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「自民党にのみこまれずに、しっかりと公明党の役割を果たします」

2000年6月13日、与党として初めての衆院選に臨んだ公明党の漆原良夫氏(比例北陸信越)は、二つの逆風に直面していた。
一つは、自民、公明、保守3党の連立政権に参加したことへの拒否反応だ。公明党は1964年の結党以来、「非自民」を貫き、98年参院選でも激しくやり合ったばかりだった。99年10月、「政治の安定」を掲げて手を組んだが、支持者からは「自民に利用されるだけだ」と反発の声が上がった。自社さ政権で衰退した社会党の二の舞いになるとの懸念も強かった。
衆院1回生だった漆原氏は会合を重ね、支持者への説明に奔走したが、「なかなか理解してもらえず、苦しかった」と振り返る。
もう一つの逆風は、衆院選直前に飛び出した森首相の「神の国」発言だ。政教分離に反するかのような失言で支持率は急落し、野党が内閣不信任決議案を提出すると、森氏は衆院解散に踏み切った。

漆原氏は「連立を組んでいると、自民が元気な時は公明にもプラスになるが、不人気の場合はこちらにも逆風が吹く」と語る。
自公の選挙協力も順調とは言えなかった。中には「比例は公明」と訴えて戦った自民候補もいたが、公明内には「自民を全面支援しているのに、自民から回ってくる票が少ない」との不満が広がっていた。石川県の森氏の後援会幹部からは「比例代表で公明と書いてきたよ。涙が出てきた」と告げられ、公明への抵抗感の強さを痛感した。
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