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    【論争編】モノ言えぬ政府税調

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    論争編(3)

    官邸主導で方針骨抜き

     「私はタイムキーパーみたいなもの。意見を押し付けることや、無理に方向性を示すことはしない」

     10日午後。政府税制調査会が11か月ぶりに開かれた。終了後の記者会見で政府税調の役割を問われた中里実会長(東大教授)の歯切れは悪かった。

     毎年度の税制改正を政治決着させていく自民党税制調査会に対し、政府税調は日本の「あるべき税制」を中長期的な視座から議論する場だ。首相の諮問機関として権威を誇った。今は求心力の低下が否めない。

     その8日前の昼下がり、皇居近くの如水会館。小泉純一郎元首相は一輪の白菊を手に、聡明な眼差(まなざ)しを向ける遺影と相対していた。

     石弘光。財政学が専門の一橋大教授で、2001年春から5年半に及んだ小泉内閣時代、政府税調会長を務めた税の大家だ。

     2年余りの闘病の末、今年8月に膵臓(すいぞう)がんで永眠。81歳だった。2日のお別れの会には小泉を始め、岡本薫明(しげあき)次官(1983年入省)、星野次彦主税局長(83年)ら財務省の現役幹部、黒田東彦(はるひこ)・日本銀行総裁(67年)ら財務省OBも続々と参列した。

     「消費税率を上げるべきです」「自分の内閣では上げない」

     考え方は正反対だが、小泉と石は税のあり方について真っ向から主張をぶつけ合う間柄だった。小泉の動静を伝える新聞紙面には、たびたび石の名前が登場する。「税制は政治家として一番の関心事のひとつで、色々と教えられた。学者らしく真摯(しんし)な人だった」。小泉は遺影に花を手向け、そう悼んだ。

     政府税調が輝いていたのは、石が会長だった2000~06年と、1980年代の第2次臨時行政調査会(土光臨調)で活躍した加藤寛・慶応大教授が会長を務めた1990~2000年とされる。

     「子供や孫の世代に借金を押しつける体質を改善しなければならない」。石の主張は一貫していた。歳出削減には限界があり、増税は避けて通れない。所得増税を訴えた05年には「サラリーマン増税」だと世間から反感を買い、自宅に犬のフンをまかれる騒動も起きた。「増税請負人」と揶揄(やゆ)されても、石は無報酬で悪役を演じ続けた。

     潮目が変わったのは06年。第1次安倍内閣の誕生がきっかけだ。財政再建に向け、着実に増税を進めたい財務省は、石に3期目の会長就任を打診した。だが、「上げ潮派」の安倍は、「官邸主導の成長重視」を明確にするため、石に退場を求めた。財務省の推薦を官邸が追認するのが慣例だった人事は覆された。

     その後の民主党政権では、政治主導の旗の下で多くの議員が政府税調に加わり、会長には財務相が就いた。利害を抜きに論じる場は乱された。12年の第2次安倍内閣の発足後も、復調しきれない状況が続く。

     14年11月。政府税調は配偶者控除を見直す方法を5案提示し、中でも働き方や年収を問わずに税負担を減らす「夫婦控除」の導入を有力視した。ところが、専業主婦世帯の反発を懸念した官邸の意向で配偶者控除は存続が決定。所得税の抜本改革の方向性を示す中間答申も、16年6月に取りまとめる予定だったが見送りを余儀なくされた。

     石の(まな)弟子で、政府税調の現役委員でもある一橋大教授の佐藤主光(もとひろ)は言う。「政府税調は政策の原石を作るべき場。原石を磨き、加工するのが政治だ。もっと角を突き合わせないと、何があるべき姿で、何が妥協なのかも国民に示せない」

     石が健在なら、今の政府税調と財務省に、どのような論争を仕掛けるだろうか。(敬称略)

    Q 税制改正誰がけん引 A 70~80年代、政府から自民へ

     Q 政府税制調査会とは。

     A 首相から諮問を受け、中長期的な税制を議論する機関だ。1959年に法制化され、62年から常設となった。正式名称は「税制調査会」で、自民党税制調査会と区別するために「政府」を冠して呼び習わされている。内閣府の所管だが、実際は国税を受け持つ財務省と、地方税を担う総務省が黒子役を務める。

     現在は、税財政が専門の大学教授らを中心とした委員20人、議決権のない特別委員19人の総勢39人で構成される。特別委員にはサントリーホールディングスの新浪剛史社長らがいる。

     Q これまでの歩みは。

     A 首相や自民党税調との関係が注目された。中曽根首相は85年、政府税調を「大蔵省の代弁者」から脱却させるため、作家の堺屋太一氏、リクルートの江副浩正社長ら10人を特別委員に起用した。当時は「暴れ馬十人衆」と呼ばれた。

     毎年度の税制改正は、70年頃までは政府税調が主導していたとされる。その後のオイルショックを機に、各業界が「族議員」に税制優遇を強く働きかけるようになり、主導権は自民党税調に移った。80年代後半、「ミスター税調」の異名で権勢を振るった山中貞則・自民党税調会長は、政府税調について「軽視はしない。無視する」と言い放った。

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    2018年10月18日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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