

 澤孝子は今年5月4日の木馬亭出演時に、「弟子の澤勇人が今年10月の浪曲大会で、三代目広沢菊春を襲名させていただきます」と発表した。自らが継がなかった師匠の名跡が58年ぶりの復活。その披露口上に並ぶことができないのが、功なり名を遂げた澤孝子の唯一の心残りだったに違いない。

 師匠の悲願だった「菊春襲名」を良い形で実現するのが一門の務めであり、三代目菊春誕生を浪曲界の更なる浮上のきっかけにしていくのが浪曲師全員の、今なすべきことだと思わずにいられない。

(注1)テレビ業界と同じように、演芸の世界でも、あいさつは一日中「おはようございます」だ。不規則な時間で働いている彼らは、「会ったときが一日の始まり」なので、そういう挨拶をする。僕は演芸家でも何でもないが、つい釣られて、夜も昼も「おはようございます」と言ってしまう。

(注2)嫌ならスルーすればいいのだが、それができない。僕は数十年前、新人記者として赴任した地方支局で「電話にはすぐに出ろ。ベルを2回以上鳴らすな」とたたき込まれた。たまの休みに宇都宮市内の某Tデパートで買い物をしているとき、靴下売り場の電話が鳴った。反射的に受話器を取って「もしもし」と言ったところで、周囲の不審な目に気がついた。僕はいつの間にか、電話を無視できない男になってしまった。

(注3) ()(ばや)() に乗って登場するのではなく、幕が開くと、演者がもう板(舞台)に付いている(スタンバイしている)状態のことを「板付き」という。けがや病気や高齢などの理由で、高座まで歩くのがしんどい時に用いる。

(注4)大きな劇場での浪曲公演ではなく、主に落語の寄席が活躍の場だった。出囃子に乗って現れ、座布団に座って ()(ばなし) で笑わせた後、自然に節に入るという、軽妙 (しゃ)(だつ) な高座だったという。得意の左甚五郎物「ねずみ」を三代目桂三木助の「加賀の千代」とネタ交換し、この「ねずみ」がのちに落語の人気演目になった。1964年、50歳で亡くなった。

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プロフィル
長井 好弘( Nagai Yoshihiro
 1955年東京都生まれ。都民寄席実行委員長、浅草芸能大賞専門審査員。著書に『寄席おもしろ帖』『新宿末広亭のネタ帳』『使ってみたい落語のことば』『噺家と歩く「江戸・東京」』『僕らは寄席で「お言葉」を見つけた』、編著に『落語家魂! 爆笑派・柳家権太楼の了見』など。

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3050782 0 長井好弘 演芸おもしろ帖 2022/06/03 12:00:00 2022/06/03 12:00:00 2022/06/03 12:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2022/06/20220601-OYT8I50001-T.jpg?type=thumbnail

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