2018秋号

長期政権のレガシーを残せるか(上)

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 自民党総裁選で安倍晋三首相が3選を果たしたことで、安倍内閣が憲政史上最長の政権となる可能性が高まってきた。憲法改正やデフレ脱却、社会保障といった政策課題で、政権終盤の安倍内閣が成果を挙げるには何が必要か、歴代の長期政権を比較しながら考察する。過去の長期政権では、外交・安全保障政策や政治手法の面で共通点が多く見られ、いずれも歴史に残る実績を挙げている。一方、終盤の政権運営を誤り、レームダックに陥ったケースもある。なぜこうした違いを生じたのか。そして安倍政権は果たしてレガシー(遺産)を残して有終の美を飾れるのか。3期目の課題を探った。

首相連続在職1位が視野に

自民党総裁選で連続3選を決め、立ち上がって拍手に応える安倍首相(9月20日、自民党本部で)
自民党総裁選で連続3選を決め、立ち上がって拍手に応える安倍首相(9月20日、自民党本部で)

 歴代首相の連続在職日数を比較すると、最長が佐藤栄作首相の2798日で、次いで吉田茂首相(2248日)、安倍首相、小泉純一郎首相(1980日)、中曽根康弘首相(1806日)-の順となる。安倍氏は3選を果たした9月20日時点で2095日と小泉氏を超えており、このまま首相を続ければ19年2月21日に吉田氏を抜いて2位になり、20年8月24日には佐藤氏を超えて1位となる計算だ。

 なお、通算の在職日数でみると、明治末から大正初めのいわゆる「桂園時代」に、西園寺公望首相と交代しながら第3次内閣まで務めた桂太郎首相の2886日が最長で、安倍氏は2006~07年の第1次政権と合算すると、19年11月20日まで首相を務めた場合に、これを抜くことになる。

 明治憲法下の内閣総理大臣は、憲法上の記載すらなく、天皇の大命降下で組閣し、権限も日本国憲法下の内閣総理大臣と大きく異なるから、単純に比較するのは必ずしも適切でない。本稿では、日本国憲法下で1800日超の長期政権を維持した(時代順に)吉田、佐藤、中曽根、小泉の4内閣について分析し、安倍政権との共通点、相違点を浮かび上がらせることで、安倍内閣が政権の終盤に何を求められているのかを、比較研究的に明らかにしたい。

長期政権の共通点(1)日米外交

 歴代長期政権を比べると、いくつかの共通点があるのに気がつく。

 一つは、外交面で日米協調を重視し、首脳外交で日米関係を立て直したり強化したりしたことだ。

自由党(当時)大会で総裁に再選され、あいさつする吉田茂首相(1952年3月、東京都内で)
自由党(当時)大会で総裁に再選され、あいさつする吉田茂首相(1952年3月、東京都内で)

 吉田内閣はサンフランシスコ講和条約、日米安保条約を締結し、佐藤内閣は沖縄返還を実現した。いずれも強固な日米の信頼関係がなければ成し遂げられなかった。

 中曽根首相は、前任の鈴木善幸首相が、日米の同盟関係について「軍事同盟ではない」と発言し日米間の信頼関係が大きく揺らぐ中、就任早々、関係改善に取り組んだ。レーガン米大統領と会談し、日米は「運命共同体」と表明するとともに、米紙に日本列島は「不沈空母」となると発言したと報じられ、物議を醸しながらも、当時、厳しくソ連と対峙していた米国と協調して行動する方針を鮮明にした。

 中曽根氏は個人的にも、当時の西側先進民主主義国をリードしていたレーガン氏、ミッテラン仏大統領らと信頼関係を結び、西側の結束を呼びかけることで、最終的に冷戦の終結とソ連の崩壊へと、時代を動かす一翼を担った。

自民党総裁選で4選後、記者会見する佐藤栄作首相(1970年10月29日、首相官邸で)
自民党総裁選で4選後、記者会見する佐藤栄作首相(1970年10月29日、首相官邸で)

 小泉首相も、中曽根氏と似ている。1990年以降の湾岸危機・戦争では、日本の国際貢献が後手に回り、米国をはじめ国際社会の日本への信頼が失墜した。その後、政府は自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣したり、自衛隊をカンボジアの国連平和維持活動(PKO)に参加させたりしたものの、「名誉挽回」の十分な機会がなく、日本政府にも湾岸のトラウマが残る中で、2001年9月11日に米同時テロが発生した。

 小泉内閣の対応はスピーディーで、翌10月には米軍などへの自衛隊の後方支援を可能にするテロ対策特別措置法を成立させて11月に自衛艦をインド洋に向けて出航させ、ブッシュ米大統領から高い評価を得た。首脳間の信頼に基づく良好な日米関係は、02年の北朝鮮による拉致被害者の一部帰国と、日朝平壌宣言署名にもプラスに働いたと言える。

長期政権の共通点(2)政治課題への挑戦

衆参同日選挙で勝利した際の中曽根康弘首相(1986年7月7日、自民党本部で)
衆参同日選挙で勝利した際の中曽根康弘首相(1986年7月7日、自民党本部で)

 歴代長期政権でもう一つ共通していることに、賛否両論のある政治課題で決断し、成果を挙げたことがあげられる。

 吉田内閣のサンフランシスコ講和条約締結に対しては、社会党や南原繁東大総長から、ソ連を含む全交戦国と講和条約を結ぶ「全面講和」を求めるべきだとの声が強く出され、国論を二分する状況になった。吉田首相は、早期の講和・独立につながる「多数(単独)講和」を強力に推し進め、駐留米軍に日本の平和と安全を委ねる道を選んだ。日本が西側諸国の一員となったことは、後の経済発展の礎ともなった。

 佐藤内閣の沖縄返還も、内閣のスタート当初は外務省内ですら「実現は困難」との見方が強かったが、「沖縄が帰ってこない限り、わが国の戦後は終わらない」と退路を断って訴えながら粘り強く対米交渉して達成した。中曽根内閣による国鉄の分割・民営化は国鉄幹部や労組、自民党運輸族の反対を押し切って実現した。小泉内閣による郵政民営化は、自民党郵政族らの抵抗に遭って一度は関連法が参院で否決されたにもかかわらず、衆院解散・総選挙という異例のプロセスを経て成立させた。

 以上から、歴代長期政権は、日米同盟に基づく安定的な外交・安全保障環境を整備した上で、困難な政策課題を解決するミッションを自らに課すことで、いわば向かい風を上昇気流に変えて政権への求心力を高めて飛行距離を伸ばすように在職期間を延ばし、結果的に後世にレガシーを残した-と言えるのではないだろうか。

衆院選の開票速報を見つめる小泉純一郎首相(2005年9月11日、自民党本部で)
衆院選の開票速報を見つめる小泉純一郎首相(2005年9月11日、自民党本部で)

 裏を返すと、「大仕事」をやり終えた政権には、一気に遠心力が働くこともある。

 講和条約締結から退陣まで約3年3か月の命脈を保った吉田内閣と、沖縄返還協定調印から退陣まで約1年1か月あった佐藤内閣において顕著で、政権末期には与党内から公然と批判が起きたり、党内のグリップが半ば効かない状況となったりしていた。

 これに対し、中曽根、小泉両首相は政権末期まで求心力を保ち続けた。両政権は選挙に強く、政権末期の衆院選に大勝している。中曽根政権は1986年7月の衆参ダブル選で300議席、小泉政権は2005年9月の衆院選で296議席という空前の勝利を収めた。また大きな課題に区切りがついてから比較的早期に首相を辞めている。中曽根政権の場合は国鉄民営化の約7か月後、小泉政権は郵政民営化関連法の成立の約11か月後だった。

安倍政権の特徴と成果

 では、安倍政権はどうだろうか。

 傷ついた日米関係を修復することで日本の国際戦略環境を改善した点は、中曽根、小泉両政権と共通している。

 外交失策が続いた民主党政権と常に見比べられるという「運」も味方した。民主党政権、とりわけ鳩山政権は、中国を重視する「東アジア共同体」構想を打ち出したり、米軍普天間飛行場の沖縄県外移設の方針を打ち出して頓挫したりして、オバマ米政権下で日米関係の信頼は大きく揺らいだ。日米同盟のきしみを見透かしたように、中国は尖閣諸島を巡り軍事衝突も辞さない強硬姿勢をちらつかせた。

 安倍首相は、日米同盟重視の姿勢を掲げ、2015年4月には米国連邦議会の上下両院合同会議で「希望の同盟へ」と題した演説を行って日米の和解を強調し、成功を収めている。さらに日米の軍事協力の実効性を高める安全保障関連法を15年9月に成立させ、米側から歓迎された。

 今また安倍氏は、トランプ米大統領との個人的な信頼関係を各国首脳に先駆けて築くことに成功した。長期政権を首脳外交に生かしてきたことは、自民党総裁選でも重要なアピールポイントとなった。

 戦後日本外交の基軸である日米同盟を発展させてきた安倍内閣の政権運営は、長期政権の教科書通りと言えるかもしれない。

外交・安保は道半ば

 一方、実績面で見ると、今のところ、過去の長期政権と比べると見劣りする感が否めない。

 もちろん、成果がなかったわけでは決してない。

 外交・安全保障政策では、日米関係を大きく好転させたことに加え、長年内閣法制局の解釈により憲法上認められないとされてきた集団的自衛権の行使が、限定的とはいえ、安全保障関連法制定を通じて可能になった。防衛装備品(武器)の輸出を事実上禁じてきた武器輸出3原則に代わり、14年4月に防衛装備移転3原則を閣議決定したことも長年のタブーを破るものだった。

 ただ、北朝鮮を巡る拉致・核・ミサイル問題の包括的な解決は遠い道のりの途上にあり、ロシアとの北方領土問題も同様だ。

 今なお自衛隊違憲論が憲法学者などの間で根強い憲法の改正も長年の重要課題だが、今後の展望は開けていない。

 安倍首相は昨年5月、憲法9条1、2項を維持したまま自衛隊を位置づける憲法改正を提起し、緊急事態対応や参院選の合区解消などと合わせて憲法改正の発議、国民投票を行うことを目指している。だが、立憲民主党など野党に強硬な改憲反対論があり、公明党も慎重な姿勢で、国会の論議は足踏みが続いている。

 安倍氏は国民投票について、読売新聞のインタビューに「野党の支持者でも、(憲法を)改正したいと考えている方々もいるのではないか。政局的な観点で行われるのは避けるべきで、政権選択の投票ではないと、明確にしないといけない」と述べ、投票結果が自らの進退には直結しないとの考えをにじませたが、仮に国民投票で改正案が否決されれば、政権運営へのダメージは免れない。与党はもとより、さらに野党を巻き込むか、あるいは反対しづらい形に持ち込んで発議するなど、高度な「戦略性」が求められる。

 安倍政権は、失態が続いた民主党の前政権を厳しく批判することで、国民の支持を維持してきた。それだけに、立憲民主党などと議論を戦わせながら合意を模索する「熟議民主主義」を達成するのは容易ではないだろう。「言いっ放し」で議論が深まらない不毛な国会のあり方が問題となっており、一義的な責任は野党側にあるが、安倍政権が最終章を迎える中で、憲法改正という歴史的な実績を勝ち取るためには、与野党が党利党略を捨てて政策本位の国会運営を行うための知恵と工夫が求められている。

(長期政権のレガシーを残せるか(下)につづく)

参考文献

宇治敏彦編(2001)『首相列伝 伊藤博文から小泉純一郎まで』(東京書籍)

岡本文夫(1972)『佐藤政権 八年にわたる長期政権の記録』(白馬出版)

北岡伸一(2008)『自民党-政権党の38年』中公新書(中央公論新社)

楠田實編著(1983)『佐藤政権・二七九七日〈上〉〈下〉』(行政問題研究所)

塩澤実信(1989)『人間 吉田茂』(光人社)

長谷川和年(2014)『首相秘書官が語る中曽根外交の舞台裏』(朝日新聞出版)

林茂、辻清明編(1981)『日本内閣史録5、6』(第一法規出版)

升味準之輔(1985)『現代政治 1955年以後 上』(東京大学出版会)

御厨貴編(2013)『増補新版 歴代首相物語』(新書館)

読売新聞昭和時代プロジェクト(2013)『昭和時代 戦後転換期』(中央公論新社)

読売新聞昭和時代プロジェクト(2015)『昭和時代 敗戦・占領・独立』(中央公論新社)

読売新聞昭和時代プロジェクト(2016)『昭和時代 一九八〇年代』(中央公論新社)

読売新聞政治部(2005)『自民党を壊した男 小泉政権二五〇〇日の真実』(新潮社)

プロフィル
舟槻 格致( ふなつき・かくち
 読売新聞調査研究本部主任研究員。専門分野は憲法と政治。憲法を中心とした政治の動きを、政治部で担当。首相官邸のほか与野党、国会、外務省、法務省などを取材し、憲法、衆院選、統括担当の次長を経て現職。著書『政治はどう動くか』(書肆侃侃房)、共著『基礎からわかる 憲法改正論争』(中公新書ラクレ)など。

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46692 0 読売クオータリー 2018/10/31 12:02:00 2018/10/31 12:02:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181024-OYT8I50025-T.jpg?type=thumbnail

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