令和の天皇像を占う 3つのキーワード

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 平成の天皇、皇后両陛下は、「祈り」という皇室の伝統を引き継がれるとともに、行動し発言する能動的な象徴天皇像を完成させた。この新たな象徴天皇像は、「令和」の皇室にどう引き継がれるのか。両陛下の元側近が示す三つのキーワードを基に、その行方を考察する。

元侍従長の証言

 平成の新たな象徴像は、2016年8月8日のビデオメッセージ「象徴としてのお務めについての天皇陛下のお言葉」が端的に説明している。

 「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました」

 こうした象徴のあり方が具現化されるにあたって、共通する原則や考え方が存在するのだろうか。宮内庁式部官長、侍従長として両陛下を03年から12年にわたって支えた川島裕氏は、「象徴像については、16年8月の『お言葉』がすべて」という前提ながら、三つのキーワードを提示する。

一、双方向の交流とその広がり

二、二つの意味を持つ戦没者慰霊

三、多数決の論理を超えたお気持ちの表現

 これは、象徴天皇のあり方についての「証言」でもある。その意味を順に読み解きたい。

「双方向の交流」――数多い被災地訪問

東日本大震災の避難所を訪問される天皇、皇后両陛下。両陛下は公民館の床にひざをつき、時には被災者の手を握りしめて、「避難所の生活はおつらいでしょう」「お大事になさってください」などと声をかけられていた(千葉県旭市で、2011年4月14日撮影)
東日本大震災の避難所を訪問される天皇、皇后両陛下。両陛下は公民館の床にひざをつき、時には被災者の手を握りしめて、「避難所の生活はおつらいでしょう」「お大事になさってください」などと声をかけられていた(千葉県旭市で、2011年4月14日撮影)

 平成の両陛下は、例えば被災地でのお見舞いで、時にひざをつき、悲しみや困難の中にある被災者の言葉や感情を同じ目線で受け止められてきた。被災者は、現状を話し、両陛下から語りかけられることで力づけられ、癒やされた。

 こうした交流は、点ではなく線として長く継続し、記者会見や文書、和歌などでも発信されてきた。「皇室には言葉に関する感性を磨く伝統があるが、あれだけのお気持ち、お考えを表明したのは天皇制の歴史の中でも初めてではないか」と川島氏は話す。こうした発信によっても、両陛下と国民の双方向の交流は続き、記憶されていった。

 個人の発信も含めメディアが発達した現代では、皇室と国民の交流の様子は画像や映像で広く瞬時に伝わる。災害が多かった平成時代には、両陛下と被災者の姿が数多く発信された。それは悲劇の中の光明であり、国民の不安を軽減する力があった。双方向の交流は「国民と象徴のあるべき姿」の視覚的記憶として像を結ぶようになったと言える。

 平成初頭の1989年12月に読売新聞が行った世論調査では、天皇陛下に期待すること(複数回答)のトップは「外国訪問、国際親善」だった。約30年を経た2018年10月の読売世論調査では、陛下が取り組まれてきた活動のうち、とくに意義深いと思うこと(同)の1位は「被災地訪問」で、84%に上った。以下、「外国訪問」63%、「戦跡地訪問」56%――などの順である。

 上位を占めたのは、外国訪問を除き、いずれも陛下の能動的な活動だ。自ら進んで歩まれる象徴像が国民の大多数の支持を受けた理由の一つには、一方通行ではない双方向の交流があったからにほかならない。

「戦没者慰霊」――死を悼み、記憶を継承

先の大戦で多くの日本人が身を投じた「スーサイドクリフ」から崖下を見つめられる天皇、皇后両陛下(サイパン島で、2005年6月28日撮影)
先の大戦で多くの日本人が身を投じた「スーサイドクリフ」から崖下を見つめられる天皇、皇后両陛下(サイパン島で、2005年6月28日撮影)

 天皇陛下が自ら希望され実現したのが、海外での戦没者慰霊だ。「戦争のない時を知らないで育ち」(即位10年にあたっての天皇陛下記者会見)、終戦直後に東京の焼け跡を間近に見た陛下の平和への思いは深い。昭和天皇の果たせなかった海外での慰霊は、平成の天皇陛下が切実に望まれたことだった。

 両陛下のサイパン訪問(戦後60年の2005年)、パラオ訪問(戦後70年の2015年)に同行した川島氏は、「両陛下の慰霊には、個々の死を悼むことと、再び戦争が起きぬよう、戦争の現実や戦争にいたる経緯を継承するという二つの意味がある」と指摘する。

 確かに両陛下は、慰霊にあたり、関係者から話を聞かれた。両陛下が耳を傾けられたのは、その戦地でどのような悲劇が起きたかという大きな話にとどまらず、戦没者の遺族ら個々の犠牲に関する話まで多岐にわたった。

 「人が、人の死の意味合いや悲しみを痛切に感じるのは個々の死であって、数字、統計になるとリアリティーを失いやすい」(川島氏)。慰霊は個々の死を悼むことが大切であり、リアリティーを失うことは、忘却につながる。陛下の行動には、そんな信念が感じられる。

 戦争の記憶の「継承」については、陛下自身がこう述べられている。

 「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました」(2018年、天皇陛下85歳の誕生日にあたっての記者会見)

 別の言い方をすれば、「継承」には「忘れさせない」効果がある。被災地再訪、遠隔地や島々への旅、ハンセン病の元患者、水俣病患者との語らい……。困難な立場にある人々との交流も、日本が抱える課題を人々に忘れさせない意味を持つ。

「お気持ちの表明」――微妙なバランス感覚

 平成の陛下は、現下の政治的課題について何度も触れ、時には意見も表明されてきた。平成の象徴天皇像を考える際には重要な部分だ。

 「経済の悪化に伴い多くの国民が困難な状況に置かれていることを案じています。働きたい人々が働く機会を持ち得ないという事態に心が痛みます」(2008年の誕生日にあたっての宮内記者会の質問に対する文書回答から。この年リーマン・ショックがあった)

 「(東日本大震災の)被災地に再び厳しい冬が巡ってきています。放射能汚染によりかつて住んでいた所に戻れない人々、雪の積もる仮設住宅で2度目の冬を過ごさなければならない人々など、被災者のことが深く案じられます」(2012年の誕生日にあたっての記者会見から)

 「これまでの戦争で沖縄の人々の被った災難というものは、日本人全体で分かち合うということが大切ではないかと思っています」(同前)

 そもそも憲法4条1項は、「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と規定し、3条は、「国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」としている。

 一方、これまで見てきた陛下の能動的活動は、主に天皇の公的行為にあたる。公的行為は憲法上、明文規定はないが、象徴の地位にあり、自然人である天皇の行為として当然認められるものと解されている。

 また、公的行為の限界と条件については、過去の国会答弁などにより、(1)政治的な意味を持つもの、政治的な影響を持つものが含まれてはならない(2)行為が象徴たる性格に反してはならない(3)行為に内閣が責任を持つ――という「三原則」が確立している。

 他方、今回の退位実現を巡る議論では、天皇の役割について「国と国民のためにお祈り下されば十分」とする意見が一部専門家にあった。能動的な象徴天皇像に疑問を呈したものと言えるだろう。

 では、平成の陛下が、ご自身でお気持ちを表明される際、憲法や公的行為の三原則との間でどのように整合性を取られていたのだろうか。

 川島氏は、能動的な象徴天皇像の背景には、「多数決の論理」にくみしないため、発言や行動への慎重な吟味と抑制があったと証言する。

 「仮に陛下が『失業者救済のために公共事業の拡大が必要です』などと述べられたら、そうした政策論には様々な異論も出うるし、そうなると国政に関与しないという憲法の趣旨に抵触する。だから陛下は、そのようなことはなさらない。天皇は、政治的に論議(かまびす)しい案件について、いずれかの意見に荷担する、支持を表明するといった、51%の支持獲得に至る政治プロセスには参画しないし、してはならない」

 その上で川島氏は、陛下の意見表明に込められた絶妙なバランス感覚を指摘する。

 「陛下は国の基本課題について、ほとんどの人がその通りだと納得することを述べられる。こうした意見表明は、象徴というお立場の重要な役割ではないか」

 リーマン・ショックの影響で職を失った人々への同情、福島第一原子力発電所の事故で故郷を離れた人々への思いやり、沖縄の歴史への共感……。先に紹介したお気持ちの表明からも、政治プロセスとは無縁の、国民の納得と共感を得られる言葉を精査した跡がある。

 そして私たち国民も、天皇が国の状況に無関心であることを望んでなどいない。平成の両陛下に寄せる国民の高い支持から見れば、それは明らかだろう。

 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(憲法1条)。陛下の行動と発言は、国民統合の象徴としてどのように行動すべきかを陛下ご自身が希求された結果である。また、能動的な象徴像は、国民に理解され、国民の総意によっても支えられてきたと言えるだろう。

国際親善への期待

2019年3月13日に公表された読売新聞の世論調査結果から
2019年3月13日に公表された読売新聞の世論調査結果から

 5月1日に即位される新天皇は、どのような「新しい公務」(2004年の記者会見などでの発言)に取り組まれていくだろうか。また、国民からはどんな期待が寄せられているのか。

 今年3月に公表された読売新聞の世論調査では、新しい天皇陛下に期待すること(複数回答)は、「国際親善のための外国訪問」69%、「被災地訪問」58%、「宮中祭祀(さいし)」30%、「戦没者慰霊」28%――の順だった。

 戦没者慰霊への期待は低めだが、平成の両陛下がすでに、先の大戦での犠牲者の慰霊を全身全霊で十二分に果たされたという認識が国民に共有されていることが一つの理由だろう。戦後生まれの新陛下に託されるのは、戦争の記憶をいかに継承するか、という課題になりそうだ。

 「国際親善」は、先にも述べた通り、天皇陛下に対する期待を尋ねた1989年の調査のトップ回答で、1993年の皇太子さまと雅子さまの結婚にあたっての調査でも、「お二人に期待すること」のトップだった。

トンガ国王ツポウ6世の戴冠式に参列された皇太子ご夫妻。雅子さまの海外での公務は2年ぶりだった(トンガの首都ヌクアロファの教会で、2015年7月4日撮影)
トンガ国王ツポウ6世の戴冠式に参列された皇太子ご夫妻。雅子さまの海外での公務は2年ぶりだった(トンガの首都ヌクアロファの教会で、2015年7月4日撮影)

 新しい天皇陛下は今年2月、皇太子として臨んだ最後の誕生日にあたっての記者会見で、「国際親善とそれに伴う交流活動も皇室の重要な公務の一つ」と述べ、「国民と接する」ことの次に「国際親善」を挙げられた。志向される公務は、国民の期待とほぼ一致している。

 新しい陛下はまた、国民のために祈り、常に寄り添って来た平成の両陛下のあり方を継承する意思も示された。具体的には、宮中祭祀の重視と能動的象徴像と言えるだろう。

 加えて重要なのは、「皇室が国民のために何をすべきかについて的確に感じ取る」姿勢を心がけてきており、今後の活動の柱にもされる――との発言である。「継承」と、国民の希望を受けての「変化」が問われよう。

新天皇のライフワーク「水」問題

 天皇の新たな務めに関連して、2月の記者会見で言及したのが「水」問題だ。

 「長年携わってきました水問題についても、そのことを切り口に、豊かさや防災など、国民生活の安定と発展について考えを巡らせることもできると思います。水問題で得られた知見も、これからの務めの中で、国民生活の安定と発展を願い、また、防災・減災の重要性を考えていく上で、大切にいかしていきたいと思います」

 ここには、新天皇陛下の「ライフワーク」と言える水問題について、研究と公務を融合させることへの意欲が見える。

 昨年3月、新陛下はブラジルで開催された「第8回世界水フォーラム」で基調講演をされた。近年、世界各地で頻発する水災害は気候変動が影響しているとしたうえで、「自然の脅威に対抗するため、国際社会は結束していく必要があります」「水災害や干ばつなどで最も大きく影響を受けるのは女性や子ども、お年寄りなど、社会的に弱い立場にある人々」と述べ、水問題の解決を世界に強く訴えられた。

 水問題は国際的な課題で、政治的・外交的な調整を必要とするセンシティブな問題でもある。「政治的権能を有しない」と規定した憲法との整合性については、いわば未知の領域だ。新陛下が、内閣の助言のもとで水問題にどのようにアプローチされるか。今後が注目される。

外交官出身の雅子さま

那須御用邸の敷地内を散策中、報道陣の問いかけに答えられる皇太子ご一家(栃木県那須町で、2018年8月25日撮影)
那須御用邸の敷地内を散策中、報道陣の問いかけに答えられる皇太子ご一家(栃木県那須町で、2018年8月25日撮影)

 平成の両陛下は、国事行為を除けばお二人一緒に公務にあたられることが多かった。

 新しい両陛下の場合、この点は長い目で温かく見守る必要がある。

 「適応障害」で長く療養中の雅子さまは、近年は回復途上とされ、豪雨の被災地にも足を運ばれている。しかし国民の期待が、「平成の両陛下のように」という方向に傾けば、それは「焦り」につながりかねない。

 先にも紹介した今年3月公表の読売調査では、新両陛下が国民と会う機会について、「今と同じくらいがよい」との回答が66%、「増やす方がよい」が19%あったが、無理は絶対に禁物であることが理解されるべきだ。

 幸い、心の病やその治療に対する理解は近年広まってきている。新しい陛下お一人での公務も、自然に受け入れられることが期待される。

 新しい陛下の国際親善の様子について、元東宮侍従は、「巧みな英語と自然な振るまいで、安定感が高い。海外の人が中心のレセプションなどでも、介添えに入る必要がまったくない」と語っていた。

 国際親善は、外交官出身の雅子さまも意欲を見せられていた分野だ。筆者は、雅子さまが長期療養に入る前の2002年、皇太子ご夫妻のニュージーランド、オーストラリア両国の訪問に同行したが、雅子さまの快活さや機知に富んだ振るまい、病院で子供らに見せた優しい笑顔は、非常に印象的だった。時間はかかっても、令和の時代にそうした姿が再び見られるであろうと考える。

皇室の安定的な継承

 平成の当初、皇室は、21人で構成されていた。現在は18人。平成に生まれた男子は秋篠宮家の長男、皇位継承順位第2位となる悠仁さま1人だ。皇室の縮小、高齢化、男性皇族の減少が進んだ。

 現在の皇室制度に何らかの手当てをしない限り、皇位の安定的な継承は困難になり、皇室はそれほど遠くない未来に断絶しかねない。どのような方策を講ずるべきかは別として、多くの専門家や近年の宮内庁幹部らに共通した認識だ。

 皇統の行方については、平成の天皇陛下も体調に影響するほど憂慮されていた。

 2008年12月、当時の羽毛田信吾宮内庁長官は天皇陛下の心労に触れる中で、皇位継承問題は「常に(陛下の)お心を離れることはない」と言及した。2006年に孫の悠仁さまが誕生し、順調に成長されていることを踏まえてなお、の発言だった。

 陛下の退位を実現した皇室典範特例法の付帯決議は「政府は、安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等」について、法施行後速やかに検討するよう政府に求めている。

 国民の意識はどうか。前述の3月公表世論調査では、「政府は、天皇の位を継げる皇族の男子が減っていることへの対応を、急ぐべきだと思いますか、それとも、慎重に検討すべきだと思いますか」との質問に対し、「急ぐべきだ」とする回答は31%、「慎重に検討すべきだ」が68%だった。

 調査に表れた国民の意識と専門家の危機感とのギャップの背景には、「皇室制度に照らした皇室の現状」への理解の違いがありそうだ。

「大きなおうち」

 皇室の活動に比べ、皇室典範をはじめとする皇室制度は一般にはなじみがない。皇室制度に詳しい所功・京都産業大名誉教授は、「皇室は『本家』と『分家』から成り立つ、いわば『大きなおうち』。皇位継承者を、ご家族や分家にあたる宮家の方々が支えるという基本構造が非常に重要」と分かりやすく例える。

 皇室は天皇を家長とする一種の家制度だ。「本家」は狭い意味の天皇ご一家で、令和時代のスタートに際しては、新しい天皇、皇后両陛下、愛子さま、上皇ご夫妻となる平成の両陛下を指す。

 現在の皇室典範は、「本家」も「分家」も、構成する人が増えにくいよう設計されている。1947年には11宮家が皇籍離脱した例もある。

 典範は、皇室に生まれた人の子孫は全員が皇族という「永世皇族制度」をとっている。だが皇室に生まれた「皇族女子」は、結婚すると皇籍を離れ(典範12条)、その子孫も皇族ではない。現在の皇族中、愛子さまも含む6人がこの条文の対象となる。

天皇、皇后両陛下に小学校卒業の報告をするため、皇居に入られる悠仁さまと秋篠宮ご夫妻(3月15日、半蔵門で)
天皇、皇后両陛下に小学校卒業の報告をするため、皇居に入られる悠仁さまと秋篠宮ご夫妻(3月15日、半蔵門で)

 一般家庭であれば養子制度もあるが、典範は「天皇、皇族は養子をすることができない」(9条)と規定している。現代の皇室に側室制度はあり得ないし、典範は非嫡出子を認めていない。こうした規定は、皇族の数が十分に確保されていた時代の名残とも言える。しかし平成の皇室では、活発に活動されていた高円宮さまが47歳で急逝するなど、男性皇族の逝去が続き、将来皇位を継ぐであろう悠仁さまを支える宮家の存続が危うくなっている。新たな宮家は、事実上、悠仁さまに2人以上の男子が生まれないとできない。

 「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」(典範1条)。従って、皇位の継承も皇室という一家の存続も、その重圧は、悠仁さまと結婚のお相手にかかる。「男子が生まれなければ皇室が終わりになる」という重荷はどれほどのものだろうか。

 雅子さまが療養にいたる経緯には、「世継ぎ優先」という有形無形の圧力があったとされる。皇室制度は、特定の生身の人が体現するものだ。そして、個人に寄りかかっているために極めて不安定だ。現状では不測の事態にも対応できない。ところが、皇室が制度に追い詰められている厳しい現状への理解は、一般には浸透していない。

時間は限られている

 安定的な皇位継承に向けた対応策について、「悠仁さまの成人後考えればよい」という声は宮内庁内にもあり、世論調査結果にもそんな雰囲気が見える。

 2005年、小泉内閣の有識者会議は、「女性天皇、女系天皇」に道を開く報告書をまとめた。2012年に野田内閣は、皇族女子が結婚後も皇室に残ることを可能にする「女性宮家」創設を検討した。だがいずれも一度頓挫している。

 そのほかの方策として、現皇室に近い旧皇族子孫の養子を認めるといったことも考えられるが、具体的な議論になっていない。「安定継承」への手当ては政治的に取り組むことが困難になっている。

 皇族方の「今」を見ると、例えば「女性宮家」の制度化は既に困難になりつつある。「生身の人」は歳月を重ねていく。眞子さまが結婚で皇室を離れ、その後に制度を改めて佳子さまは結婚後も皇室に残られる――といった対応は考えにくい。愛子さまの成人もそう遠いことではない。

 年を追うごとに、講じることのできる手段は限られてくる。

 象徴天皇制は、平成の時代を経て国民大多数の支持を得た。だが現在は、その存続に向けた世論が醸成されないという矛盾した状況にある。

 天皇が政治的権能を持たないこともあり、皇室の側からはたとえ家族のことでも皇室制度について提案はできない。菅官房長官は3月18日の参院予算委員会で、新天皇の即位後、時間を待たずに安定的な皇位継承策の検討を始める意向を示した。迅速、かつ周到な制度変更が期待される。

参考文献

川島裕(2016年)『随行記 天皇皇后両陛下にお供して』(文芸春秋)
園部逸夫(2016年)『皇室法概論――皇室制度の法理と運用――〔復刻版〕』(第一法規)
吉田裕 瀬畑源 河西秀哉編(2017年)『平成の天皇制とは何か 制度と個人のはざまで』(岩波書店) 
芦部信喜 高橋和之補訂『憲法 第六版』(2015年)岩波書店
渡辺允(2011年)『天皇家の執事 侍従長の十年半』(文芸春秋)
薗部英一編(1989年)『新天皇家の自画像 記者会見全記録』(文芸春秋)
宮内庁ホームページ

プロフィル
小松 夏樹( こまつ・なつき
 1989年入社 主に社会部で司法、教育、皇室、調査報道などを担当。社会部次長を経て2011年から編集委員。

無断転載禁止
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