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    文化庁から「日本遺産」に認定された全国各地の文化財・伝統芸能をご紹介します。
    九州

    国境の島壱岐・対馬・五島~古代からの架け橋~【長崎】

     【概要】日本本土と大陸の中間に位置することから、長崎県の島は、古代よりこれらを結ぶ海上交通の要衝であり、交易・交流の拠点であった。特に朝鮮との関わりは深く、壱岐は弥生時代、海上交易で王都を築き、対馬は中世以降、朝鮮との貿易と外交実務を独占し、中継貿易の拠点や迎賓地として栄えた。その後、中継地の役割は希薄になったが、古代住居跡や城跡、庭園等は当時の興隆を物語り、焼酎や麺類等の特産品、民俗行事等にも交流の痕跡が窺える。国境の島ならではの融和と衝突を繰り返しながらも、連綿と交流が続くこれらの島は、国と国、民と民の深い絆が感じられる稀有な地域である。
    <2015年4月認定。以下は、認定申請書類から引用>

     日本は大小6852の島から成り、長崎県には日本最多の971の島がある。朝鮮半島との間に飛び石のように浮かぶ壱岐と対馬、大陸との間の東シナ海に鎖状に浮かぶ五島列島は、いにしえより、日本と大陸を結ぶ「海の道」の要衝であり、大陸との交流のインターフェースでもあった。

     とりわけ、朝鮮半島と指呼の間にある国境の島、壱岐と対馬は、その最前線であった。

    邪馬台国へと続く「海の道」に浮かぶ国際交流の都

     日本がまだ「倭」の国とよばれていた時代、中国の使節は、朝鮮半島から対馬、壱岐を経由して、倭の国の女王がいる邪馬台国を目指した。対馬、壱岐を旅した中国の使節の足跡を辿るとき、『魏志倭人伝』に記されたとおりの原風景が目の前に広がる。

    • 金石城跡(櫓門)と朝鮮通信使行列の再現(対馬市提供)
      金石城跡(櫓門)と朝鮮通信使行列の再現(対馬市提供)
    • 原の辻遺跡
      原の辻遺跡

     中国の使節が訪れた「一支国(いきこく)」の「原の辻」は、海上交易で王都を築いた国際交流都市の先駆けであった。倭の国のどこよりも早く海外の情報をキャッチできる原の辻には、日本人だけでなく、朝鮮半島から移り住んだ人もいて、活気に満ちあふれていた。

     朝鮮半島系土器、ムンクの『叫び』のような人面石など多様な遺物が出土しているこの地は、まさに弥生時代のデパートであった。

     なかでも、きらきらと青色に輝く中国製トンボ玉は、女性や子どもたちの心を捉えたに違いない。

     県内有数の穀倉地帯でもある遺跡の周辺は、古代米が栽培されており、復元された遺跡と青田や稲穂が広がる眺めは、訪れた人を弥生時代へタイムスリップさせてくれる。


    2017年03月31日 06時10分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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