普通の主婦が倒産寸前の町工場の社長になったワケ

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就任1週間で5人をリストラ

光(内山理名)がリストラしたことで社内は大騒ぎに(NHK提供)
光(内山理名)がリストラしたことで社内は大騒ぎに(NHK提供)

 1か月前まで主婦だった創業者の娘である私が、社長に就任してわずか1週間で5人のリストラを断行した。

 「なんてことするんだ。このやろう」

 古参社員の1人は食ってかかってきた。「社長になってほしい」と私に求めた社内の雰囲気は一変した。

 5人のリストラで、月に200万円ほどの人件費を削減。経費を見直し、とことん切り詰めた。

 意図せず“お飾り”の社長ではなく、実権を握るという意思を社内に表明することになった。

 これまでのやり方に慣れているベテランからは、「なんで、そんなことをやらなきゃいけないのか」と抵抗されることもあれば、「てめえ、何考えているんだ」と(ののし)られることもあった。

 言い争い、ぶつかり合い、そして、歩み寄った。最初の1年は、新生「ダイヤ精機」の経営を模索する私と社員との格闘の時間だった。

「どうしてボクは生まれてきたの?」

 社長就任から4年が過ぎた2008年9月、リーマン・ショックが起きた。影響は半年後に表れ、受注が8~9割減という状態になり、ついに赤字に陥った。

 自らの給与を手取り2万円にし、貯金を取り崩した。赤字があと3か月続けば、資金が底をつくという状態だった。

 絶体絶命の危機を乗り越えたのは、海外生産に(かじ)を切るメーカーに向け、海外生産用のゲージ(測定機具)の受注を確保したことだ。熟練工がミクロン単位で磨き上げるゲージは、高い加工技術が求められ、海外での現地調達が難しかった。自動車メーカーの生産拡大を追い風に、需要は急激に膨らんだ。

 リーマン・ショックは、日本中の町工場を苦しめたはずだ。でも、私は「今与えられた環境で精いっぱいやる」と決めていた。そうすれば、来年か再来年にはきっと笑っていると信じた。

 その覚悟は、遺影でしか知らない兄の存在が大きい。

 以前、こんな話を母から聞いた。病魔と闘い、小学校にも行けなかった兄がある日、「どうしてボクは生まれてきたの?」と母に尋ねたという。返答に困った母は、口を閉ざしてしまった。

 もし、兄が生きていれば、父の後を継ぎ、社長としてその答えを見つけられたかもしれない。兄の代わりに生まれた私は、その答えを探さなきゃいけない。

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