ノーベル平和賞、ナディアが私に見せた素顔

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感情を出さずに体験を語ったナディア

こちらを見つめるナディア。林さんが取材した時は顔を隠して撮影に応じていた(C)Noriko Hayashi
こちらを見つめるナディア。林さんが取材した時は顔を隠して撮影に応じていた(C)Noriko Hayashi

――ナディア・ムラドさんに会った時のことを教えてください。

 「ヤジーディの故郷にはシンジャール(シンガル)山という山があって、ふもとに村が点々と広がっています。私が行く1か月ほど前までは、周りを全部ISに包囲され、行くのは不可能でした。

 私が行った2015年2月は、山の北側がようやく解放された時でしたが、南側はISに包囲され、攻撃が続いていたので、取り残されたヤジーディの人たちは悲惨な状況で暮らしていました。水がないのでお母さんが子どもに自分の涙を飲ませたとか、餓死してしまう子ども、高齢者もいたという話を聞きました。

 クルド人が住んでいる地域には、ISの包囲を逃れてきたヤジーディが暮らす難民キャンプがたくさんあるのですが、大きいものは四つ。そのうちの一つが、ナディアがいたカディア難民キャンプで、ナディアには15年2月、6月、9月と3回会いました。

 難民キャンプには、ISに拉致されて性的暴行を受け、何とか逃れてきた女性がたくさんいました。当時私は、彼女たちの取材をしていて、15人ぐらいにインタビューをしたのですが、『こういう人を探している』という話をした時に、『そこに一人いるよ』という感じで教えてもらい、それで行ったような記憶があります。

 いろんな女性から話を聞くのが目的だったので、1回目に会った時のナディアの印象はそこまで強くはありませんでした。ナディアに限らず、他の女性にも共通していることですが、みんな落ち着いて、冷静に話をしてくれました。ISに拘束された12歳の女の子も、例外ではありません。

 写真集に載ったナディアの写真はみんな顔を隠していますが、写真撮影の時以外は全然、隠していません。ナディアもあまり感情を出さずに、淡々と話してくれた印象があります」

2回目の取材で受け入れてもらえた

――2回目、3回目の取材でナディアの印象は変わりましたか。

 「2回目に会った時に、前に取材に来た人だというのは覚えてくれていました。当時、ナディアの親族が30人以上、ISに拘束されたか殺されたかで、消息不明の状態になっていました。そのうちの一人が何とか脱出して、保護され、車で難民キャンプに連れてこられた場面に遭遇しました。

 彼女も含めて20人以上の親族たちが、ものすごく感情をむき出しにして泣いていました。インタビューしている時のナディアとは全く違う姿だったのですが、顔を隠すわけでもなく、子どもが泣くような感じで泣いていて、それを私は写真に撮っていました。すると、ナディアがぱっと立ち上がって、こちらに近づいてきて私にハグをしたのです。

 その時、こうやって私がここにいて写真を撮っていることを、彼女は受け入れてくれているのだと感じました。取材を受けること、自分の経験を語ることについて、彼女の中で覚悟のようなものができたのだと思いました。

 人によっては、取材はいくらでもウェルカムみたいな子もいて、写真に撮られることを全然気にしない人もいるのですが、一方で、すごく気にして写真はやめてほしいという子もいます。ナディアはその真ん中のような感じで、気をつけて取材しないといけないなとは思っていました」

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50709 0 深読み 2018/11/24 07:00:00 2019/01/22 16:16:49 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181121-OYT8I50087-T.jpg?type=thumbnail

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