人間味あふれる「将棋指し」がいた時代

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大山十五世名人に気に入られた理由

大山康晴十五世名人。先崎九段は大山十五世名人によく声をかけてもらったという
大山康晴十五世名人。先崎九段は大山十五世名人によく声をかけてもらったという

 先崎九段がプロデビューをしたのは87年。大山十五世名人には92年に亡くなるまでの間、大変かわいがってもらったという。

 「地方で将棋のイベントなどがある時に、よくカバン持ちで大山先生について行きました。大山先生はとにかくマージャンが好きなので、マージャン要員だったのだと思います。そうやって年に4、5回、ご指名がかかりました。

 大山先生は、弱者にものすごく優しかった。会場で掃除をしている人、現地の世話役、一番下の人とかに、とにかく優しくしてくれたのです。将棋大会では、みんなで盤を運ばなければならないのですが、そういう時も、『ただ立っていてもしょうがないから』と言って自ら運ぶ。駒をしまう時は、ちゃんと数えながら箱にしまっていました。

 反対に、将棋連盟の会長として職務にあたるときだけは怖かった。後輩を怒鳴(どな)りつけても平気でしたし、もうむちゃくちゃでした。

 私がすごくかわいがってもらえたのは、米長門下だったから、かもしれません。大山先生は私が別の棋士の記録係をしていた時でも、つかつかと寄って来て『ヨネさんは元気かい。相変わらずゴルフばっかりやっているの?』などと、探りを入れてきましたから。敵の一番近くにいる人間をかわいがる。政治家的な発想ですよ」

あの「ひふみん」の運命を変えた一局

加藤一二三九段。18歳でA級八段、20歳で名人戦の挑戦者となった
加藤一二三九段。18歳でA級八段、20歳で名人戦の挑戦者となった

 大山十五世名人が亡くなってから四半世紀余り。プロ棋士の中でも実際に会ったことがあるという人は減ってきている。

 「ネットの世界や若い棋士の中には、大山先生は盤外戦術(話しかけるなどして、相手の集中力をそぐこと)で勝ったと思っている人もいるようですが、そうではありません。

 対局中、大山先生は結構つぶやきます。しかも、じっとしていることができないので、盤のそばに観戦記者がいれば、『最近どう?』などと話しかける。こうしたことが、盤外戦術ととられたのかもしれません。

 実際は、一番、将棋の『手が見える』(好手を発見できる)人でした。大山先生の将棋観で有名なのが『初めのチャンスは見送れ』というものです。序盤はあまりうまくなかったのですが、早い段階で激しい戦いにはせず、できるだけ長引かせる。そうすると、相手はいつの間にか差をつけられているといった指し方です。

 激しい一手違いの将棋をぎりぎりで制する羽生竜王とは真逆で、相手を丸め込んでいくように、ゆっくりした勝ち方をする人でした」

 デビュー以来のスピード出世で、藤井七段とよく比較されるのが「ひふみん」こと加藤一二三九段だ。加藤九段は18歳でA級八段、20歳で名人挑戦を果たしたが、その行く手に立ちはだかったのが大山十五世名人だった。1960年の名人戦、ポイントは第2局だった。

 「加藤先生は名人を取るのが当たり前という勢いで出てきた。第1局は加藤先生の完勝。将棋にならなかった。それを大山先生は、第2局ではねのけたんです。逆に第4局、第5局は大山先生が相手の駒をどんどん取り上げていき、将棋にならなかった。結局、4勝1敗で大山先生が名人を防衛したのですが、実際は紙一重でした。第2局で出た『6八歩』という受けがなければ、4連敗で大山先生が負けていたかもしれません。その意味では、歴史を変えた将棋です」

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37426 0 深読み 2018/08/20 15:36:00 2018/08/20 15:36:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20180820-OYT8I50021-T.jpg?type=thumbnail

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