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長い歴史の中で、人は紙に字を書き、活字を読んで、人格を形成してきた。登場間もないデジタルに、学びを委ねて本当に大丈夫なのか、十分な検証が必要である。
文部科学省が、デジタル教科書の本格導入に関する中間まとめの骨子案を有識者会議に示した。
デジタルの利点として、持ち運びやすさや拡大表示ができることを挙げ、2024年度以降、小中学校で使う教科書を「全てデジタルに変更」「紙と併用」するなど五つの活用案を盛り込んだ。
日本は紙の教科書を使い、高い学力を維持してきた。それをデジタルに切り替え、どのような教育を目指すのか。理念を置き去りにしたまま、全面デジタル化に踏み切るなど、あってはならない。
先行して導入した国の中には、子供の集中力や学習効果に疑問が生じ、慎重姿勢に転じたところがある。デジタルを教科書として位置づけていない国も多い。
日本も教科書は紙を基本とし、デジタルは学習効果を高める補助教材にとどめるべきだ。動画や音声の方が学びやすい教科や授業では、効果的にデジタルを活用するなど、今回の5案にとらわれない柔軟な発想が重要だろう。
IT化の遅れを取り戻そうと、慌ててデジタル化にかじを切った結果、学力が低下するような事態になれば取り返しがつかない。
明治大の斎藤孝教授は「紙の方が記憶が定着しやすい」と述べ、完全に身につけるべき知識は紙の教科書で学び、派生的な情報はデジタルで調べるべきだと主張している。もっともな意見である。
教員志望の学生100人以上に聞いても、紙の存続を訴える学生が圧倒的に多いという。
文科省は最近まで、中学生がスマートフォンを学校に持ち込むのを禁じていた。小学生は今も原則禁止だ。それがいきなり全児童生徒にデジタル端末を配り、教科書もデジタル化するという。困惑する教員や保護者は多かろう。
文科省はかつて、学校に配備した電子黒板が使われず、財務当局から苦言を呈されたことがある。端末を教科書として利用すれば、前回の二の舞いにはならないと考えたのなら、本末転倒である。
菅内閣は、「デジタル化」の推進を掲げている。行政手続きの効率化は急務だが、教科書を同列に論じるべきではない。
端末の配布は消費増税後の経済対策の側面もあるとされる。未来を担う子供の教育に、経済効果の観点を持ち込んではならない。