映画『メアリと魔女の花』はニセモノなのか(後編)

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「思い」を変えてはいけない

映画をPRする、声優を務めた神木隆之介さん、杉咲花さん、米林監督(左から)
映画をPRする、声優を務めた神木隆之介さん、杉咲花さん、米林監督(左から)

 ――それはどうでしょう。映画監督は映画を作るんです。でも、プロデューサーは映画も含めて、映画を取り巻くすべての環境を作るのが仕事ではないかと思います。ポスターのデザインも宣伝文句も、あらゆることを含めて映画世界はできているのではないですか。だから、おそらくプロデューサーは映画監督よりも大きなところを担当していると思いますよ。

 僕も宣伝はやりますよ、やりたくないわけじゃなくて、観客に思いを届けるべき努力はします。

 ――ただ、今回の作品でジブリの系譜を残すことができたのは、まさに西村プロデューサーの手柄です。それには敬意を表したいです。

 でも、もう次は作れないかもしれない。やはり、作り手の問題、人の問題は大きいです。社会に真剣に思いをはせながら作品を作るということこそが、高畑さんや宮崎さんがやってきたことだと思います。結局、残したいのはそのことなんです。表現方法はいろいろ変わっていくだろうし、背景の様式とかCGとかも全部変わります。

その一方で変えてはいけないことが、「想い」だと思います。今ここに、寂しそうにしている子がいたとしたら、この子の抱えているものは一体なんなのかと、一生懸命に考える。あるいは、社会はなぜこんなふうになっているのだろうとか、必死に考える。そこだと思います。

 アニメーション業界は低賃金で有名な業界です。本当はプロのアスリートと同じで、ちゃんと稼いでいる人は稼いでいる。低賃金で報道されるときは、一面しか紹介されていない。ただ、決して裕福な業界ではありません。ジブリは正社員制だったので、家族を持つ人、子どもが生まれる人が多かったんです。外を見渡せばクリエイターには、独身がすごく多い。子どもに思いをはせる作品が減っていってもおかしくありません。

いばらの道を進む覚悟

「未来を担う子どもたちに、僕たちは何を伝えるべきか」
「未来を担う子どもたちに、僕たちは何を伝えるべきか」

 ――それは分かりますが、そういう現場で西村さんは映画を作った。次が作れるかどうか分からないなんてことは言ってほしくないですね。もう、西村さんには責任がある。1回試しにやってみました。でも、難しいので次はやりませんというのは、無責任ですよ。

 それは重々分かっています。

 ――いばらの道だとは思います。資金的にも、人材的にも、いろんなリスクを抱えて、ここまで来た。私のような外野が傍らから批判するのは簡単なことですが、それでもやっぱり続けてほしい。

 もちろん続けますよ。ただ、すごく苦しい道が待っていると思います。でも、それは最初から分かっていたことです。あるアニメーションの演出家が言っていましたが、年間50本のテレビシリーズが作られていますが、そのうち、まともに見られている作品は本当にわずかだと。だから、何百万もの人に見てもらったというだけで幸せだというんです。

 自分たちは、映画を作る切符を次ももらえるのか。切符をもらうために世間に迎合していくっていうのは楽だと思いますが、迎合せずにいると支持者は少ない。少子化の社会では、子どもたちがマイノリティーになってしまった。いや、どんどん少数派になっていく。だから、マイノリティーに対する投資は無駄だ、となることが経済的には起こり得ますからね。

 ――それでも、未来を作っているのは彼らです。

 いや、未来を作るのは大人です。その未来に暮らすのが今の子どもです。だから、大人には責任があるんです。「メアリ」を見た子どもたちが、10年後には大人になっていく。社会や世界とは、翻って言えば子どもの未来の総和です。これは、すごく大事なことですよ。では、その子どもたちに、僕たちは何を伝えるべきなのか。手に負えない魔法というものをどう捉えるべきなのか、そこは作り手としてものすごく慎重にならざるを得ません。

 ド派手なファンタジーで、なんでも魔法で解決できる作品を作れば快楽的かもしれない。でも、みんな魔法なんか持ってない、単なる人間ですよ。その人間がなぜ、どんなふうにして前に進んでいけるのか。そこが大事です。

 アニメーション映画の作り手として、僕らも立ち止まり、或いは撤退することは容易です。ジブリの名がないとなれば先が見えないし、こんな無名スタジオを作ったところで、協力は得られないかもしれない。でも、そこで立ち止まってしまったら終わりだったんです。先が見えないから希望もある。だったら一歩、踏み出した方がいい。そういう気持ちを、みんなが映画を見て感じてくれたらいいなと思うんですよ。

 メアリはためらわないんですよ。単なるおっちょこちょいなドジにしたわけじゃないんです、米林監督は。この子は何かがあったときに、苦しみながらも最後は立ち上がる。すぐに立ち上がるんですよ。これは僕らにとって希望なんです。すぐに立ち上がって、前に進む。もちろん怖い。でも、怖いのは当たり前なので、そこから前に進まなかったら、ずっと暗闇のままですからね。一歩踏み出した先に崖があるかもしれないけれど、もしかしたら道は開けているかもしれない。だから、とりあえず踏み出してみる。人はどんな時でも前に進める。それをメアリに託したんです。

(c)2017「メアリと魔女の花」製作委員会
(c)2017「メアリと魔女の花」製作委員会

 ――魔法なんかなくても生きていけるというメッセージやさまざまな思いが映画に込められている。それが重要なんです。それは、『トトロ』にしても『魔女の宅急便』にしても、皆そうなんですよね。もしもこの世界にジブリがなかったら、この世界はやはり少し違っていたかもしれない。宮崎さんはまた映画を作ると言っているようですが、一度はジブリの新作がもう出ないと考えたときに、どうしようもない寂しさを覚えた人はいるはずです。だからこそ、魂が受け継がれていくことは良いことですよ。

 思いとしては、単純なんですよ。映画は本来、憎しみを描くのなら憎しみを描く理由が必要だし、暴力を描くならその理由が必要です。表面的に刺激的なものするために、映画は時にそれらを必要としたりします。ただ、そこにはためらいがあります。いったいなぜそれは描かれる必要があるのだ、と自問しますよね。そして答えが出ないなら、その暴力もあるいは魔法も必要ないんです。となると企画からやり直しです。高畑さんや宮崎さんは設定のために人は死なないし、設定のために人物は生きていなかった。そういうのは、プロデューサーとして常に考えていくことだと思っています。そして、後はクリエイターに託し、信じるだけです。

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