「指切り」が起源? 「結婚指輪」の深~い事情

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小指の指輪は「指切り」の代わり?

 「絵画、文献などから、日本には1800年前後から指輪文化があったと思われます。1830年(文政13年)の文献では、当時の指輪は、唐山(とうざん)(中国)から来ていた、という記述もあります」

 そう語るのは装身具史研究家で、日本宝飾クラフト学院(東京・台東区)理事長の露木宏さんだ。露木さんは数多くの資料や文献を収集し、展覧会への協力や執筆を行っている。

 結婚指輪のルーツを示すとみられる資料の一例として、露木さんは二つの都都逸(どどいつ)(口語の定型詩)を紹介してくれた。

 「指を切るのは昔のしゃれよ 今じゃ指輪の比翼(ひよく)紋」(1877年)

 「胸に一物アルミの指輪 誓紙(せいし)代わりに取り交わす」(1879年)

 「指切りげんまん、(うそ)ついたら針千本飲ます」の「指切り」は、日本人の間で、約束の証しとしてお馴染(なじ)みになっている。最近ではバーチャルアイドル・初音ミクの『指切り』という曲もある。

 露木さんによると、髪切りや指切りは、江戸時代の遊郭などでは「契り」の習慣だったとみられるそうだ。男女の誓いの証しとして、右手小指の第1関節から上を本当に切断していたらしい。

 しかし、江戸後期ごろの作とみられる人物画には、芸妓(げいぎ)が右手の小指に指輪をしている姿が描かれている(渡辺崋山筆「芸妓図」=静嘉堂文庫美術館所蔵 など)。露木さんは「指輪が『指切り』の代替となったことを示しているのではないでしょうか」と話す。さらに、当時の流行は遊郭などから庶民へと広がっていったので、指輪もやがて一般に定着していったのではないかというのだ。都都逸にうたわれた比翼紋は、「男女それぞれの家紋を組み合わせたものなので、契りのしるしに指輪に刻んだのでしょう」(露木さん)

1904年の新聞広告にはすでに「結婚指環」の文言があった(露木宏著「カラー版 日本装身具史」=美術出版社刊 より)
1904年の新聞広告にはすでに「結婚指環」の文言があった(露木宏著「カラー版 日本装身具史」=美術出版社刊 より)

 二つめの都都逸の「誓紙」とは、誓いを取り交わした紙のことだ。「昔は結婚の誓いを紙で取り交わしたものだが、今はアルミニウムの指輪を交換するのだ」と読みとれる。

 1877年には東京・上野公園で「第1回内国勧業博覧会」が開催され、日本は急速に西洋化が進む。1904年には金銀細工の「結婚指環(ゆびわ)」の広告が、18年には「結婚リング」という表現で、東京の出版社「博文館」の通信販売部が出した広告も確認されている。この頃になるとヨーロッパの影響か、「結婚指輪は左手の薬指」が定着し始めたようだ。

 「結婚指輪には単なる契約の証しにとどまらない、日本人ならではの情緒を感じます。指切りという文化からの流れもあり、決して、ただ西洋の文化を受け入れただけではないと思います」(露木さん)

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