「約ネバ」原作の白井さんと作画の出水さんが語る、独創的な世界観の誕生秘話 <4>
完了しました
ロングインタビューも今回が最終回。誰もが気になっていた、最終巻の「あのページ」について、原作の
*物語の結末に触れる内容があります。未読の方はご注意ください。
「一緒に生きよう」という願い
――「一緒に生きよう」というのがエマの願いで、『約束のネバーランド』という作品を貫く最大のテーマであると感じます。最初からの構想だったんでしょうか。
白井 『約ネバ』という物語が持つ、いくつかの大事な価値観の一つだとは思っていました。鬼は敵だけれど、殺して絶滅させなければいけないのか。私たち人間だって食べている。動物や植物の命を奪って生きている。鬼を殺さないで、自分の家族を守る道はないのか……そういう疑問に、いつか行き着くだろうという予感はありました。でも、最初から「一緒に生きよう」というあのセリフを軸にしようと考えていたわけでもなかったんです。
物語が進むにつれ、自然にそうなっていった感じです。家族みんなで「一緒に生きよう」、鬼も含めて「一緒に生きよう」が一番いいんじゃないか。一人じゃムリだけど、みんなでやるからできるんだって。
――第172話で、エマが諸悪の根源、ピーター・ラートリーにまで「一緒に生きよう」と手を差し伸べるシーンが感動的です。

白井 あれは絶対言わせたかった。これができるのがエマのすごさで、人によっては「怪物性」と見るところかもしれません。
エマは怪物か、「友だちにしたい子」か
――怪物性……ですか。エマの怪物性とは何でしょうか。
白井 恨みや憎しみや、普通だったらどうしても越えられない壁を、ぴょんって飛び越えちゃうところですね。エマは家族を鬼に殺されているし、自分も「最高級肉」として食べられそうになったことがあるし、レウウィスみたいなイカレた鬼たちも見ている。それでも、「鬼を殺したくない」と言えるエマはすごい子だと思う。
私もそうありたいと思う人間ですが、人によっては、エマを、人間離れした、理解し難い子だって思うかもしれない。そこは、かなり心配して気をつけたところです。
出水 いや、私はそうは考えませんでした。だって、エマはいい子じゃないですか。一番友だちになりたいのは誰ですかって聞かれたら、私はエマですよ。誰にでも優しいし。親しみやすいし。
白井 私、ひねくれてますからね(笑)。
出水 確かにエマ一人だと、そういうところが目立っちゃうかもしれないけれど、ノーマンにもレイにも、いい部分と危うい部分がそれぞれにあって、微妙なバランスの中で、家族として成り立っているのがいいと思います。そのバランスが白井先生の世界観。そういう危ういところも全部含めて、エマと友だちになりたいなあって思うんです。
「今」につながる物語として
――ちょうど連載時期と重なるように、米国でトランプ政権が誕生し、世界中で「分断」という言葉が叫ばれ、差別問題や格差社会がクローズアップされました。そういうことが、作品に影響を与えたところはありますか。
白井 それは、全然ないです。海外メディアの方々にも、「作品は今の世相を反映していますか」「メッセージは何ですか」と聞かれることが多いですが、そういうことは考えていません。いかに一瞬一瞬面白く、読者のみなさんの心に響くものを届けるか、だけを考えていました。というか、それ以外、考える余裕もありませんでした。
ただ、私も読者も今、この世界を生きているわけですから、その読者や自分の心に響くものでなければならない。そういう、無意識の部分に関係している可能性はあるかもしれない。

――第172話で、エマたちがいる2047年の世界ではなく、私たちが生きている2020年の世界の状況が、フラッシュバックのように挿入されるシーンがあります。「コロナ」の文字も見えます。非常に印象的だったのですが。
白井 読者に、これは空想の世界じゃなくて、今あなたたちがニュースで接している、この世界の話なんだよって感じてほしかった。あのページに、現実の世界の様相を閉じ込めたかったということはあります。その方が、読者の心に届くと思ったから。
コロナに関してのコマを入れたのも、当時、未知のウイルスに際して、人間があまりにも愚かになり下がっていると感じたので。遠い国々の出来事に限らず、日本でも。そんなことしたってウイルスは防げないよねという
まさにあのページで挙げるべき例ですし、みんな、もうちょっとしっかりしようよ!って気持ちで、あのシーンを入れたんですが、さすがに、時期や事象を具体的にしすぎるかなと心配になって、出水先生にも相談しました。そうしたら、出水先生もそれでいいって言ってくれて。コロナについて、あの時点でこんなふうに出したマンガは、世界で初めてじゃないかって。
出水 私も、あのシーンは必要だと思ったから。今年、コロナが起きなくても、世界に
白井 「一緒に生きよう」は、エマたちの間で自然に出てきた言葉です。だから、社会に向けたメッセージというわけではない。みんな仲良く生きられたらいいよねって、私が勝手に思っているだけっていうこともあるんですけど。
エマが死ぬという結末もあった
――エマたちは、2047年の人間の世界に帰還しますが、2020~30年代は、災厄と戦争だらけの暗い時代だったことが示唆されます。それも、今のことと関係がありますか?
白井 そうですね。世界がちょっと思わぬ方向に進んでいる感じがしました。物語の中で、人間世界の混沌と分断が行くところまで行って、逆に平和になったことにしたのは、今年の状況と無関係ではありません。今この状況を体験している読者に対して、何も起こらず、変わらず、平和でハッピーな世の中ですというのは、違うよね、となりまして。
――人間世界に帰還したエマが、記憶をなくしているのは衝撃的でした。作者としていろいろ悩んだ末の選択だったと思います。
白井 実は、エマが死ぬという選択肢もありましたが、それはさすがにやめました。読者はハッピーエンドを望んでいると思ったので。でも、あまりに全てがうまく行きすぎると、エマに甘すぎる、ご都合主義の世界になってしまう。そこも難しいんです。
エマがこれだけすごいことをかなえるためには、何か失うものもなければいけない。それが「記憶」になった感じですね。
エマだけが映った写真の秘密
出水 担当の杉田さんからざっと話を聞いて、切ないけれど、すごくいいラストだって思ったんです。でもその時、私は、エマ以外の家族からエマの記憶がなくなるんだって勘違いして。
白井 それが、第180話のエマの写真のシーンにつながるんです。出水先生が、扉のラフ案で、昔撮った家族の写真から、エマだけが消えているというものを出してくれたんです。わ、エモい!と思って、その設定を逆にしました。エマだけ映っていて、周りが消えた写真を出した。

――変なポーズをしたエマが一人で映っている写真ですね。何だろうとしばらく思い出せなかったんですが、元々はGF(グレイス=フィールド)ハウスで、レイがインスタントカメラでエマとノーマンを撮った写真だった。第32話でレイがエマに渡しています。でも第180話では、ノーマンが写真から消えている……。
白井 出水先生のラフ案がなければ、あのシーンはなかったです。
出水 そうだったんですか! ここまで徹底的に考えてるんだ、白井先生さすが!と、私は思っていたんですが。
――これは、聞いていいのかどうか……。エマの首筋の
白井 戻っていないんじゃないでしょうか。あくまで本作では、ですが、傷を負っても元に戻るとか、死んでも生き返るとか、そういうのはナシにしようと思っていました。
難しい問題ですが、死を安易に救いにしたくなかった。ユウゴの時は例外的にやりましたが、死んで懐かしい人に会えるというのも、あまりやりたくなかった。読者の皆さんに、生きて幸せでいてほしい、幸せになってほしいと思うので、生きて絶対幸せになれるというのは作中で貫きたかった。
出水 このラストになったからこそ、「約束のネバーランド展」に展示した特別エピソードも生まれたわけです。エマに幸せになってほしい家族たちの思いも補完できた。ああ、白井先生やっぱりすごいなって思いましたよ。
エマは「普通の子」に戻れたのか
――エマが記憶をなくしたことは心痛みますが、あまりに多くの重荷を背負いすぎたエマが、普通の女の子になった、とも思いたいです。
白井 そう意図したわけではないんですけどね……。元々エマは、第1話では、怖くて泣いちゃうような子だった。その後のリーダーシップは、この極限状態でなければ発現しなかったエマだとも思うんです。
ノーマンだって、こんな過酷な世界にいなければ、もっとホワホワした子で、「鬼を全滅させる」なんて怖いことは言い出さなかったと思う。誰もが心の中に、そんな「怪物性」を飼っていると思うんですよ。平和な世界では出てこないだけで。
そういう意味では、エマは普通の子に戻れたのかもしれないです。でも、エマはエマなので、きっかけがあれば、また「すごいエマ」が出てくると思うんですよね。
白いままでも大人になれる
――J・M・バリー原作の『ピーター・パン』の「ネバーランド」は、「いつまでも子どものままでいられる世界」ですが、この作品においては、「大人になりたくてもなれない世界」と、意味が逆転しています。最後にうかがいますが、大人になるとは、どういうことでしょうか?
白井 迷いますね……。太宰治は「大人とは、裏切られた青年の姿である」(『津軽』)と書きましたよね。清濁併せのみ、初めて大人になるみたいな。でも、エマたちには、そんなグレーゾーンで黒く染まってほしくない。白いままでも大人になれると思うんですね。
出水 うーん、難しい問題です。個人的には、高校生から大学生になるあたりで、大人って自由で楽しいんだなって思える瞬間がありました。自分で自分のことを選択して、その道を生きていけるのが大人。作中のキャラクターたちにも、そういうふうに感じてほしいなって思います。

――第109話でユウゴが、「その判断は正しいか?」と悩むのではなく、「下した判断を正解にする努力」が大切だと、エマに語る言葉が素晴らしいと思います。自分は、大人として子どもにこんな言葉をかけてあげられるかどうか。
白井 失敗を繰り返しても、自分っていう生き方を見つけられたら、大人なんじゃないかな。ユウゴやイザベラたちは、その意味で大人になれていたんだと思いますね。
*このインタビューは2020年12月4日に行われました。