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「脱ハンコ」で苦境でも「簡単にはなくならない」…生み出した斬新なデザイン

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 「逆境にあっても、くじけちゃ駄目だめ」。東京都豊島区にあるハンコ屋「吉報堂」社長の小嶋茂男さん(51)がそう言って、1本の印鑑を取り出した。

印影が特徴的な「3Dはんこ『ダイス』」
印影が特徴的な「3Dはんこ『ダイス』」

 朱肉につけて紙に押すと、立体的なサイコロに見える印影が現れた。サイコロの目の部分に、人名が刻まれた斬新なデザイン。「3Dはんこ『ダイス』」と名付けた。

 印章業界は今年、「脱ハンコ」の流れで苦境に陥っている。元々あった押印を減らそうという動きが、新型コロナウイルスの感染拡大を機に、押印のための出社や外出が無駄と指摘されたことで加速した。政府は1万を超える行政手続きで押印廃止を進める。

「ハンコにはまだまだ可能性がある」と語る小嶋さん
「ハンコにはまだまだ可能性がある」と語る小嶋さん

 吉報堂の売り上げも3~5月だけで前年より6割減った。ただ、8月に発売した「ダイス」はすでに200本以上売れた。印鑑登録できるか役所で試し、登録されたお墨付きの逸品でもある。

 「苦しい時こそ、熱意を忘れない」。その教訓は、あの災禍での経験で得られたものだ。

 2011年3月11日、東日本大震災。印鑑を購入するきっかけになる入学式や入社式の中止が相次ぎ、以前から厳しかった経営が悪化し、倒産を覚悟した。

 暗い気持ちでテレビを見ていると、被災者の高齢男性が義援金が受け取れないと訴える姿が目に留まった。津波で印鑑や身分証明書が流され、手続きがスムーズに進まないらしい。

 窓口から避難所へとぼとぼと戻る後ろ姿をみて、居ても立ってもいられなくなった。印鑑なら捨てるほどある。「どうせ潰れるなら役に立ててもらおう」

 使い始めたばかりのSNSで印鑑を求める人を探し、片っ端から封筒に詰めて避難所へ郵送した。5月には、1500種類約3000本を営業車に積んで避難所を訪問し、無償で配った。

 「佐藤」「渡辺」「三浦」――。名字を呼ぶと、次々と被災者が受け取りに来た。仮設住宅への入居や預金通帳の再発行など生活の再建へ向かっていく時期だった。

 「ハンコ屋さん、ありがとう。本当に助かる」。多くの人たちから礼を言われた。帰り道、運転をしながら目頭が熱くなった。「人生で初めて人に喜ばれた」

 震災から1年、2年と月日がたった。「お店を始めるから、新しいハンコ作ってもらえないかな」。再起を図る飲食店主らから、依頼が入るようになった。知り合った漁業者からは、漁具に船名を焼き付ける焼きごてや、大漁旗の製作も頼まれた。当然、つくった経験はない。デザインを考え、ツテをたどって外注先を探し、完成させた。

 自分が作ったものが、人の生活を支え、シンボルにもなる。ハンコ屋の楽しさを実感して仕事に熱が入るようになり、経営も持ち直した。

 そんな折、急浮上したのが「脱ハンコ」だった。パソコンやプリンターが普及して以来、右肩下がりの業界。「この業界はなくなる」と言われていただけに、冷静に受け止めている。

 だが、文化としてのハンコはなくなるわけはないと信じている。卒業証書や合格証は押印がないと格好がつかないし、ハンコを集めるご朱印集めや鉄道のスタンプラリーの人気は健在だ。

 小嶋さんは記者に「人々に根付いた部分は、簡単にはなくならない。もっと使いやすく、そして使ってもらえるデザインがあるはずだ」とも話してくれた。その表情には、時代にあらがってみせるという決意が見えた。(杉本和真)

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1717018 0 経済 2020/12/21 15:00:00 2020/12/21 15:00:00 2020/12/21 15:00:00 押印すると3Dに見えるハンコ。東京都豊島区で。2020年10月28日撮影。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201221-OYT1I50050-T.jpg?type=thumbnail

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