学校に行けない…「不登校50年」が問い直すもの

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偏見は薄れても否定的なまなざし

(画像はイメージ)
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 当事者でさえ、不登校になった理由をはっきりと説明できないことが少なくない。朝、制服に着替えていると頭が痛くなる。玄関で靴をはいても足が前に出ない。

 考えるよりも前に、体が反応する。こうなってしまったら、まず休むことが大切だ。いったんストップすることを否定してはいけない。

 その後、どうするかはまた別の問題。最近では、不登校に対する偏見は薄れてきているが、平日の昼間、学校以外の場所にいる子どもたちに向けられるまなざしは、やはり否定的だ。

 かつて、学校は「希望」だった。新しい知識を身につける。良い成績をとる。そして、良い学校へ合格する。「希望」が、学校の求心力になっていた。だから、ひとたび「学校に行かない」となれば、それは「絶望」を意味した。大問題だった。

 しかし、ここ最近ニュースなどで話題になるブラック企業、過労自殺、老後破産といった問題を考えると、良い成績を収め、良い大学に進んだといっても、必ずしも先行きが明るいとは言えない。

 学校は今、「不安」が求心力になっている。せめて高校、大学くらいは……、となってしまっている。

「不登校」から考える

 「不登校」は、よく分からないけれど……という状況が実はあまり変わっていない。

 ただ、不登校を考えることをきっかけに、精神医療や心理学が問い直されることになった。「子どもがおかしい」という考え方が変わってきた。学校に問題はないのか。教員の指導に課題はないのか。なぜ、学校に行かなければいけないのか。親たちが正しいと信じたことは、本当にそうだったのか。

 「学校に行けない」。そう打ち明けた我が子を目の当たりにしたある男性は、自らの会社人生を顧みることになった。「お父さんはどうなの」。そう問いただされていると感じた。これが自分のやりたかったことなのか。このまま定年を迎えていいのか。自問を繰り返し、結局、退職に踏み切った。

 学校、家族、仕事、生活……。「不登校」を巡る50年は、当たり前と思われてきた社会のあり方を問い直している。

プロフィル
山下 耕平( やました・こうへい
 1973年、埼玉県生まれ。NPO法人フォロ事務局長。大学を中退後、フリースクール「東京シューレ」スタッフを経て、98年の創刊時から2006年6月まで、「 不登校新聞 」の編集長を務めた。「 不登校50年 証言プロジェクト 」の統括。著書に「迷子の時代を生き抜くために」(北大路書房)。

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