西郷どんが「革命家」? 大河に違和感を抱く理由

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憧れの人・ナポレオンの「正体」

 ドラマでは、西郷と同じ流罪人だった川口雪篷(せっぽう)(1819~90)が、舟で島を出る西郷を、自ら書いた「革命」の旗を振って見送った。雪篷は、蘭学者の小関三英(こせきさんえい)(1787~1839)が翻訳したフランス皇帝ナポレオン(1769~1821)の伝記『那波列翁(ナポレオン)伝初編』を島に持ち込み、西郷にナポレオンの業績を教えている。

 雪篷がナポレオンを知っていた証拠はないが、書がうまく、流罪になる前は藩の書物の筆写が仕事だったというから、ナポレオンの伝記を読んでいても、革命の旗を自作してもおかしくはない。ドラマの時代考証を担当した歴史学者の磯田道史さんは『素顔の西郷隆盛』(新潮新書)の中で「西郷は島暮らしで革命思想を育んだ」との見方を示している。このシーンには磯田さんの「革命家・西郷」を印象づける狙いがあったのだろう。

 流罪中に読んでいたかどうかはともかく、西郷の自宅からは『那波列翁伝初編』が見つかっており、西郷がナポレオン好きだったのは間違いない。吉田松陰(1830~59)もこの伝記を獄中で読んで感動し、「草莽崛起(そうもうくっき)」、すなわち「在野の人よ、立ち上がれ」と唱えている。

 ナポレオンは自ら革命を起こしたわけではない。「抑圧された人々を自由にする」という大義を掲げる一方で、共和制を終わらせ、他国に次々と戦いを仕掛けて皇帝に就いている。彼が率いたフランス国民軍は徴兵制によって編成された「草莽」の集まりだったが、封建領主らの傭兵(ようへい)軍を次々に撃破している。

 幕末の志士たちは革命の大義ではなく、下級士官に過ぎなかったナポレオンが草莽を近代的な軍にまとめあげ、封建勢力を打ち破ったことに感銘を受けたのではないか。

 松陰の最後の弟子だった山田顕義(1844~92)は、戊辰戦争で討伐軍を指揮し、西郷から「あの小童(こわっぱ)、用兵の天才でごわす」と絶賛されて「日本の小ナポレオン」と呼ばれた。山田はのちにナポレオン法典を学んで初代の司法大臣(今の法相)となる。

 ちなみに山田が法学を普及させるため設立した日本法律学校が、今の日本大学だ。スポーツ関連の不祥事が続き、法令順守(コンプライアンス)が厳しく問われる今の姿を、「学祖」の山田はさぞ苦々しく見ているだろう。

 

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45907 0 深読み 2018/10/23 07:00:00 2018/10/23 07:00:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181022-OYT8I50014-T.jpg?type=thumbnail

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