平成そっくり?猛暑、豪雨、台風に怯えたあの時代

メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

古文書や花粉量から古気候を推定

 温暖化に伴う異常気象は、これまでにもあったのだろうか。二酸化炭素などの温室効果ガスが急増するのは産業革命以降だが、太陽の活動が活発で、地球規模で温暖化していた時代は過去にもあったとみられている。南極の厚い氷を切り出し、時代ごとに含まれる放射性炭素の量などを測定するなどして、過去の太陽活動の推移もある程度、分かってきた。

 地球規模の気候変動は、当然、日本にも影響したはずだ。古文書や日記には氷の張り具合、花の開花時期や農作物の作柄などの記述がある。宮中行事の観桜会は満開にあわせて行われ、開催日を追えば春の訪れが分かる。伐採された樹齢1000年を超える屋久杉の年輪や、8000年にわたって堆積してきた尾瀬ヶ原の泥に含まれる花粉の量などを分析し、記録と照らし合わせれば、日本が温暖化していた時期もおおまかに推定できるという。

 縄文時代以降の寒暖の傾向を示すと、図のようになる。時代をさかのぼるほど推定は難しいが、有史以来では奈良時代から鎌倉時代前期までは一時期を除いて暖かい時代が続いていた。世界的に8~13世紀は「中世温暖期」とされており、傾向はほぼ一致する。

 暖かい時期は西日本を中心に干ばつが起き、台風やゲリラ豪雨が増える。地球規模の気候変動に連動していれば極地の氷が減って海面が上がっていただろう。気象予報士の森田正光さんは、最近の猛暑を1000年ぶりという意味で「千年猛暑」と呼んでいる。この時期の平均気温は、温暖化が進む今より高かったという説もある。確かに1000年前の平安中期の記録を見ると、今の気候と似ていると思わせる出来事がある。

干ばつ・豪雨・暴風、「平安」のはずが…

菅原道真を天神として祀る天満宮
菅原道真を天神として祀る天満宮

 930年(延長8年)は日照りで干ばつが続き、宮中では雨乞いの儀式を計画した。内裏で儀式について会議が開かれることになり、猛暑の中を天皇や貴族が集まっていたところに内裏に落雷があり、大納言の藤原清貫(867~930)ら5人が死亡する「清涼殿落雷事件」が起きている。今の暦で7月末の出来事というから、ゲリラ的に激しい雷雨がきたのだろう。清貫は大宰府に左遷された菅原道真(845~903)の動向を監視していたため、落雷は道真のたたりとされ、道真は天神(雷の神)として(まつ)られた。

 紫式部(生没年不詳)が、光源氏を主人公にした『源氏物語』を書き上げたのは1012年(長和元年)ごろと言われている。当時、吹き荒れる暴風は「野分(のわき)」と呼ばれていたが、物語には「野分」の(じょう)がある。気象予報士の石井和子さんは『平安の気象予報士 紫式部』(講談社+α新書)の中で、野分の記述は紫式部が体験した台風をもとに書かれているとみて、その台風がどんなものだったのかを推理している。

1

2

3

4

無断転載禁止
45324 0 深読み 2018/10/11 18:05:00 2018/10/11 18:05:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181011-OYT8I50060-T.jpg?type=thumbnail

おすすめ記事

読売新聞購読申し込み

アクセスランキング

読売IDのご登録でもっと便利に

一般会員登録はこちら(無料)
ページTOP
読売新聞社の運営するサイト
ヨミダス歴史館
ヨミドクター
発言小町
OTEKOMACHI
元気ニッポン!
未来貢献プロジェクト
The Japan News
美術展ナビ
教育ネットワーク
活字・文化プロジェクト
よみうり報知写真館
読売新聞社からのお知らせ