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    文化庁から「日本遺産」に認定された全国各地の文化財・伝統芸能をご紹介します。
    近畿・東海

    飛騨匠の技・こころ-木とともに、今に引き継ぐ1300年-【岐阜】

     【概要】「 飛騨工 ( ひだのたくみ ) 制度」は古代に木工技術者を都へ送ることで税に充てる全国唯一の制度で、飛騨の豊かな自然に育まれた「木を生かす」技術や感性と、実直な気質は古代から現代まで受け継がれ、高山の文化の基礎となっている。市内には中世の社寺建築群や近世・近代の大工一門の作品群、伝統工芸など、現在も様々なところで飛騨匠の技とこころに触れることができる。これは私たちが木と共に生きてきた1300年の高山の歴史を体感する物語である。
    <2016年4月認定。以下は、認定申請書類から引用>

    飛騨工 ( ひだのたくみ ) 制度と匠の技・こころ

    飛騨工制度

    • 飛騨国分寺の大イチョウ
      飛騨国分寺の大イチョウ

     飛騨工制度は、古代における租税制度の中で、飛騨国1国のみに対して特別に定められた制度である。養老2年(718)に制定された養老令賦役令(ようろうりょうぶやくりょう)斐陀(ひだ)国条に、(よう)調(ちょう)といった税の代わりに年間100人程の匠丁(しょうちょう)(技術者)を都へ派遣することが定められている。この匠丁が飛騨工である。

     飛騨では、奈良時代以前の古代寺院が14箇寺以上と、全国でもまれにみる密度で確認されており、飛騨工制度ができる以前から寺院を建てる高い建築技術をもっていたことがわかる。都の造営にあたり木工技術者の需要が高まり、その優れた技術力を活用するため、この制度が設けられたのである。

     飛騨工の姿は古代以降、名工の代名詞として文学作品等にも描かれてきた。『万葉集』の「かにかくに 物は思わじ 飛騨人の 打つ墨縄(すみなわ)の ただ一道に」(あれこれと迷いはするまい 飛騨人が木材に引く墨縄の線のようにただ一筋に思おう)という恋歌からは、木工技術者として実直に仕事をする飛騨工の姿がみえる。その他、『源氏物語』や『今昔物語集』にも飛騨工が優れた木工技術者として描写されている。古代に都で飛騨工が建てた記録が残る建造物には、甲賀宮、平城宮、平安宮などの宮殿や、西大寺(さいだいじ)石山寺(いしやまでら)西隆寺(さいりゅうじ)などの寺院等が知られており、建築物のほか建具、家具の製作に携わっていた。高山にある飛騨国分尼寺(こくぶんにじ)の金堂は全国の国分寺・尼寺の中で唯一、唐招提寺(とうしょうだいじ)等と同じく前面一間を吹き放しとし、都で得た知識が活用された例である。

    • 有道杓子
      有道杓子

     飛騨工制度は鎌倉時代、古代律令制度の終焉とともに消滅するが、飛騨匠(飛騨工制度消滅後の飛騨の木工技術者について「飛騨匠」と記載する)はその後も全国で建築活動を行っている。鎌倉時代の飛騨匠の手による建造物として、西明寺(さいみょうじ)本堂や三重塔(共に国宝・滋賀県)が現存する。また、現在も「飛騨匠の祖」として崇敬を集める飛騨権守(ひだごんのかみ)・藤原宗安(むねやす)は、1311年に長滝寺(ちょうりゅうじ)の大講堂(明治32年焼失・岐阜県郡上市)の大工頭を務めている。

    2017年03月31日 08時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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