東電元幹部無罪 ゼロリスク求めなかった判決
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未曽有の自然災害が原因の事故について、個人の刑事責任を問うのはやはり難しい。裁判所は証拠を吟味した結果、そう判断したのだろう。
東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡り、業務上過失致死傷罪に問われた勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人に対し、東京地裁が無罪を言い渡した。
検察は3人を不起訴にしたが、市民で構成する検察審査会の議決で強制起訴された。安全対策を怠り、東日本大震災の津波による原発事故を発生させた結果、避難を強いられた入院患者を死亡させるなどした、という内容だ。
裁判のポイントは、3人が津波の発生を予見できたかどうかだった。検察官役の指定弁護士は、事故前に「最大15メートル超」の津波の可能性を指摘した試算を根拠に「対策を取るか、運転を停止していれば事故は防げた」と主張した。
これに対し判決は、試算の基となった政府機関の地震に関する長期評価について、「専門家から疑問が示されるなど、信頼性に欠けていた」と判断した。その上で、津波発生の予見可能性を否定し、3人の無罪を導いた。
刑事裁判で、個人の過失を認定するには、具体的な危険性を認識していたことを立証する必要があるが、それが不十分だったということだ。刑事裁判の基本に沿った司法判断と言えよう。
また判決は、「自然現象についてあらゆる可能性を考慮して対策を講じることを義務づければ、不可能を強いることになる」との考え方を示した。当時の原発の安全対策に、「ゼロリスク」まで求めなかったのはうなずける。
ただ、刑事責任が認定されなかったにせよ、原発事故が引き起こした結果は重大だ。想定外の大災害だったとはいえ、東電の安全対策が十分だったとは言い難い。
2年3か月にわたる公判では、東電の原発担当者や地震学者ら20人以上が出廷した。津波対策が必要だと考えていた、と証言した部下もいた。危機感が共有されず、組織として迅速な対応が取れなかった実態が浮かび上がった。
強制起訴によって裁判が行われることになり、公開の法廷で、原発の安全対策に対する経営陣と現場との認識のギャップが明らかになった意義は小さくない。
大切なのは、裁判で得られた教訓を今後の対策に生かすことである。東電や国は、最新の科学的知見や、信頼できる研究データに基づき、事故の可能性を低減させていく努力を怠ってはならない。