「生きがいを見つけて」35歳末期乳がん患者の告白

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子育てもままならず、在宅医療に

――その時、入院はされなかったのですね。

子育てのこともあり、在宅医療を選択(写真はイメージです)
子育てのこともあり、在宅医療を選択(写真はイメージです)

 2日後の8月13日に、国立がん研究センター東病院(千葉県柏市)で精密検査をしました。いつでも入院できるように準備は整えていったのですが、でもその時、入院は免れたんです。次男がなかなか保育園に入れない「待機児童」で、子育てもままならないので、ソーシャルワーカーと相談して入院せず、在宅医療を選びました。事情があってもなかなか保育園には入れてもらえなくて、「このままだと家族が共倒れになる」と言ってもダメでした。夫に仕事を休んでもらったり、子守りを母に頼んだりしたこともありました。

 それでも、具合が悪くなることは多かったです。痛みを完全にとることは無理だと医師から言われていましたし。「今より悪化させることなく、生活の質を落とさないようにしよう」と。緩和ケアに近い形です。早く見つかっていれば、すぐ入院して手術することもできたのですが、私の場合は転移がひどくて、無理に出血している部位などを切除しようとすると、その間は抗がん剤が投与できなくなるんですね。そうなると悪化が進んでしまうので、手術すべきではないと。だから、今まで体にメスを入れたことはありません。

――子育てはできたのですか。

 骨がすでに相当もろくなっていて、骨折しやすい状態になっていました。そのため、まだ1歳だった子どもを抱きかかえたりできなかったのは辛かったですね。私自身が横向きに寝転がって抱くような形にするしかなかった。ラッコのように上に乗せてもいけないといわれました。1歳の子はあれもだめ、これもだめ……。これだとスキンシップがすごく減ってしまいます。かわいそうでしたね。

――その後も入院することはなかったんですか。

 いえ、あります。子どもを抱いちゃいけないのに、つい子どもの体調が悪い時などに抱いてしまうんですよね。水を含んだ重い洗濯物を自宅の2階まで持って上がることもあり、そんなことを続けていたら、ちょうど1か月後の15年9月、背骨の下の方を折ってしまって。階段の途中だったのですが、とてつもない痛みで動けなくなり、うずくまってしまい、汗が噴き出してきました。1歳の次男が階段をヨチヨチ上ってくるのですが、言葉がまだ話せません。1階で充電中だった携帯電話を取りに行くこともできず、1時間ほど次男と2人きりでいました。「あそこに携帯があるから持ってきて」とずっと言い続けて。すると、次男が奇跡的に持ってきてくれたんです。すぐに夫に電話して、「動けないんだけど」と伝えました。救急車を呼ぶことも考えましたが、ちょうど夫が営業で近くにいたので、迎えに来てもらい、そのまま緊急入院になりました。

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