大学受験「とりあえずMARCH」の落とし穴
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「教育力」は違うのに…

「グローバル教育に力を入れるため英語だけで授業を行う国際○○学部を新設」
「文・理にとらわれない教育で現代の課題を解決する日本初の○○学部!」
残念ながら、多くの高校生や保護者、高校教員が、各大学の違いや学部の狙いを十分に理解しているとは思えない。だから、知名度のある明治、青山学院、立教、中央、法政ですら、このように新しい名前の学部や派手なキャッチフレーズに頼らなければ、教育力の違いに注目してもらえない。
中央の留学生数のように、地味で着実な教育改革を進めるよりも、「全員が留学する学部を作りました」というPRばかりに目がいく傾向にあるのが実情だ。
「文・理にとらわれない教育」といった言い方もそうだ。伝統のある法学部や経済学部の学生に対して、数理教育や情報技術の指導を強化するアプローチだってあるだろう。MARCHのように、毎年、膨大な人数の卒業生をビジネスの現場へ送り出す大学については、「数学やデータサイエンスに強い経済学部」「グローバル化した法学部」などを求める社会のニーズもあるはずだ。
既存学部も含め、個々の学科単位でこうした挑戦をしている教員もいるかもしれないが、高校教員らに意見を聞く限り、そうした取り組みは伝わっていない。高校が望む「MARCH」という看板に大学側も依存している面もあるのだろう。
立教の経営学部のように、社会からの、特に高校生からの評価を「変えた」例は、残念ながら多いとは言えない。
授業を見せられない?
とはいえ、立教・経営学部が、設立当初から現在のように評価が高かったわけではない。もちろん、新設学部の教育コンセプトや実際の授業の様子は注目に値したが、それらは立教全体の広報活動の中で完全に埋もれているように見えた。
立教の他学部と同じように扱われ、高校側からも、「MARCHに新しい経営学部が一つ増えた」という見られ方をしていた。
こうした見方を変えていったのは、学部の教職員と学生たちである。経営学部は毎年、多くの高校生を普段の授業に招待している。最近では200人規模で高校生が学部1年生と一緒に学ぶ日なども設けている。高校教員たちにも、積極的に教育の実態を公開しているようだ。こうした地道なPR活動は、高校側からの見方を変えた。
メディア向けのリリースなども、学部から直接送られてくるものがあり、「MARCHの枠に埋もれてはならない」という意思を感じる。ここまで努力している学部組織を、5大学の中でほかに知らない。
大学関係者に立教・経営の取り組みを話したところ、「ウチの先生が授業公開など許すはずがない」といった反応が多かった。驚くことに、「実際の授業を見せたら受験生が減る」という声すらあった。
没MARCHから脱MARCHへ
立教・経営学部だけが「脱・MARCH」を実現しつつある背景には、関係者の熱意や、自分たちの教育に対する自信、社会に向き合う姿勢の違いなどもあるのではないだろうか。
「入試難易度が近くても、この5大学の特色はそれぞれ違うはずだ。MARCHをひとくくりにせず、自分に合った大学を探させたい」
こんな意識を持つ保護者や高校の進路指導担当教員も、実を言えば少なくはないはずだ。ただ、こうした保護者や高校側の要望に、各大学はまだ十分に応えられていないように思う。教育内容が個性的で素晴らしいはずなのに、それを伝えきれず、結局「MARCH」の中に埋没してしまっている学部もあるだろう。
MARCHというブランドに甘んじることなく、5大学はそれぞれの実力をもっと発信してほしい。
そして、受験先を検討している高校生は、「とりあえずMARCH」という理由だけで受験することがないように伝えたい。
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