30年目の「ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム」(上)

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読売新聞社が主催する「ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム」は今年、30年目に入った。この30年で日本はノーベル賞常連国の仲間入りを果たしている。フォーラムの軌跡を振り返るとともに、日本が今後も常連国の地位を保っていくための課題は何なのか。読売新聞調査研究本部で科学を担当する佐藤良明主任研究員が季刊誌「読売クオータリー」2017春号にまとめた論考を紹介する。(文中の肩書きは当時のまま)

21世紀を創造する

華やかに開会式を行なった「ノーベル賞受賞者日本フォーラム」(1988年11月7日)
華やかに開会式を行なった「ノーベル賞受賞者日本フォーラム」(1988年11月7日)

 読売新聞社が21世紀を見据え、世界の諸課題に目を向ける新しいフォーラムの開催を検討し始めたのは1987年だった。当時世界は、ソ連のミハイル・ゴルバチョフ書記長がペレストロイカ(改革運動)を推進し、東西冷戦に終結の機運がわき起こりつつある激動期を迎えていた。88年には、病に倒れられた昭和天皇が重篤になり、翌89年の年初に崩御した。89年後半は東欧民主化革命が起き、ベルリンの壁が崩壊した。日本にも世界にも新しい時代が到来しようとしており、フォーラム創設は21世紀を展望するのにふさわしいタイミングだったと言える。

 1901年に創設されたノーベル賞の歴史は20世紀の時代の歩みそのものだった。20世紀終盤の激動期に、ノーベル賞受賞者とともに人類の未来を考え、日本に創造する風土を醸成し、平和を愛する信念を育てるというフォーラムの試みは時代の要請だったのだろう。

 88年当時、ノーベル賞が誕生してから80余年がたっていたが、日本人受賞者はまだ7人に過ぎなかった。しかも、この時点で4人が鬼籍に入っており、存命しているのは、米国在住の江崎玲於奈・米IBMワトソン研究所主任研究員(1973年物理学賞)と利根川進・米マサチューセッツ工科大学教授(1987年生理学・医学賞)、日本にいる福井謙一・基礎化学研究所長(1981年化学賞)の3人だけだった。

 フォーラム創設にあたっては、学術顧問会議を組織し、この3人の日本人受賞者に学術顧問に就任していただくことから準備が始まった。加えて、ノーベル財団と関係が深い矢野暢・京都大学教授を事務総長に迎え、顧問会議は船出したのだった。

ノーベル財団が特別協力

 フォーラムの発足に際し、読売新聞社は、ノーベル賞を運営するスウェーデンのノーベル財団との連携を目指した。海外の新聞社が、権威ある賞を柱に据えたフォーラムを実施するのは初めてとあって、どのような連携を図るかを巡る協議を経て、最終的に「財団の特別協力」という形をとることになった。「ノーベル」の称号を財団自らが主催するイベント以外で使うのを認めた例はないとされ、読売新聞社が初めて、その重い扉を開けたといえる。そして、財団と共同歩調を取ることにより、ノーベル賞の意義を一般の人たちに広く伝える試みとして先鞭(せんべん)ををつけるものになった。

 ノーベル賞には物理学、化学、生理学・医学、文学、平和、経済学の計6部門があるが、フォーラムはこの6賞全部の受賞者が一堂に会する画期的なイベントとしてスタートした。正式名称は「ノーベル賞受賞者日本フォーラム」。読売新聞社と同フォーラム学術顧問会議(江崎玲於奈座長)が共催する。そして、今もその精神が生き続けている三つの基本理念(表1)を掲げ、フォーラムはスタートした。

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430527 0 深読み 2017/06/05 05:20:00 2019/02/06 16:44:47 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/02/20170602-OYT8I50031-T.jpg?type=thumbnail

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