平成そっくり?猛暑、豪雨、台風に怯えたあの時代

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平家滅亡にも気候が影響?

平清盛像(広島県廿日市市の宮島で)
平清盛像(広島県廿日市市の宮島で)

 平安時代末期に再び訪れた温暖期に繰り広げられた源平合戦にも「気候の変化が勝敗を分けた」というさまざまな仮説がある。

 このころ、西日本は養和の飢饉(ききん)と呼ばれる干ばつに苦しんでいた。緯度が高い東日本では冷害による影響の方が大きく、源平合戦が始まった頃は東西で農業生産力に差がついていた。1180年(治承4年)の富士川の戦いでは、西日本から遠征した平氏軍が鳥の水音に驚いて敗走したとされるが、これは東日本を拠点とする源氏軍との兵糧の差が原因だったという見方がある(荒川秀俊『お天気日本史』)。

 劣勢のさなか、平清盛(1118~81)が死去した熱病は、温暖な気候でしか流行しないマラリアだったという説が有力だ。1184年(寿永3年)の一の谷の戦いで源義経(1159~89)率いる源氏軍は、背後の山から平氏軍を襲う。「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」と呼ばれる奇襲に不意を突かれた平氏軍は敗走するが、応戦態勢がとれなかったのは、当時の海岸線が狭かったためだという見方がある(桜井邦朋『日本列島SOS』)。

稲村ガ崎海岸(神奈川県鎌倉市)
稲村ガ崎海岸(神奈川県鎌倉市)

 平氏を滅亡させた源氏によって鎌倉時代が始まるが、気候は鎌倉後期から寒冷化する。新田義貞(1301?~38)は1333年(正慶2年)、稲村ヶ崎の海中に黄金の太刀を投げ入れて祈願し、海岸線に道を開いて鎌倉に攻め入り、幕府は滅亡した。気象予報士の田家(たんげ)康さんは『気候で読み解く日本の歴史』(日本経済新聞出版社)の中で、「海面水位が高かった時代に作られた鎌倉防衛のシステムが、海面水位の低下の中で機能しなくなっていたのではないか」と推測している。

異常気象が試す「政治の力量」

 異常気象に対する対応は、時の政治の力量を示す。田家さんは、鎌倉時代に北条泰時(1183~1242)が御成敗式目を制定したのは、寒冷化による日本最大の飢饉ともいわれる寛喜の飢饉に直面し、過酷な年貢収奪や不法行為を禁じるためだったとみる。一方で江戸時代の5代将軍徳川綱吉(1646~1709)は、元禄の飢饉のさなかに「生類(あわれ)みの令」を出して肉食を禁じ、10万両近い金を「お犬様」の飼育に投じて庶民をいっそう苦しめた。

 国連の気候変動に関する政府間パネル(ICPP)は「地球温暖化がこのまま進めば2030年にも世界の平均気温は産業革命前より1.5度高くなる」とする特別報告書を公表した。異常気象が今後「異常」ではなくなれば、これからの日本の社会も、それを前提に変わらなければならない。亜熱帯の果樹への作付転換や鉄道の「計画運休」などはすでに始まっているが、防災に強いまちづくり、大規模災害からの復旧・復興支援、百万人単位での広域避難などは、国が主導しなければ進まない。政治の力量が試される。

プロフィル
丸山 淳一( まるやま・じゅんいち
 読売新聞東京本社経済部、論説委員、経済部長などを経て、熊本県民テレビ報道局長から読売新聞編集委員・BS日テレ「深層NEWS」キャスターに。経済部では金融、通商、自動車業界などを担当。東日本大震災と熊本地震で災害報道の最前線も経験した。1962年5月生まれ。小学5年生で大河ドラマ「国盗り物語」で高橋英樹さん演じる織田信長を見て大好きになり、城や寺社、古戦場巡りや歴史書を読みあさり続けている。

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