30年目の 「ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム」(中)

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海外を経験して飛躍する

 白書は日本人受賞者の共通項を探っている。(1)子供の頃に科学に触れた体験(2)海外経験(3)公的研究費や研究施設の支援の具合――などだ。

 「科学への関心がどう芽生えたか」は、科学者への出発点という意味で興味深い。それでも、際立った特徴は少なく、学校の授業や日々の暮らしの中で関心を深めていったという「きっかけ」が目立った。そんな中、野依、小柴、南部陽一郎・シカゴ大学名誉教授(08年物理学賞=故人)の3氏は「湯川博士のノーベル賞に感銘して」としている。「戦後復興に励む日本人に勇気を与えた」という枕ことばで語られることの多い「湯川博士受賞」は、昭和10年代前半生まれの世代までは、一定の影響を及ぼしていたことが読みとれる。小柴博士、南部博士は既に物理学の道に進んでいた時期で、「科学者としての飛躍を夢見たきっかけ」となったようだ。

 一方、留学したり、研究拠点を海外に移したりしている受賞者が16人中11人いる。海外経験が直接受賞につながった人ばかりではないものの、例えば、米国に留学した山中博士は「多様な研究者と切磋琢磨(せっさたくま)できたことによって、自分の目が大きく開かれ(略)iPS細胞開発の原動力となりました」と述べている。濃淡に差はあるものの、海外経験が受賞者の研究キャリアに影響を与えたことは言えそうだ。

受賞業績を下支えした公的研究費・施設

 研究への多様な公的支援のあり方も見逃せない。科学者の公的研究資金はおおむね、(1)研究室に配分される運営経費から捻出した少額資金(2)科学研究費助成事業(いわゆる科研費)(3)国家的目標など戦略的に実施される研究の資金-があり、キャリアを積んでいくに従い、(2)から(3)へと比重が大きくなっていく。

 科研費や戦略的研究資金を継続して得られるかどうかは研究者にとって死活問題だ。適切なタイミングに研究費を支援することで、研究が発展し、のちに大きく花開くケースがあった。日本人受賞者では、山中博士が奈良先端科学技術大学院大学助教授時代に、「CREST」と通称される科学技術振興機構(JST)の研究事業に採択され、2億円以上(5年間)の資金を得て研究を発展させ、iPS細胞の作製につながった。

梶田隆章氏
梶田隆章氏

 赤崎勇・名城大学終身教授(14年物理学賞)は1980年代後半、青色発光ダイオードにつながる基礎的な研究成果を上げ、新技術開発事業団(現JST)の産学連携プロジェクトで豊田合成と共同研究に取り組み、1989年に開発にこぎつけた。

 2人に対する研究支援には、「この研究は重要で将来発展する可能性がある」と判断した目利きがいた。こうした選別眼は基礎科学振興のシステムでは要になる。

 素粒子物理学は理論と実験で複数の受賞者を輩出し、日本のお家芸とされている。岐阜県の旧神岡鉱山に建設した巨大施設カミオカンデでは小柴博士の「宇宙ニュートリノの観測」があり、後継施設のスーパーカミオカンデでは梶田隆章・東京大学宇宙線研究所長(15年物理学賞)の「ニュートリノ質量の発見」があった。いずれも巨大施設がなければなしえなかった研究成果で、小柴博士の先見性にあふれる研究戦略をもとに、国からのサポートがあって実現した受賞といえる。

<合わせて読みたい>
・30年目の「ノーベル賞受賞者を囲むフォーラム」(上)
・「ソメイヨシノ」はどこからやって来たのか
・日本人は独創的―大隅さんノーベル賞単独受賞の訳
・日本のAIは周回遅れ…杉山将・東京大教授に聞く

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