読売新聞オンライン

メニュー

ニュース

動画

写真

スポーツ

コラム・連載・解説

発言小町

漫画

教育・受験・就活

調査研究

紙面ビューアー

その他

サービス

読売新聞のメディア

購読のお申し込み

読売新聞オンラインについて

公式SNSアカウント

戦後復興の中心担った泡盛老舗、廃業寸前乗り越え新天地で再起図る

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

新しい工場で泡盛造りを再開した佐久本さん(沖縄県恩納村で)=大久保和哉撮影
新しい工場で泡盛造りを再開した佐久本さん(沖縄県恩納村で)=大久保和哉撮影

 近年の泡盛の需要低迷で廃業寸前となった那覇市の老舗酒造所が、2年7か月ぶりに生産を再開した。沖縄戦で失われた泡盛造りの復興の中心を担った「咲元さきもと酒造」。沖縄県恩納おんな村の観光施設が資本参加し、施設内に移転して生き残った。社長の佐久本けいさん(62)は「泡盛の魅力発信にも取り組みたい」と意気込んでいる。(大久保和哉)

 11月、新しい工場の一角。仕込みの最初の工程「黒こうじ散布」が行われ、従業員は蒸したタイ米に黒麹をまんべんなく散らしていた。佐久本さんは「蒸し米の香りを久しぶりにかいで、感慨深い」と語った。

 観光施設「琉球村」内に新設された工場は976平方メートルで、計約22万リットルを収容できる20基の貯蔵タンクを備える。米を運ぶ機械を導入して作業を効率化。観光客らに泡盛に関心を持ってもらおうと、作業の様子をガラス越しに見学できるようにした。順調にいけば来春、ここで生産された商品が市場に出る。

 咲元酒造は現在の那覇市首里鳥堀町で1902年に創業した。この一帯は、旧琉球王府が泡盛の製造を許した「首里三箇さんか」と呼ばれる地域。37年には一帯に約50軒の酒造所があったが、激しい地上戦が行われた沖縄戦で破壊され、泡盛造りに必要で代々受け継がれてきた黒麹菌は絶滅したと思われた。

 しかし、佐久本さんの祖父が、焼けた酒造所の土に埋まったわらに黒麹菌がついているのを発見。他の酒造所にも分け与えたことで泡盛は戦後復興を果たした。

 テレビ番組の影響もあり、泡盛の出荷量は2004年にピークを迎えた。ところが近年、酒類は多様化したほか、度数の強い酒が敬遠される傾向もあり、出荷量は減少。咲元酒造も出荷量が減った上に、周辺が住宅地となり、老朽化した工場から漏れる酒造りのにおいに苦情が寄せられるようになった。負債も抱え、17年2月に廃業の方針を決めた。

 佐久本さんは廃業を発表する前、取引があった琉球村の運営会社にあらかじめ方針を伝えた。すると「歴史を止めてはいけない。施設内に土地があるから、もう一度やってみないか」と資本提携の打診を受けた。琉球村は様々な沖縄文化を体験できる施設。そこで再び泡盛造りをできるのならと、継続を決意した。

 18年4月に製造をストップし、今年11月1日に琉球村の新工場で酒造りを再開させた。高台の首里と比べ、琉球村は海岸に近い低地にあり、水の質も異なるため、泡盛の味は微妙に変わるとみられるという。

 場所が変わっても、引き続き「咲元」という銘柄で出荷する方針だ。佐久本さんは「どんな味になるか私も楽しみ。県外にも発信できるような新しい泡盛を造りたい」と話している。

◆泡盛=15世紀初めの琉球王朝時代に、シャム(現在のタイ)から伝わったとされる蒸留酒。沖縄を舞台にしたNHK連続テレビ小説「ちゅらさん」(2001年)などで注目され、ピークの2004年には2万7688キロ・リットルを出荷したが、昨年は1万5965キロ・リットルに減少した。県内の酒造所は現在、47軒。

無断転載・複製を禁じます
1690630 0 経済 2020/12/10 14:05:00 2020/12/10 15:00:00 2020/12/10 15:00:00 新しい工場で泡盛づくりを再開する佐久本社長(1日、沖縄県恩納村で)=大久保和哉撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201210-OYT1I50046-T.jpg?type=thumbnail

ピックアップ

読売新聞購読申し込み

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)