「あのままだと廃線だった」車両や駅を観光資源に、地方鉄道の快走
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郡家(鳥取県八頭町)―
■じり貧

「あのままだと、廃線になっていたかもしれない」。八頭町地方創生室の川西美恵子さんは振り返る。
1999年度のピーク時に約67万人だった輸送人員が、沿線の過疎化や少子高齢化で、2016年度は半分以下の約31万1000人。経営を支えるため09年に導入した「上下分離方式」で、八頭、若桜両町は駅舎や線路などの鉄道資産を取得したものの、じり貧状態が続いていた。
打開策として取り組んだのが、駅や車両そのものを観光資源化すること。レトロな駅舎や
■観光列車
そこで、鳥取県内外から乗客を呼び込める観光列車に力を入れた。JR九州の豪華寝台列車「ななつ星in九州」を手がけた工業デザイナーの水戸岡鋭治さんに、車両のデザインを依頼した。
だが、当初は首を縦に振ってもらえなかった。行政からの発注は、予算の執行や議会の承認などで制約が多い。「デザイン一任」という条件を提示し、何とか契約にこぎ着けた。
18年3月、観光列車「昭和」がデビューした。沿線の清流をイメージし、車体は落ち着いた青色が基調。車窓の風景を楽しんでもらうため、座席の多くを対面式にした。手すりなど内装には、温かみのある木材をふんだんに使った。
その結果、18年度の輸送人員は、前年度より約2万5000人多い約35万1000人に増加。20年3月までに「八頭号」「若桜号」も運行を始め、水戸岡さんデザインの観光列車が三つになった。
■強力な応援団
地元住民らは「乗ることで若桜鉄道を支えたい」と話す。09年頃から、駅や周辺の活性化を目指す“応援団”の結成が相次いだ。
「隼駅まつり」を開催する「隼駅を守る会」や、盆踊りや縁日を開く「八東駅を元気にする会」など、全9駅に応援団がある。16年発足の「若桜鉄道もりあげ隊」は、沿線の魅力を紹介する「わかてつ便り」を発行している。
若桜町は今年4月、若桜駅前に、地元特産品の販売や飲食のスペースを備えた多目的店舗を開業。沿線に新たな魅力が加わった。若桜鉄道の矢部雅彦総務部長は「うちの魅力は、地域を挙げての応援」と胸を張る。
87年 第3セクターに
若桜鉄道は元々、兵庫県までつなぐルートが検討されていた。しかし、1930年に郡家―若桜駅間が開通後、そこから先の路線は着工されなかった。
当初は木材など貨物も運んでいたが、地元の基幹産業・林業が衰退し、旅客のみの輸送となった。旧国鉄時代は赤字路線で、国鉄分割民営化を機に、87年に第3セクター鉄道となった。
全線開通時は7駅で、後に八頭高校前、徳丸の2駅が整備された。本社は若桜町。JR西日本の因美線に乗り入れている。
2014年度まで3年連続で最終利益が赤字になるなど、経営危機に繰り返し直面してきた。14年の社長公募や15年の蒸気機関車(SL)試験走行など、様々な経営改革や話題づくりに取り組んできた。最近も若桜町が、運転士志望者を「地域おこし協力隊員」として募集したが、応募者はいなかった。