米国の凋落と「新冷戦」

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 2019年は東西冷戦終結から30年の節目の年となる。米ソ両首脳が冷戦終結を宣言した1989年から今日まで、ちょうど日本の平成時代と重なる世界の激動。その軌跡は、冷戦に勝利し唯一の超大国となった自由主義陣営の盟主・米国が、新たな世界秩序の構築を目指しながらも、ポスト冷戦期に噴出した地域課題や矛盾に直面する中で方向性を見失い、さらには9・11同時テロを受けた「テロとの戦い」や金融危機の疲弊を経て、世界関与から次第に手を引いていった経緯を抜きに語ることは出来ない。ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(子)、オバマ、そして現在のトランプ大統領に至る米歴代政権がこの30年、どう世界に向き合い、その結果、世界はどう変わったのか。世界の軌跡を米外交政策を軸に総括し、新しい時代の指針を探る。

振れ幅の大きいポスト冷戦期の米政権

NATO首脳会談で記者会見するジョージ・H・W・ブッシュ米大統領(1990年7月、ロンドンで)
NATO首脳会談で記者会見するジョージ・H・W・ブッシュ米大統領(1990年7月、ロンドンで)

 冷戦後の世界と米国の30年を俯瞰(ふかん)すると、大きく次の三つの時期に区切ることが出来よう。(1)89年の冷戦終結以降90年代を通じ、米国の一極支配となった世界で新たな秩序の追求と試行錯誤が続いた約12年の「模索期」(父ブッシュ、クリントン両政権)(2)2001年の米同時テロを境に、米国が秩序維持のため単独行動主義と多国間主義の逆方向に揺れた約16年の「振幅期」(子ブッシュ、オバマ両政権)(3)米国自身が国際秩序を無視し、偏狭な「米国第一主義」に走った直近2年の「混迷期」(トランプ政権)―である。

 冷戦が西側の勝利に終わった30年前、世界関与と自由貿易を「不公平」と切り捨てる実業家出身の米国大統領が誕生、ポピュリズム(大衆迎合主義)と保護主義がはびこると同時に、中露両覇権国家が台頭、米国との「新冷戦」とも言われる無秩序状況が生じている今日の世界を誰が予想しただろうか。この30年の重要事を、歴代政権ごとに別掲年表にまとめたが、米国と世界の変貌(へんぼう)ぶりがよくわかる。

ブッシュ(父)政権 冷戦終結を導く

 まずは、「強いアメリカ」の再生を掲げ冷戦勝利への道筋を開いたレーガン政権の後を受け、日本の平成元年にあたる89年1月に大統領に就任、熟練の外交手腕で冷戦終結を平和裏に実現した共和党のジョージ・H・W・ブッシュ氏の時代から順に検証していこう。平成最後の1年となった昨年11月末のブッシュ氏の死去(享年94)は、「ポスト冷戦期」という一時代の終焉(しゅうえん)を象徴するが、まさにその初頭を画した89~93年のブッシュ政権の1期4年は、冷戦終結時のインパクトが最大限に生じた、現代史でも未曽有の激動期だったと言える。東欧革命、ベルリンの壁崩壊、ドイツ統一、ソ連崩壊―。文字通り、激震の連続に、ブッシュ政権は終始冷静に対処し、冷戦終結という大事業を、制御不能の混乱を招くことなく、見事にゴールに導いた。

 ソ連が著しく疲弊し、東欧が自由への渇望を抑えきれなくなった末、自由主義陣営の全面勝利となった冷戦を、ブッシュ大統領は89年12月のゴルバチョフソ連最高会議議長とのマルタでの首脳会談で、米ソ指導者が対等の立場から「終結宣言」を行い、新たな平和の時代への米ソ協調をアピールするという形で納めた。ソ連のみならず、英仏も懸念を示した東西ドイツ統一についても、再び脅威と化しかねない中立という形でなく、北大西洋条約機構(NATO)に加盟した民主ドイツの重要性を関係国に諄々(じゅんじゅん)と説き、実現させた。副大統領2期など内外の要職を歴任したブッシュ氏の練達の手腕が発揮された形で、時代の一大転換期に、この卓越した危機管理能力を持った人物が米大統領だった意味は大きい。

 こうして生まれつつあった米ソ協調という新秩序に、90年、隣国クウェートへの侵攻という形で中東から挑みかかったのがイラクのフセイン政権だったが、ブッシュ政権は、ソ連の拒否権の懸念がなくなった国連安全保障理事会を活用し、対イラク撤退要求、武力行使承認決議を取り付けた上で、約30か国、50万人を超える多国籍軍を組織。国際社会の総力を結集した91年の湾岸戦争で独裁者フセインの野望を粉砕、冷戦後最初の地域紛争を成功裏に処理した。

 そして、世界はこの時、「砂漠の嵐作戦」の名の下、ソ連製兵器主体のイラク軍を質量共に圧倒した米軍事力の強大さに驚嘆する。トマホーク巡航ミサイルに代表される精密誘導弾やF117ステルス戦闘爆撃機などの最新兵器の威力がCNNテレビのリアルタイムの映像で全世界に伝えられた。ソ連を追い詰めるためにレーガン政権が推進した軍拡で開発、配備された兵器群と地球規模で対応できる空輸ネットワークが、冷戦後のブッシュ政権によって実戦で威力を発揮した形だ。米国は、冷戦と湾岸戦争に勝利したブッシュ政権下で、正当性とパワーを伴った唯一最強の超大国として絶頂を迎えたと言える。

「新世界秩序」構築できず

 この米国の圧倒的な優位の中で、ブッシュ氏が掲げたのが「新世界秩序」構想だ。東西冷戦構造が崩壊し、最大の敵ソ連との「熱戦」の脅威が消えた以上、新たな世界のあり方を米大統領が希求するのは妥当な帰結ではあった。ブッシュ氏は湾岸戦争勝利後の91年4月の演説で、新世界秩序について、「侵略を抑止し、安定を達成し、繁栄を実現する、つまりは平和を達成するために諸国と協働する新たな手法を意味し、新たな世界の可能性に答える道具となる」と語った。アラブ諸国とイスラエルが初めて一堂に会したマドリード中東和平国際会議を91年秋、米ソ共催で実現させたのはその発露と言えよう。

 だが、ブッシュ氏の描いた「新秩序」は、「東西も南北も共に繁栄する」という程度の漠然とした理想先行の概念に過ぎず、構想を形として定着させる具体的戦略も伴っていなかった。冷戦終結によって顕在化した中東などの独裁体制やユーゴスラビアなど地域の民族、宗教・宗波対立など、新たな世界の諸問題の把握もできていなかった。米政治学者フランシス・フクヤマ氏が89年夏当時に発表した論文「歴史の終わり?」で、「共産主義に勝利した自由民主主義こそが人類の最終統治形態である」と提起したように、自由主義世界全体に現状と将来への楽観論が支配していたこととも無縁ではないだろう。

 湾岸戦争勝利の余韻が消え、米国民の関心が外交より経済に大きく移行する中で、ブッシュ氏は結局、外交政策でも慎重路線に傾き、92年大統領選で経済最優先政策を全面に掲げた民主党のクリントン氏に再選を阻止され、新秩序構築に本腰を入れるはずだった2期目の4年という時間を逸した。カーター政権の国家安全保障担当大統領補佐官ズビグニュー・ブレジンスキー氏は、ブッシュ氏を「最初のグローバルな米大統領」と位置づけた上で、「冷戦直後の世界を見事にさばいたが、最大の欠点は世界の将来を形成する機会を逃したことだ」と述べ、その「逸機」の重大性を指摘している(注1)。

 一方、イスラム教聖地を抱えるサウジアラビアへの米軍駐留やフセイン・イラク政権の中途半端な存続は、米国を後年苦しめるイスラム過激派組織「アル・カーイダ」の9・11テロやイラク戦争の遠因ともなった。振り返れば、父ブッシュ時代は、米国が絶頂期を迎えたと同時に、今に至る衰退への道を歩み始めた時期であったとも言える。

クリントン政権 民主主義の拡大を目指す

「平和の礎」を訪問し、演説するビル・クリントン米大統領(2000年7月、沖縄県糸満市の平和祈念公園で)
「平和の礎」を訪問し、演説するビル・クリントン米大統領(2000年7月、沖縄県糸満市の平和祈念公園で)

 新秩序構築が未完に終わったブッシュ政権の後を受け、93年から2001年の2期8年を務めた民主党のビル・クリントン大統領は、ポスト冷戦期に本格的に対処した事実上初の米政権となった。ソ連の軍事的脅威、あるいは、東西両陣営間の体制の存続がかかった全面戦争の危険性が存在しないという初めての環境の中で、クリントン政権は公約通り、経済最優先の内政重視路線を推進した。軍事費削減など「平和の配当」が言われた時代だった。

 93年秋、冷戦後の米国新事情を探ろうと中西部を取材した際、一人の労働者が米国民の意識変化をこう表現したのを覚えている。「俺たちはもう、コーラスの一番前で声を張り上げてソロを歌うのは勘弁してほしいんだ。後ろの列で普通に歌いたいのさ」。世界のリーダーから一プレーヤーに―米国の役割に関する意識変化ははっきり感じられた。知日派学者ケント・カルダー氏も当時、「米国は超大国から『普通の国』へと変化し始めた」と語った。

 クリントン大統領も、こうした内向きの世論を十分に認識、基本スタンスとしては、世界での米国の直接介入に極力慎重姿勢を取った。しかし、現実には、米国は最強の軍事力を持ち、世界に影響力を行使できる唯一の超大国として君臨しており、指導層や国民にもなお、米国はナンバー1で特別な存在だという意識は根強かった。

 冷戦後の世界で米国はどうあるべきなのか。この新たな命題をめぐる、ある種の混乱が進行していた中で、クリントン外交戦略の骨格は、93年9月、アンソニー・レーク国家安全保障担当大統領補佐官がジョンズ・ホプキンズ大で行った講演「封じ込めから拡大へ」で示される。レーク氏は、冷戦後、米国のパワーの目的は共産主義封じ込めから、民主主義と市場経済の拡大に移行したと強調、同時に、大量破壊兵器やテロ支援などで民主主義を脅かす「反動国家(Backlash State)」、つまり米国が指定する「ならず者国家(Rogue State)」を冷戦後の新たな「敵」と位置づけた。一方で、地域紛争への対応については、国連や北大西洋条約機構(NATO)といった多国間の枠組みでの人道介入に、米国はコストや効果などを考慮して選別的に参加するとの方針を明らかにした。

 このクリントン・ドクトリンを担う安全保障戦略は、アスピン国防長官が「ボトムアップ・レビュー」報告で打ち出した「ほぼ同時に発生する二つの地域紛争」に勝利する軍事力の維持・整備という大方針が基本となった。具体的には、中東でイラクもしくはイラン、朝鮮半島で北朝鮮が引き起こす軍事行動の粉砕を想定したものだ。

新たな敵「ならず者国家」を封じ込め

 注目すべきは、クリントン政権が、こうした「ならず者国家」を打倒、排除して民主主義を拡大するのではなく、基本的には脅威の「封じ込め」を優先したことだ。それは、湾岸戦争敗北後も中東の脅威として存続していたフセイン独裁政権のイラクと、反米イスラム教シーア派革命政権のイラン両国に対する「二重封じ込め」戦略に象徴される。

 クリントン政権は、湾岸戦争を通じ、ブッシュ前政権下で初めて中東で確立された強大な米軍事プレゼンスをバックに、イラクに対しては国連の経済制裁、大量破壊兵器解体を目的とする査察、イランに対しては米単独の経済制裁によって、中東の東半分に位置する二つの地域大国を封じ込めることで現状維持を図り、その間にパレスチナなど西半分で、両国の妨害を排除して中東和平プロセスを推進しようとした。

 しかし、二重封じ込め戦略は、国家体制も性質も違うイラクとイランに一括対応するアプローチ自体に無理があったほか、国連経済制裁解除の条件となっていたイラクの大量破壊兵器解体義務履行を確認する国連査察をめぐり、米イラクの対立が激化。次第に、中露や欧州、アラブ世界でのイラク同情論が高まり、2000年段階では制裁枠組み自体が破綻するに至った。クリントン政権は、イラクの査察拒否に対する懲罰的空爆も数次にわたり行ったが、逆に中東の反米感情を高める結果となった。

中東政策が破綻、同時テロの契機に

 こうしたクリントン政権の中東政策の破綻は結果として、父ブッシュ時代に始まった2001年米同時テロの契機をより明示的に用意する形となったと言える。事実、1988年に組織され、ソ連のアフガン撤退後、対米ジハード(聖戦)を掲げたウサマ・ビンラーディン指揮下でグローバル化したアル・カーイダなどイスラム過激派が、93年2月、ニューヨークの世界貿易センター爆破事件など世界各地で反米テロ活動を展開し始めたのはクリントン政権時代だ。この年の夏、ハーバード大のサミュエル・ハンチントン教授が論文「文明の衝突?」で、欧米にとっての冷戦後の脅威はイスラム教・儒教文明のコネクションであるとして「西欧対非西欧」の新たな対立構造を説き、センセーションを巻き起こしたが、ソ連や共産主義に代わる新たな「敵」を規定しようとする動きが見られた時期でもあった。

 一方、93年の欧州連合(EU)発足で統合が加速化した欧州では、クリントン政権はNATOの東方拡大を推進した。ワルシャワ条約機構という旧敵を失ったNATOに、ポーランドなど東欧諸国への「安定の拡大」という新たな意義を与えたものだが、逆に冷戦後のロシアが影響圏侵害への疑心を強める結果となったことは否めず、この東方拡大で、2008年のグルジア(現ジョージア)、14年のウクライナに対するロシアの軍事介入につながる芽が生まれたとの批判も出ている。

 内戦と飢餓が発生したソマリアでは、当初の人道支援から武装解除など「平和執行」へと任務を変質させた国連平和維持活動(PKO)の多国籍軍を、海兵隊を派遣し主体的に支えたが、武装勢力の激しい抵抗を受け米兵に多数の犠牲者を出し、94年までに何の成果もなく撤退に追い込まれた。クリントン外交が志向した国連との多国間共同行動の頓挫であると同時に、米国の国益が直接かからない遠国での紛争介入、さらには他国の国家建設関与の手痛い失敗例となり、米国の介入回避傾向に拍車をかけることになった。

 冷戦後の文脈で言えば、クリントン時代を通じ、ブッシュ時代にあった米国のパワーに対する楽観論が消えた。米露間の協調は失われ、湾岸戦争時の米国主導で一丸となった多国籍軍の連合も雲散霧消した。結局、クリントン政権の米国は内向き志向が強烈に働く中にあっても、自由世界の盟主たる超大国の自負から「普通の国」にはなり切れず、かといって全力では世界に向き合わず、どこか力をセーブしながら定見なく外交戦略を展開した結果、逆に米国の力の限界を露呈したと言える。

ブッシュ(子)政権 一国主義で対テロ戦争

一般教書演説をするジョージ・W・ブッシュ米大統領(2004年1月、米連邦議会で)
一般教書演説をするジョージ・W・ブッシュ米大統領(2004年1月、米連邦議会で)

 冷戦後の米国の外交目標の模索と試行錯誤を繰り返したのがクリントン政権だったとすれば、その後を受けた共和党のジョージ・W・ブッシュ政権(2期、2001~09年)は、9・11同時テロという未曽有の衝撃によって、内向きの米国を、強引な「一国主義(単独行動主義)」に基づく力による世界関与へと導いた意味で、冷戦後の30年を通じても米国の重大転換期を画したと言えるだろう。

 01年9月11日、民間旅客機を乗っ取り、マンハッタンの世界貿易センタービルと首都ワシントンの国防総省という米国の富と力の象徴に突入、約3000人の命を奪ったアル・カーイダによる自爆テロが、米国と世界を一変させた。1941年の真珠湾奇襲以来の米国土への直接攻撃を重大視したブッシュ政権は、直ちに「テロとの戦い」を宣言、01年秋、アル・カーイダ指導者ビンラーディンをかくまったアフガニスタンのタリバン政権を軍事作戦で打倒。返す刀で03年、イラクのフセイン独裁政権に標的を定め、大量破壊兵器疑惑を「大義名分」として、国連安保理の武力行使容認決議なしに英国と共に軍事力で強制排除、中東で初めて主権国家を占領する。

 イラク戦争というこの壮大な実験を論理づけたのが、02年9月の「国家安全保障戦略」で示されたブッシュ・ドクトリンだ。「冷戦後」というよりも「同時テロ後」という認識に立った米世界戦略の根幹をなすもので、米国と世界が直面する最大の脅威を、大量破壊兵器の保有・使用を企てる国際テロ組織とならず者国家と規定。こうした「新たな敵」は、冷戦時代に核兵器を抑止力として機能させた東西の諸国家群とは違い、超大国に挑戦するため核兵器を現実に使用する「選択肢」を考えていると断じ、これを未然に防ぐため初めて「先制攻撃」を容認した。

 ブッシュ政権は同時に、中東独裁体制を代表する存在だったフセイン政権をつぶし、民主主義国家に変貌させるモデルケースを作ることで、中東に民主主義を拡大させていく民主化ドミノ理論を掲げた。つまり、米国の力によるレジーム・チェンジ(政権排除)と民主国家建設によって中東を根本から変革し、新秩序を強引に作り出そうとしたのだ。米国の力で世界をより良いものに変えていく、ネオコンと呼ばれた新保守主義に立脚した戦略だ。

イラク戦争で米国の権威と威信が失墜

 だが、イラク戦争はフセイン政権打倒後、大量破壊兵器が発見されなかったことで米国の軍事行動の正当性が崩れた。戦後統治も、選挙実施を通じて初の民選政府を実現したものの、スンニ派、シーア派武装勢力のテロ、両派間宗派抗争の激化で大混乱に陥る。イラクでの民間人犠牲者は現在までで約20万人(イラク・ボディ・カウント調べ)にも達する。米兵死者数はフセイン政権崩壊後に急増、4000人を超えたほか、イラク人捕虜への虐待も発覚、米国の権威は失墜した。中東イスラム大衆は、米国を「解放者」ではなく、イスラム共同体に侵攻した「新十字軍」とみなし、「民主主義」には「恐怖と混乱」という別の意味を見いだした。

 また、フセイン政権というシーア派大国イランへの防波堤を米国自らが破壊してしまったために、イラクからシリア、レバノンに至るイラン影響下のシーア派三日月地帯の出現を招き、現在に至る中東混迷の要因を作ったことも見逃せない。米国が仲介する中東和平プロセスも、ブッシュ政権の「テロとの戦い」の論理の中で、パレスチナ側の対イスラエルテロ阻止を最優先する場と化し、イスラエルが占領地を返還してパレスチナ国家実現を図るという本来の姿とはほど遠いものになった。

 結局、ブッシュ政権の米国は対テロ戦争遂行で強引に乗り込んでいった中東で大きく足を取られ、超大国の威信を著しく傷つけることになった。仏独など欧州の同盟国の反対も顧みず、単独行動主義で中東の新秩序作りに暴走し、失敗したツケは大きい。テロと戦うか否かの善悪二元論をかざしたブッシュ流の手法に、世界が振り回された。

 その間、アジアでは、中国が「世界の工場」として急速に経済成長、着々と軍備を増強する一方、北朝鮮は06年に核実験に成功する。ロシアもプーチン大統領がソ連崩壊で失った影響圏回復を虎視眈々(たんたん)と狙うようになった。そして、08年のリーマン・ショックで、米国発の金融危機が世界を激震させ、米資本主義経済自体の信用が大きく揺らいだ。ブッシュ(子)政権2期8年を通じて、米国の衰退、多極化世界の到来が現実味を帯びて語られるようになったことは間違いない。

オバマ政権 多国間主義で介入回避

広島を訪問し、声明を述べるバラク・オバマ米大統領(2016年5月、広島市の平和記念公園で)=代表撮影
広島を訪問し、声明を述べるバラク・オバマ米大統領(2016年5月、広島市の平和記念公園で)=代表撮影

 傷ついた混迷の超大国の再生を託されたのが、民主党のバラク・オバマ政権(2期、09~17年)だ。変革を訴え、初の黒人大統領としてさっそうと登場したオバマ氏は米国自身の国家建設優先を宣言。外交政策については、ブッシュ流一国主義と決別し、多国間主義に基づく国際協調路線を掲げ、中東からの米軍撤退に専心、アジア太平洋地域を最重視するリバランス(再均衡)政策を進めた。10年に出した国家安全保障戦略で「軍事力は米国の指導力のすべてではない」と位置づけ、超大国の地位を裏打ちしてきた軍事力の行使を終始回避する姿勢を貫いた。

 「核兵器なき世界」の提唱でノーベル平和賞を受けるなど、崇高な理念の発信も見られたが、オバマ外交の基底は、多極化世界での米国のパワーの限界を直視し、「米国一国では問題は解決できない」とする、冷戦後の歴代大統領の中でも際だった冷徹な現実主義にあった。

 オバマ大統領は、アフガン、イラクの二つの戦争と経済危機で疲弊した米国は、経済再建や医療保険改革、教育充実など、まず自国の再生に集中すべきで、それこそが世界で米国が再びリーダーシップを発揮するための「より強力な基盤」を作ることになると考えた。その上で、他国に米国の主義や制度を力で強制するのではなく、再生した米国が世界の正しい道筋や政策決定の模範を示すことで、諸国家が同様の行動を取るよう導く。同時に、米国だけでは世界の課題を解決できないのだから、諸国家は世界の安定と繁栄のために連携、協力して行動する責任を持つ―これがオバマ流多国間主義だった。

 しかし、諸国家にあるべき姿を諭すようなオバマ流のリーダーシップは、冷戦終結から20年を経て米国一極支配が揺らいだ中、既に国益と覇権をめぐる国家間の熾烈な競合とパワー・ポリティクス(力の政治)の舞台となっていた現実世界には通用しなかった。「米国は世界をリードする」とレトリックでごまかしても、諸国家は世界関与から腰が引けたオバマ政権の不作為、世界における米国のプレゼンスの「縮小(Retrenchment)」をはっきりと読み取っていた。

 これを象徴したのが中東政策だ。ブッシュ(子)政権が過度に肩入れした中東からの撤収を図ったオバマ政権は結果として、中東にさらなる無秩序状態を出現させた。11年にイラク駐留米軍を撤退させたが、部隊撤収を優先するあまりイラク政府の行政・治安能力を見誤り、民主化運動「アラブの春」で生じたシリア内戦に乗じ勢力を取り戻したイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」に14年、イラク・シリア国境にまたがる「カリフ制国家」樹立を宣言される事態を招いた。

米国は「世界の警察官ではない」

 シリア内戦では、アサド政権の市民への化学兵器使用を軍事介入の「レッドライン(越えてはならない一線)」と設定し、13年夏、いったんは空爆を決断しながら、結局、ロシアが示したシリアの化学兵器廃棄に向けた国際枠組み構築という提案を受け入れ、中止した。オバマ大統領がこの時、介入中止を国民向け演説で説明した際の「米国は世界の警察官ではない」との発言は、米国の世界秩序維持への意思欠如がついに現実のものになったことを示したとして、中東を越えた全世界に大きな衝撃を与えた。

 事実、これ以降、米国の世界での不在を裏打ちするかのように、プーチン大統領のロシアは力の政治を推進。14年、ウクライナ政権崩壊を受け軍事介入、クリミア編入を決定し、欧州に重大な緊張をもたらしたほか、15年にはアサド政権支援のためシリアに軍事介入、中東での影響力を一気に高めた。中国も海洋大国を目指す習近平政権が、実効性ある政策を欠いたオバマ氏のアジア重視戦略を尻目に、南シナ海での軍事拠点構築を加速して、力による現状変更を既成事実化し、アジアと欧州を陸海路で結ぶ巨大経済圏戦略「一帯一路」構想を推進した。

 この結果、露中両大国との新しいタイプの冷戦構造がユーラシア大陸の東西に出現、現在のトランプ政権にも引き継がれ、さらに先鋭化していることは否めない。また、オバマ政権が北朝鮮に対して取った、非核化への具体的行動がない限り協議に応じないという「戦略的忍耐」政策は事実上、無策に等しく、任期中4度の核実験と弾道ミサイル性能強化を許し、北の核の脅威を別次元のものに増大させた。

 米国民と同盟国が大きな期待を抱いたオバマ政権の2期8年は、米経済立て直しなど内政では成果を上げたものの、外交政策では結局、米国の役割、世界関与のあり方について消極的な姿勢に終始し、より危険さを増した世界を次代へ残すことになったと言える。

トランプ政権 振幅の果ての「米国第一主義」

 こうしてポスト冷戦期の後半、一国主義をかざしたブッシュ(子)政権の「過介入」、それに続く多国間主義に徹したオバマ政権の「不介入」という、9・11後に超大国米国が見せた正反対の世界関与の振幅の果てに、中東の無秩序化や難民問題の深刻化、テロの脅威拡散、そしてロシア・中国の東西二方面での「新冷戦」という、混迷と不安に満ちた世界が出現した。各地で、既存支配層(エスタブリッシュメント)への反発やナショナリズムの高まりを受け、ポピュリズムが横行。経済成長や技術・通信革命をもたらしたはずのグローバル化は逆に格差を拡大させた元凶と批判された。

 16年米大統領選は、そんな羅針盤を失った世界秩序を過不足ない適度な指導力とパワーで健全な方向に導く新たな超大国の指導者を選ぶはずの選挙だったが、米国もポピュリズム旋風の例外ではなかった。政治経験ゼロの不動産実業家ドナルド・トランプ氏が共和党候補となり、「米国第一主義」を訴え、当選した。世界は、米国発の新次元の混乱に直面することになった。

 17年発足のトランプ外交戦略の根幹は、「米国はもう他国や国際機関のために損をしたり、犠牲を強いられることはしない」という独善的論理に立ち、主権国家同士の競合を米国が勝ち抜くというものだ。しかし、そのスタイルは、ディール(取引)重視の大統領自身による政策決定、再選を意識した支持層優先姿勢が際立ち、世界に大きな当惑が広がった。

 環太平洋経済連携協定(TPP)や温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」など多国間枠組みは米国に不公平なので離脱する。NATO加盟国や日韓など同盟国も安保ただ乗りだと批判する。米国製品が関税のために売れないのは不当だと、相手構わず報復関税をかける。国境に壁を建設し、移民を排除する。支持基盤の福音派有権者を意識し、国連安保理も承認したイラン核合意から一方的に離脱、エルサレムを初めてイスラエルの首都と認定し米大使館を移転する。反体制記者を殺害してもサウジは米国製兵器の顧客なので非難を控える―。内向き姿勢はオバマ氏と共通するが、選挙公約実現を世界関与に優先させるトランプ氏の自国第一主義は異様だ。

戦後秩序に背を向ける米自体がリスクに

日米首脳会談後、共同記者会見に臨むドナルド・トランプ米大統領(2017年2月、ワシントンで)
日米首脳会談後、共同記者会見に臨むドナルド・トランプ米大統領(2017年2月、ワシントンで)

 トランプ政権は、第2次世界大戦後、米国自身が構築し維持してきたはずの民主主義、自由貿易、法の支配の原則、そして集団安全保障や多国間合意、国際機構からなる世界秩序自体に背を向けている。冷戦後の歴史の中でも特異な2年であり、米国自身が世界のリスクとさえ言われ始めた。

 米国政治が専門の久保文明・東大教授は冷戦後の米国と世界の関係について、「米国が『世界の警察官』などとして、国際秩序維持のために他の国以上に犠牲を払ってきたことについて、国民に嫌気が差しているにもかかわらず、政治エリートは真剣な説明をしてこなかった」と指摘。「その結果として、イラク戦争や金融危機のような失態が生じ、国民のエリートに対する不信感が強まった。その隙を突き、エリート主導の政治運営に反乱を起こしたのがトランプ氏だ。冷戦後の時代は、米既存支配層と政治エリートが力を失った30年でもある」と分析する。

 こうしてみると、ポスト冷戦期の30年は、唯一の超大国となった米国が、新たな秩序を模索したものの結局、民主主義という優位な政治制度と軍事パワーを有しながら、世界の諸矛盾や各国の覇権主義を制御できず、平和と安定の基盤を構築できなかった果てに、米国さえよければいいと開き直るまでの、混迷の時間の経過だったと言うこともできよう。

米中「新冷戦」先鋭化は必至

 では、世界は今後、どうなるのか。間違いないのは、オバマ政権時代に目に見える形となった米国と中露両覇権国家の「新冷戦」構造がトランプ政権下、さらには次期米政権になっても先鋭化していくだろうということだ。予測不能で不定見な外交が目立つトランプ政権も17年12月に出した国家安全保障戦略で、中露両国を、米国主導の国際秩序の変更を狙う「現状変更勢力」と明確に位置づけ、両国との競争における勝利を目標に掲げた。

 特に、経済、貿易、安全保障のみならず、科学技術、通信など、大国の威信と向こう数十年の世界覇権をかけた宿命的対決の様相を呈している米中間の「新冷戦」は、アジア太平洋、南アジア、中東、アフリカなど、全世界レベルで熾烈(しれつ)さを極めることになろう。中国を制しようとするトランプ政権の決意は昨年10月、ペンス副大統領が貿易不均衡や知的財産権の侵害、人権問題などを体系的に非難した対中政策演説で明白となった。対中制裁関税発動にしても、中国のミサイル増強を念頭に置いたロシアとの中距離核戦力(INF)全廃条約破棄方針の表明にしても、その手法の適否はともかく、トランプ政権は中国の台頭に行動で立ちはだかった初の米政権と言える。これはトランプ政権独自の政策というよりも、むしろ中国が覇権を握る世界秩序形成を阻む超大国アメリカの国家としての総意とみるべきで、「新冷戦」の帰すうが持つ意味は大きい。

 問題は、トランプ政権の「新冷戦」の進め方だ。これまでのように安保や貿易で同盟国や多国間枠組みを軽視し、民主主義や人権擁護に留意しない外交を続けていては、中露に対抗する価値観を共有した強力な法治国家連合を構築することはできず、米国の独り相撲になろう。逆に、自由貿易体制堅持などを主張し、米国に代わる「国際秩序の擁護者」(習国家主席)を演じている中国を利しかねない。

ポスト平成期の日本の針路は

 この緊迫した世界の中で、今年幕を閉じる「平成」という時代は後世、「東西冷戦と『新冷戦』という二つの冷戦の狭間(はざま)」(久保教授)と振り返られることになるかもしれない。ポスト平成期の日本の針路も平坦(へいたん)ではあるまい。だが、冷戦後30年の歴史を踏まえるとき、確かな教訓は見えてくる。

 今後、「米国が世界をリードする」という、かつては当然視された前提自体が崩れ去ることもあり得よう。2020年大統領選でのトランプ再選の有無にかかわらず、次代の米大統領はより緻密(ちみつ)に理論構築された「米国第一主義」を打ち出すかもしれない。しかし、米国の世界への関わり方がどう変わろうとも、民主主義と法の支配、自由貿易という自由主義世界を束ねる共通の価値観が持つ力の強さは変わらない。それは、米国が「新冷戦」を勝ち抜くための第一の戦略的資産でもある。

 日本にとって、日米同盟を基軸としつつ、オーストラリアやインドといったアジア太平洋の民主主義国家群と価値観に基づく多角的同盟関係を築くことが今まで以上に重要となろう。また、米政治学者アイヴォ・ダールダー氏らは外交専門誌フォーリン・アフェアーズ(昨年11/12月号)で、「米国が世界秩序維持に回帰する扉を開いておくのが、米国の同盟国連合の長期的役割だ」と強調、アジアの日本とオーストラリア、韓国、欧州の英仏独伊とEU、北米のカナダが「G9」として米国不在の世界秩序維持に役割を果たすべきだと主張する(注2)。

 一方で、「新冷戦」が太平洋に面した米中という世界1位と2位の経済大国が対峙(たいじ)する構造であるとすれば、世界3位の経済大国で双方と深い通商関係を持つ日本が、地政・地経学的に米中の中間に立つ意味は小さくあるまい。その意味では、日本がバランサー役として米国の健全なリーダーシップ、中国の建設的な変化を引き出す上での戦略的役割を発揮する可能性もあり得よう。同時に、米国の変質を見据えた日本自前の国力強化も欠かせない。

 新たな冷戦はまた、相当な時間で続くかもしれない。それを耐え、前向きに生き抜く覚悟こそ、ポスト平成期の日本に求められているのだろう。

注釈

注1 2008年12月23日、筆者とのインタビュー

注2 “The Committee to Save the World Order:America’s Allies Must Step Up as America Steps Down”

プロフィル
岡本 道郎( おかもと・みちろう
 読売新聞調査研究本部主任研究員。国際部、政治部記者、テヘラン、カイロ、ワシントン各特派員。中東イスラム世界、米国をウォッチしながら、世界と日本について考え続けている。著書に『ブッシュvsフセイン』(中公新書ラクレ)。

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