[LEADERS]創薬追求「ええもんを安く」…塩野義製薬社長 手代木功氏 59

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塩野義製薬や業界のこれからについて話す手代木功社長(大阪市中央区で)
塩野義製薬や業界のこれからについて話す手代木功社長(大阪市中央区で)

 世界的な巨額買収が相次ぐ製薬業界で、塩野義製薬は規模を追わず、創薬にこだわって業界トップ水準の高い利益率を上げている。その秘密は何か。手代木社長に聞いた。

 

得意分野の強さを研ぎ澄ます

 てしろぎ・いさお 1959年(昭和34年)生まれ。宮城県出身。82年東京大学薬学部卒、塩野義製薬入社。2002年取締役。08年4月に48歳で社長就任。自社創薬の高脂血症薬「クレストール」を巡り販売委託先との間で、「パテントクリフ」を緩やかにする特許使用料の新たな契約を結ぶなど、その手腕は「手代木マジック」と呼ばれる。
 てしろぎ・いさお 1959年(昭和34年)生まれ。宮城県出身。82年東京大学薬学部卒、塩野義製薬入社。2002年取締役。08年4月に48歳で社長就任。自社創薬の高脂血症薬「クレストール」を巡り販売委託先との間で、「パテントクリフ」を緩やかにする特許使用料の新たな契約を結ぶなど、その手腕は「手代木マジック」と呼ばれる。

 薬に対して患者様が何を望んでいるかを考えると、やっぱり「ええもんを安く」なんです。それが絶対の基本。大阪商人の教えですね。

 でも、新薬開発には10~15年かかり、化合物を製品にできる確率は2万5000分の1と天文学的な数字です。新薬を出しても出願から20年で特許が切れ、ジェネリック(後発医薬品)が出て収入が激減する「パテントクリフ(特許の崖)」もある。そこに、製薬会社の経営の難しさがあります。

 その中でどう安く提供するか。開発費が大きくなれば、回収すべきお金も増えます。多く売るか、単価を高くしないといけない。開発費をいかに抑えるかが大事です。薬の販売や、場合によっては生産も外部に任せ、自社でやることを明確にして効率化する。割り切る必要があります。

 それを純粋に追い求めるとベンチャー(新興企業)の姿になります。ただ、試験管の中で作った化合物を1キロ、1トン、10トンにするのは、ものすごく難しい。そこは「メガファーマ」と呼ばれる大手製薬会社の方が得意です。当社はその中間の「ハイブリッドタイプ」だと思っています。

 その上で、創薬にこだわります。自社で開発すれば、高い利益率と安い商品の提供が両立できるからです。

 「創薬に何が必要か」と聞かれると、実はわからない部分も多い。かつては「新薬開発には年間1000億円の研究開発費が必要だから、売上高5000億円の規模がないと生き残れない」と言われ、2000年代に製薬業界で大規模合併が相次ぎました。ただ、その後をみると、研究開発費の規模と新薬開発の成果は比例していません。

 <塩野義が18年に売り出したインフルエンザ用の新薬「ゾフルーザ」は、他の薬の研究過程から生まれた>

 当社は感染症分野を得意とし、「ドルテグラビル」というエイズウイルス(HIV)薬を持っています。開発は失敗の連続。開発時、私は研究開発本部長で、当時の社長からは「もうやめろ」と何度も言われました。「もう一回だけやらせてほしい」とお願いし、08年に成功させました。10年かかったでしょうか。

 HIVと戦って戦って、最後に壁を破った時にできた化合物の構造の一部がゾフルーザにつながった。HIV薬で頑張らなかったら、ゾフルーザも生まれていません。

 創薬には運不運もありますが、重要なのは捨てるものは捨て、得意分野の強さを研ぎ澄ますこと。そこに、トップが強く関与することだと思っています。

 

若手から質問ゼロ 意識改革を決意

 社長就任時、会社は低迷期で構造改革に苦しみました。

 <塩野義は1985年に売上高、営業利益とも業界3位だったが、10年は売上高で10位。利益も下位に沈んだ>

 3位の会社が10位に転落すると何が起きるのか。ベテラン社員は「俺たちはすごい。経営が悪いからこうなった」と頑張ってくれません。若手は「期待されて入っていません」と真顔で言う。時間をかけても「名門」の看板を取り戻すしかないと考えました。

 3か月に1回、会社の状況を原稿用紙20枚分ぐらいの文章にし、全社員にメールしました。最初の開封率は5割に満たない。同時に出した人事のお知らせは99%です。人事には興味があっても、会社のことには関心がない。

 ならばと、研究・開発から生産、営業まで幅広く若手社員を集めて「語る会」を開きました。でも2時間、質問が一つも出ない。後で聞くと、上司から「自分に跳ね返るから、社長によけいなこと聞くな」と指示が出ていたそうです。オープンに話すことを中間管理職が嫌がる。これも弱い企業の典型です。意識改革に3、4年かかりました。

 社長就任前、研究開発体制も見直しました。かつての研究所は良く言えば自由闊達かったつ。「シオノギ大学」と揶揄やゆされるほど、いいものを作るより、いい研究をして論文を出し、学会で座長を取ることを目指していた。これでは戦えません。20~30あった研究領域を感染症など三つに絞り込みました。抵抗もありましたが、「選択と集中」を進めたことが今につながっています。

 

「なぜこの値段」に情報発信で答える

 大学は薬学部で、95%が大学院に進む中、就職を選びました。研究が嫌いだったからです。営業職を募集していた塩野義に入りました。

 結局、配属は開発でしたが、白衣で試験管を振る研究とは違い、楽しんでいました。その後、米国に2度駐在します。2度目は薬のカプセルを売る会社です。中に薬は入っていない。開発の仕事にやりがいを感じていたので、「やめてやる」と思いました。

 でも、赴任すると社員がみんな懸命に働いています。厳しい経営の中、経理は走り回り、経営陣も社員を元気づける。組織の運営は、性根を据えてやらなければいけないと強く感じました。その経験がなければ「研究開発だけやっていればいい」と勘違いし、今の私はなかったでしょう。

 <18年から、業界団体である日本製薬団体連合会の会長も務める>

 反省点は、業界がこれまで自分たちについての説明を避けてきたことです。

 世界的にみて、日本の国民皆保険制度は夢のような恵まれた制度です。患者様は、お医者さんに症状を言って検査してもらい、「この薬を飲んでください」と言われ服用するだけ。お医者さんと患者様の間で知識の差が大きく、対話が成り立たない。その関係の中では、あまり負担もないので薬への興味はわきません。

 でも、国民皆保険は人口構造が高齢化すると、誰がどう負担するか、たちまち問題になるはずです。負担の問題に手を着けず、国債で後世に負担を先送りしながら制度を保っているのが現状です。

 本来は、使われる薬がどういうもので、自分に合っているか、いくらまでならお金を出せるか、各人が判断できるよう消費財のように情報提供しなくてはいけない。全国民に理解してもらうのは難しくても、努力はするべきです。

 難しい言葉を使わず、患者様相手の情報発信に取り組みたい。IT(情報技術)の進化は追い風です。「この薬はなぜこの値段か」との疑問に答え、「だったら(金を)出すよ」と言ってもらえる透明性の高い環境を作り出す。そして「ええもんを安く」を追い続ける。そうしなければ、製薬会社は社会に認めてもらえなくなるでしょう。

聞き手・佐々木達也 写真・土屋功

 

■妻が作ったシャドーボックス

米国赴任時に手代木社長の奥さんが作成した「シャドーボックス」
米国赴任時に手代木社長の奥さんが作成した「シャドーボックス」

 30歳頃、最初の米国赴任時に、妻が趣味で作ったシャドーボックスを大切にしている。紙に描かれた絵を切り抜いて立体的に重ねて作るもので「紙の彫刻」とも呼ばれる。長男が生まれた直後、異国の地で子育てをしながら気分転換のため取り組んだといい、今もリビングに飾る。作品を見ながら「あの頃は大変だった」と懐かしむとともに、支えてくれた妻への感謝も再確認している。

 

[NUMBERS]33%

 2018年3月期連結決算で、売上高に占める営業利益の比率は33%。売上高は3447億円と業界で10位の規模ながら、営業利益の額は3位、利益率は主要社でトップだ。「創薬型製薬企業」として好業績を続けている。1878年創業。本社は大阪市。連結従業員数は5120人(2018年3月末)。

423733 1 経済 2019/02/05 05:00:00 2019/02/05 05:00:00 2019/02/05 05:00:00 社章の由来といわれる天秤などの前で話す手代木功社長(大阪市中央区で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/02/20190204-OYT1I50068-T.jpg?type=thumbnail

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